疲れ足りない僕たちは買いに出る秋の花火のような何かを 千種創一
「疲れ足りない」とは普段あまり使わない表現だが、元気いっぱいというわけではないだろう。「疲れ」は意識している。本来、疲れにともなうはずの充足感や心地よさの欠如と幾分かの強がりとしての「疲れ足りない」。「僕たち」が求めているのは、疲れ足り、疲れ果てることだ。そんな「僕たち」が「買いに出る」のは「秋の花火のような何か」だという。寂寥のなかにある季節「秋の」、本来は苛烈な季節の風物詩「花火」のような、「何か」。この「何か」は何かよくわからないけれど、「僕たち」の「疲れ」にダメ押しを与えてくれそうな気はする。
(千種創一『砂丘律』青磁社、2015年)

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