4連休とはいえ、御承知の通り五輪絡みのこと(何しろ仕事柄無縁とはいかない)やら何やらで落ち着かない状況なのだけど、そんな中でも昨日は午後からひょいと東京を抜け出して逗子へ。2年前に亡くなった友人の、仏教風にいえば“三回忌”。
といっても大勢で集まるわけではなく、あくまで私が1人で勝手にやっていることである。また、そもそもお墓に行くわけでもないし、故人が生前に住んでいたあたりを回って野や海に花をささげてくるだけだ。期日としては本来はなら1カ月前に来るべきだったのだが、こちらの忙しさと梅雨時の天候不順もあって、気にかかりながら延び延びになっていた。
故人が住んでいた逗子市内の自宅を私は生前に訪ねたことはなく、2年前の急逝後、共通の友人たちに誘われて一緒に付近まで行ったのが最初だった。住宅街をのたうつかのように曲がりくねりながら行く細い路地の先に、そのモルタルのアパートはある。階段手前の狭い原っぱには、以前に故人が住んでいた都内の部屋のベランダでも見たような野草が。
「彼女が植えたのかもしれません」と、その際に道案内してくれた共通の友人の女性が言った。写真を撮って後でウェブに載っけたら、「ウイキョウですね」と親切な方が教えてくれた。故人は花や樹木が大好きだったが、友人である私は植物の名前にはとんと疎いため、そうした話を交わした覚えがない。
それから2年、今日が3回目の来訪だ。「ちょっと遅れたけど、今年も来たよ」と、周りに人影もなかったのをいいことに、マスクも外し、口に出して言ってみる。2年前にここにやって来た際、初めて来た場所なのに、その曲がりくねった細い路地をぴょこぴょこと歩く、小柄な彼女の姿が目に浮かんだ、というか、そこに感じたのだ。あるいはノコノコやってきた友人たちをその場で見守っていたのかもしれないし、今もこのあたりで漂っているのかもしれない。だから「まだいるのかよ」とも、これも口に出して言ってみる。
そんな間にも、手元のスマホには東京から何度も仕事の電話がかかってくる。何しろ明日が「開会式」であり、しかもそれに絡んだ大騒ぎが直前になって持ち上がったのだ。もっとも、先刻にこの路地のあたりにやってきた途端、スマホにトラブルが生じたらしく、受信しても先方の声が全く聞こえなくなってしまっていた(向こうからは私の「もしもし」が聞こえていたようだが)。仕方がないのかこれ幸いにと言うべきか、取り敢えず返信は後回しにしつつ、そのままその場でしばし想いにふける。
ちなみに後で東京に戻ってドコモの店に駆け込んだら「一時的なSIMの不具合ですね」ということで一発で直った。あるいは「せっかくこっちまで来たんだから、少しはゆっくりしてきなさいよ」と、故人が悪さをしたのかもしれない。生前の、あの悪戯っぽく笑う表情が浮かぶ。
とはいえ、そうゆっくりしているわけにも行かない。横浜駅で買ってきた花束から一輪を抜いてウイキョウ(なのかなほんとに)の手前に置き、紫陽花がすっかり枯れて蝉の鳴き始めた路地をもと来た方向へ帰る。
ただし、これもお約束というか、7分ほど歩いた海岸にも行き、砂浜から付き出した岸壁から残りの花とミネラルウォーターの残りを思いっきり海面にぶん投げる。既にコロナ禍も先が見えたということか、周囲の砂浜は若い海水浴客で大賑わい。ただしまだ酒はここで飲めないようなので、例年なら近くのコンビニからビールを買ってきて献杯するところを今年は自粛。生命力に溢れ返ってる若者たちの嬌声を岸壁で聴きながら、再び彼女に問いかける。「こんな素敵な街に引っ越して来て、まだそんなに経ってもいなかったのに、なんでそんなに急いでたんだよ」。
2年も経っても今だに、もしかしたらそのうちひょっこり「えへへ〜」とか言いながら現れそうな気がしてしょうがないんだけど、ともあれこれからも時々こうして会いに来ることにしよう。でも、これは……羨ましいと言ったら変だし、不謹慎との謗りも受けるだろうけど、早めに去って行ったために、今のこのコロナだのオリンピックだのでどんどん痛んでいく世の中を、君が見なくてすんだのは、せめてもの良いことだったんじゃないかって気も最近はよくするよ。


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