お金遣いの荒さ・多額な小遣い要・/SPAN> 2004. 01. 29 Thu
「高額の小遣いを要求する」
(『児童心理』1999年2月臨時増刊号「思春期のゆらぎと危機」に掲載)
多額な小遣いは信頼回復の手立てとなり得る
不登校およびこれに伴いがちな引きこもり状態、または非行傾向にある子どもは、親に対して、しばしば常識的感覚に照らして多額にすぎると思われる金銭を要求することがある。
こうした状態への対応の一つを、私が担当した実例に即して紹介する。
中学二年だった宏(仮名)は、不登校傾向がみえはじめる以前より、担任教師から友人関係や行動面での問題を指摘されていた。これに対して、母親が中心となって矯正を目指した規制を加えたところ、日常行動は一般にいわれる非行の様相をますます強め、不登校も目立ちはじめ、ほどなくほぼ完全な不登校状態となった。
母親はそれ以後に心理カウンセリングを受けるようになり、「親子関係の改善こそが最優先課題である」と理解したところから、あらゆる面で受容的な態度を示すようになった。その結果、宏は家庭外の行動にこそ目立って急速な改善はみせなかったものの、母親との関係には安心感を強め、母親に対する言動も落ち着き、それまではほとんど語らなかった学校・教師・友人などへの思いをも、母親に対してのみもらすようになった。
他の多くの例でもそうであるように、宏の金銭的要求がきわだって増大しはじめたのは、その時期からである。
この時点で母親は次のように語っている。
「毎日のように数千円のお金をほしがります。ときには万単位のお金をほしがります」
カウンセリングにおいて「要求する金銭は無条件に機嫌よく渡したほうがよい」との説明を受けていた母親は「できるかぎりそうしよう」と心がけてはいたのだが、つい躊躇してしまう場面もしばしばだった。
「こんな調子で要求をのみ続けていたら、際限なくエスカレートしてしまうのではないかお金にだらしのない人間になってしまうのではないか」
ごく常識的には母親の懸念もうなずかれやすいだろう。しかし現実には、母親が要求にこたえるのを躊躇するたびに宏は荒れ、暴言も募り、改善方向にあった非行行動を一時的にとはいえ、強めたのである。
お金もまた愛情の形。愛情注ぎはしつけより優先されるべき
お金もまた愛の形の一つである。子どもの心理治療の経過においては、言葉や行動での愛情が伝わりにくく、金銭によってこそ親の愛情をより有効に伝えられる場合が少なくない。この、一般には理解されにくかった観点も、最近では以前よりも広く受け入れられるようになった。宏の母親のように、金銭の要求に躊躇するなら即座に悪化する経過を現実に経験すれば、「お金もまた愛である」とする見方への疑念も解消されやすい。
そこで「お金の遣い方へのしつけというものが必要なら、そのチャンスは必ず訪れます。しつけが必要だとしても、今はそれ以前の状態ですね。治療的な意味での愛情を惜しみなく注ぐべき時期です。したがって宏君の年齢に即して多額にすぎると感じるとしても、無条件に与えるほうがよいですよ」とアドバイスしたところ、母親はそれを受け入れた。その結果、この親子関係は急速に良好なものへと推移し、それを追って非行傾向も消滅へと向かったのである。
その後のことを母親は次のように語っている。
「カウンセリングでアドバイスされるまま、無条件にお金を渡す。実をいえば、私は最後までそれでいいとは信じきれないでいました。でも他方では、お金を手渡すたびに宏の心が開かれ、心理的安定が深まってくるのも感じていました。
今もまだ、年齢に照らせば多額といわれそうな要求をします。しかし一時期に比べればすっかり落ち着き、親の財布の具合も配慮してくれるようになりました」
私の所属する相談施設のカウンセラーが過去に担当したなかには、中学生の男子が「現金で耳をそろえて30万円わたせ」と要求した例もある。この要求に母親が即座に対応したところ、その中学生男子は次のようにつぶやくだけでお金は受け取らなかったという。
「いくら俺を信用しているからって、こんな大金を平気で渡すなんて、親としておかしいんじゃないか?」
この場合の「30万円」は最後の愛情確認であったと理解できる。それ以前に「お金」に託された母親の愛を感じ取れるようになっていたその子は、これを契機に本格的な心理的安定を取り戻すことになった。
高額を要求するのは、過剰だった「我慢」への反発でもある
多額な小遣いの要求は、男女を問わず、また小学生も高学年以上となれば頻発しがちである。また、例に引いた、いわゆる非行傾向をみせる子どもの回復期のみならず、引きこもりからの回復期にもみられることを確認しておくべきだろう。
筆者としても、一般にいわれる「子どもの小遣いは適切な範囲に制限し、我慢することも教えなければならない。それはしつけの要点である」とする意見を全面的に否定するつもりはない。しかし親や周囲の大人による金銭面をも含む「過剰な我慢の強制」が幼児期から継続的であった場合、大半の子どもが深刻な心理的不調に陥るし、それを解決に導く過程では、子どもが過剰であった「我慢」から自身を解放し、同時に親の愛情をたしかめるために多額な金銭を要求するほかない時期もあると痛感している。
念のために記すなら、子どもは親の経済力を直感的に見抜くのが通常であり、金銭要求の増大が、親として対応できる限界を超えるのは例外的な場合のみだと考えられる。

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