「アメリカン・ギャングスター」
原題/AMERICAN GANGSTER
監督/リドリー・スコット
出演/デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウ、他。
一行あらすじ/
アメリカのヤクザ稼業も大変なのよねー。
まぁまぁですかね。
全編を通して流れる好き者にはたまらないブラック・ミュージックが時代の空気感を醸し出してます。
ファッションもしかり。ヘアスタイルもしかり。
意外なことに、デンゼル・ワシントンとラッセル・クロウは最後の10分程しかカラミないんですねぇ.....
ハーレムでどんどんのし上がって行くギャングスターと
それを追う正義感の強い刑事。
どちらかというと「悪い方」についてしまう僕なので、こうやって1つの映画で平行線をたどる2つの生き様を見せられたら、やっぱデンゼルさんの方に感情移入してしまいますねぇ。なんか。
正義感が強過ぎる刑事ラッセル・クロウなどは、仕事仕事で、家庭は崩壊、女癖わるい、空気読めない、はっきりいってウザいです。イライラしました。ですが、最後にそれはしっかり実を結ぶので、正義を貫いた者が最後には勝つ、という構図にはなっとるんですが。なんかこう.....ひねくれているのか、僕はなんか納得できませんでした。
一方、同胞達の命や金を巻き上げて巨万の富を築くデンゼルさんは、非情極まりない悪人なのですが実は家族思い。「ファミリー」を大切にする姿勢には泣けます。デンゼルさんの妻も(むちゃくちゃキレイな人だった!)や、お母さんなども、本当にデンゼルさんを愛している。やっていることの善悪は別として、家族を大切にするという事はとっても大事なことですし。いくら正義の為といっても家族をないがしろにするというのはいかがなもんか.....と。時には長いものに巻かれてみたりもするのが人間なのでは?そしてそれが出来ないのなら、最初から家庭を持たなければいい。愛する妻や子を不幸にしてはならない。僕はそう思うのですが、どうなんでしょうか。
逆に、悪事に手を染めてまで家族を守り抜く、というのも複雑な気持ちになります。
シャーリーズ・セロンの激太りが衝撃的だった「モンスター」も、愛する人の為なら殺しもやってしまってましたが.....幸せになる為だったら何をやってもいいのか?やっていいわけはないのですが、悪事をやってしまう程愛してる、ということに胸がキュンとしてしまうのです。
デンゼルさんの場合はもう幼少期から「悪事」しか出来ない環境だったので、まっとうに生きようとしてもそれが出来なかったのでしょう。気が付くとギャングの一員で、カリスマ的ボスの運転手を長年勤め上げ、信頼を勝ち取り、ボスが無くなった後はその意思を継ぐかのごとく、暗黒街のボスへとのしあがっていく。同時に彼は非常に頭のイイ、ビジネスマンでもあり、誰もやれなかったようなことを「ポッと出の黒人がやってしまった」というサクセス・ストーリーは一見の価値があるでしょう。
しかし、築き上げた王国は一瞬にして崩れ去る。
何かを得れば何かを失う。人生はプラス・マイナス・ゼロなのです、結局のところ。
勝っている組も、負けている組も、人生という長いスパンでみたらどうなんでしょうか?やっぱり最後の最後にはトータルしたらゼロになっている、と僕は思います。想像でしかないですが、人は死ぬ時に、それを実感するのではないでしょうか。(ラスト、デンゼルさんが釈放されるシーンで終わりますが、この時点で彼は無一文、裸一貫のゼロ状態です。さて、この後彼はどう生きて行くのか......)
....なんか映画とはえらく離れてしまいましたが、なかなか渋いギャング映画に仕上がっています。実話ベースという事ですが、まぁ映画は映画ですし、それなりに娯楽な感じもアリで、ナイスでした。多分リアルはこんなもんじゃなかったろうな.....想像するだけで恐ろしいです。
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