「実名が“意味”を持つことについて@(アルジェリア人質事件報道の『匿名or実名』問題に関連して)」
メディアの話
例のアルジェリアでの事件について、日本人が複数犠牲になった(日本政府は「7人の死亡を確認」と21日夜に発表)と明らかになったことを受けて、今度は「被害者の氏名や身元を報じるか否か」が、少なくとも日本のメディアでは議論というか問題になっている。
報道によれば、国内大手メディアが加盟する内閣記者会は22日に首相と官房長官に対して「政府が公表していない被害者の氏名と年齢のうち少なくとも死亡が確認された7人分の公表を」申し入れたそうだ。申入書では「事件に対する国民の関心は非常に高く、日本政府が公的に安否確認を行うとともに、情報収集、救出、帰国支援に全面的に関与している」と指摘したうえで「『最も起訴的な情報』である氏名と年齢の公表を求めている」のだそうだ――と23日朝刊の朝日新聞は報じている。
で、その朝日新聞が22日以降に犠牲者の実名や顔写真(を「匿名を条件に」と言って取材したのに保護にしたとの
指摘報道)とか、あるいは実名は明かさないまでも知人たちへの取材をもとに記事に載せたりするなどメディア報道についての様々な意見が、さっそくウェブ上では飛び交っている。(特に朝日の報道に関しては
こことかで異論・反論が噴出している)。まあ、朝日に限らずNHKとかもやってるわけで逐一言及しないが、とりあえず注目すべき考察や論評として、
「
アルジェリア人質犠牲者の実名を匿名で報道する非対称性について」
(新teru0702の日記by今井照容 1月23日)
「
メディアの本質は覗き見趣味」
(フリーライター宮島理のプチ論壇 1月23日 10:36)
「
アルジェリアテロ報道に見るメディア業界の非常識」
(BLOGOS ふじい りょう(Parsley)1月22日 14:50)
などに述べられている。
今井さん(私の会社員時代の上司だけど、別にゴマすってるわけではない)の「記者は匿名なのに被害者は実名で報じるのか」という「非対称性」はまったく同感。
宮島さんの「何も恥じることはない。覗き見趣味や宣伝・告知、娯楽だって立派な仕事ではないか。今回のことをきっかけに、メディアは『正義』を掲げることをやめて、本分をまっとうするべきである」との締めには同感と共に快感(^-^)。
ふじいさんが指摘した、マスメディア側が「実名報道の理由」として「何よりの弔いになる」「事件を公的なものとして歴史に刻むため」との言い分を持ち出してきたことには、私も虫唾が走る(怒)。「てめーら、いつからそんなに偉くなったんだよ!!」って言いたくなる。自分たちが社会的なモラルの代表者だと臆面もなく言い放つ奴らこそ、実は骨の髄から腐敗しているのである。
あと、今回の事件に特有の事情(現場があまりに遠隔の地で、海千山千のジャーナリストたちにも容易に近づけないどころか、政府関係から出てくる情報も錯綜・混乱した)も踏まえておかなければいけないが、それもとりあえずここでは省く。
そのうえで私が言いたいのは、メディアにおいて、何か事件や事故があった時の「実名」とか「個人データ」とか「顔写真」が、何でこんなに“変な意味”を持つことになっちゃったんだろうということ。そして、それが社会からの「メディア不信」とともに、実は「メディアの取材力低下」にも繋がっているのではないか? という、自分の取材経験からも覚えた感覚だ。それは――と書こうと思いながら、ここまででもう長くなっちゃったんで、今回は「@」にしたうえでまた次回「A」に続くということで(って書くと大抵香かねーんだけど ^ ^;)、ではでは。

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