2017/8/28

ペリーの犬と感激の対面💛  

日本との開国に成功し、海外に狆を持ち帰ったとされるペリー。

残されている各資料で、その数には微妙な誤差が生じ

   本当に持ち帰った数は何匹でしょう



      時はさかのぼり


万延元年(1860年)4月

日米修好通商条約の批准書交換を終えた

新見豊前守(しんみぶぜんのかみ)・村垣淡路守(むらがきあわじのかみ)らは

5月9日表敬のためにペリー宅を訪問


     その部屋から出て来たのは



柳川当清(やなぎかわまさきよ)の「航海日記」より

今日は天気も良く午後からペリーの家に行った。
ペリーはすでに病死していないが、家は大変美しく(4階建て)、多数の日本の器物や滞在中の写真が飾ってあった。

お酒や菓子などもご馳走になる。

そこへ2匹の狆が来て、衣類の匂いを嗅ぎ、日本人である事がわかるのか
大変喜んで、飛び回ったり、膝に乗ったり、袂に入ったり、側から離れなかった。

かつてペリーが狆を持ち帰り、今なおこの家に暮らし、日本人を見て喜んでいるのであろう。

帰る事がわかると、別れを惜しみ、後を慕うその様子は、言葉が話せないだけで人間の様であった。

その様子は実にふびんに思え、未亡人や娘さんだけでなく私達に至るまで涙を流してその家を出たのである。



当時海を渡ってアメリカに到着した狆の数は正確にはわからないものの・・・

ペリー家の1狆は「エド」と言う名前が付いていた様です。(ペリーの孫の回顧談より)


まさかペリーの家で日本から海を渡った犬達に会えるとは、この遣米使節団の皆さんも思ってもいなかった事だったでしょう。

鎖国をしていた日本で育ち、唯一世界の方々から注目された犬達のたどった運命は

開国により世界に羽ばたく扉が開いた瞬間でもあった様です


今日も平成のお部屋の中でお気楽に暮らしていた「チーちゃん」のお顔で

   さようなら〜


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ママの一句

    犬の名に 名誉の証 江戸と付け



2017/8/29  9:25

投稿者:まさこママ

森パパさん

色々調べていただいてありがとうございましたm(__)m

様々な説がある様ですね(*^-^*)

ペリーの家から出て来た犬達は日本人の香りを覚えていたのでしょうか?

今ではアメリカ・イギリス・ヨーロッパ・ロシア・・・
様々な国でこんなに数多く可愛がられる存在になるとは当時思ってもいなかった事でしょう。

開国は人だけでなく犬達にも開国だったのですね(^−^)

2017/8/29  0:06

投稿者:森パパ

横浜開港記念館のホームページには、「ペリーに対して将軍から、「狆」4匹がプレゼントされたのも事実でした。国際親善のために動物が交換されることがよくあります。黒船来航のときもそうだったようです。」との説明があります。
(*^。^*)

またWikipediaの「狆」の説明では「1853年にはペリー提督によって数頭がアメリカに持ち帰られた。そのうちの2頭は(1頭とも)、同年、イギリスのビクトリア女王に献上されたという。」とあり、

ペリー提督が持ち帰った件の脚注では「アーロン・スキャブランド『犬の帝国』(岩波書店)によれば、「チンは日本を象徴するイヌだった」ので4頭が贈られたという。そのうちの2匹、ミヤコとシモダの絵も収録されている。」と記されてます。
(*^。^*)

これらのことから推測すると、ペリー提督は4匹の狆を持ち帰り、うち2匹をイギリスのビクトリア女王に献上し残り2匹を手元に置いたと考えられます。
(*´ω`*)

そして黒船来航から7年後に渡米した新見豊前守・村垣淡路守らはペリー家に残った2匹と対面したのではないでしょうか?
(^▽^;)

(環境の異なる地で2匹とも生存していたとは驚きです!)
(*''▽'')

それにしても初めて会ったのに日本人と見分けて別れを惜しむほど慕ってくるなんて何て愛おしいのでしょう。
(^◇^)


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