“決して風化させてはならない”「3・11」の影で、同じことを延々言われながら、とっくに風化してしまった「3・20」が17周年だそうです。まあ、仕方ないけどね。
それにしても相変わらず霞ヶ関駅での追悼式とかの話ばっかりで(どうせ予定稿みたいなもんだけど。ちなみに今年は荒木さんや広末さんなど関係方面は喧嘩もとい献花に行かなかったのかな)「少しは目先の違った記事はないのか」と探すうちにようやく見つかったのが、これ(↓)。
「
高校生がオウム手配犯の人形作り」(NHK 3月19日17時40分)
これなんか“現役”はもとよりOBが制作協力していたらもっと良い作品ができたんではないかと思った次第(そういえば京都のYさん、お元気でしょうか)。
そういえば少し前に、あるアーチストの方と震災関連(?)のイベントでお会いした際「僕は『3・11』とか『9・11』とか言うのが嫌いなんです」というお話を伺ったことがある。
「何ていうか、そういう数字で記号化されてしまった段階で、そこからこぼれ落ちていってしまうものがたくさんあると思うんですよ」
慧眼だと思う。そういう意味では「3・20」に記号化されてしまったあの事件は、当初から年月の中で風化することを、あらかじめ宿命づけられてしまったのかもしれない。「3・11」だって、やがてはそうならないと誰が断言できよう?
だとすれば「記号化」によってこぼれ落ちるものが流血のごとくに始終弛みなく(というか弛みきってしまった)流れ出るようになってからこそが「われわれ」の出番なのかもしれない。もっとも、それは決して報われない類いものなのかもしれないけど。

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