「新たに始まることが何もなくなり、終わりばかりが次々に始まる日常」
日記・雑記
訃報が何だってこんなに続くんだろうって嫌になる。著名人のほか仕事関係でお世話になってきた方々(ほんとに「誌面でどうするか」みたいな話が毎週出るみたいになりそうだ)、個人的な趣味関係の有名人、そして友人知人関係。コロナ禍で身動きが取れず、音信が途絶えているうちに亡くなっていた、なんて話も少なくない。個人的には親戚関係ではこのところそういう話があんまり出ていないのはまだしも幸いとしても、それとて嵐の前の静けさみたいなものかもしれない(実家に電話する頻度も最近はやっぱり増えた)。
特に我々の世代は幼少期から青年期にかけて次々と新しい人やモノが生まれる時代を生きてきたから、目下のこうした日々には、開闢以来ひたすら膨張を続けてきた宇宙が一気に収束へと進み始めたかのような胸苦しさを感じてしまう(なんてのは同世代でお前だけだよとか言われるかもしれないけど……でも今にして思えば、例えば我々と同世代のオウム信者たちなどは、そうした思いを少し早く胸に抱きつつ、少々極端な形で体現した存在かもしれない)。
あるいは世界なり人類の終末というのは、それこそオウム信者たちが信じたハルマゲドンのような一気に沸き起こる一大破局ではなしに、こうして淡々と続く日常の中で、現に既に進行しているということなのか。
「亡びは私達のくらしのすでに一部になっている」
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
そんなフレーズが頭に浮かぶが、しかしそれとて昔どこかで読んだ劇画や小説の中で既に語られていた台詞であることにふと気づく。でも、実際の滅びというのは結局やっぱり、現在進行形で最期の時へと一直線に向かって生きる私たちには、そんな既に頭の中にある何かからは想像できない形でやってきつつあるのかなとも思う。
だったら考えても意味はないし、何とか早くこの「新たに始まることが何もなくなり、終わりばかりが次々に始まる日常」を、神様だか仏様だか知らないけどさっさと持ってきてくれよ……などと不埒なことを考えるヤツのところにこそ、神様だか仏様だかは次の滅びを真っ先に持ってくるのかもしれないとおもったんで、こういう下らないことを書くのはこの辺で止めるp(#`Д´)q お目汚しにて失礼しましたm(_ _)m


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