岩本版「7日間ブックカバーチャレンジ」その4は、村上春樹『遠い太鼓』。
春樹本は大半は読んでるし、カバーも毎回印象的なのでどれを選ぶか迷うところでもあったのだけど、ここは敢えて小説ではなく旅行記で。また、敢えてこの作品を選んだのもそれなりの思い入れがある。というのは、私がこの本を最初に読んだのは1990年の刊行直後だったけど、実はその後に出た文庫本(カバーは確か同じ平野甲賀さんの装丁だったと思うけど、
この単行本とは全然違う絵柄)も2回購入していて、その2回とも旅先で擦れ違った人に上げているのだ。
一度目は先日も触れた1993年の海外バックパッカー旅の最中で、同じような旅をしていた日本人の若者とゲストハウスで出会った際、日本語の本に飢えているだろうからと進呈したのだ。あの頃、アジアの安宿ゲストハウスを回ると、投宿したバックパッカーたちが残して行った世界各地の本がロビーの本棚にたくさんあって、日々何冊かが無くなって(誰かが持ち去って)行くかと思えば、また新顔が何時の間にか加わって……という感じで上手い具合に回転しているようだった。私が進呈したあの本も、あるいはその後にアジアハイウェー沿道の世界を行ったり来たりしたり、はたまたどこかの宿の本に今なおボロボロになりながらとどまっていたりするのかもしれない。
村上春樹がこの本で描いた、イタリア〜ギリシャを中心とした3年間の海外生活に出たのは1986〜89年のことである。作品で言えば、彼を一躍日本の代表的なベストセラー作家に位置づけることになった『ノルウェイの森』、初期の名無しの「僕」と「鼠」の物語の完結編(と今のところ見なされているようだが定かではない)『ダンス・ダンス・ダンス』の時期にあたる。共に日本を舞台(後者は部分的にハワイのシーンもある)とした小説だが、村上はその両作品とも日本を遠く離れた地中海の島々に居を構え、執筆以外の雑事をほぼ排除した環境下でまとめあげた。
私の村上読書歴は『パン屋再襲撃』(1986年)あたりからで、それ以前のデビュー作『風の歌を聴け』にも遡りつつ大学時代には『ノルウェイの森』以前の作品はほぼ読み終えていたのだけど、基本的にその大半が日本国内を舞台としていながら、そこに描かれた世界が「これって本当に日本なの?」との思いを常に毎回抱きながら読んでいた。ストーリーの半分が東京都心で(もう半分は主人公の頭の中に人為的に造られた仮想世界で)展開する『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にしても、著者自身が言う「初めてのリアリズム小説」で、都内の早稲田周辺や京都の山中のサナトリウム(実際にそうした施設があるらしい)についての細かい情景描写が展開される『ノル森』にしても、読み終えてみるとそこにはやっぱりどこか扉の向こうの「異世界」を覘いてしまったかのような妙な浮遊感にしばらく捉われるのだった。
無論、それは村上がそれまでの日本の文学や文壇といった世界から距離を置いたり、特に『ノル森』の場合は海外で小説を書いたりしていたということ以前に、子供の頃から彼が親しんできたという海外の文学作品の影響を受けていたということが大きかったのだろう。ただ、村上はこの『遠い太鼓』の旅から帰ってからほどなく、今度はアメリカに渡って大学で教鞭も振るいつつ、その後も日本を舞台とした小説をあくまで日本語で書き続けた。『ノル森』以降は海外からの注目も高まり、米国内の作家や出版業界との結びつきも強くなっていった中でもそれは変わらなかったし、『遠い太鼓』に続く海外旅行記やエッセイでも、海の彼方の日本に対して「まともだけど普通じゃない」(あれ、逆だったかな? 確かインタビューでそんなふうに語っていたけど)国として、どこか突き放した目線ではありながらも絶えず関心の対象とし続けていた。
といっても私自身、特にそうしたことを意識しながら村上作品のファンになっていったということではない。もっとも、この「7日間ブックカバーチャレンジ」で自分の拙い読書歴を辿りながら個々の作品を辿っていく中、やはり私が業界誌記者→バックパッカー→フリーライターという道筋を辿っていく課程で、村上春樹という作家の影響をかなり受けている(なんてやたらめったら恐れ多いことを恥ずかしげもなく書いてますけど。大丈夫かお前 ^ ^;)ことを改めて感じさせられたことも、また確かなのだ。
それは村上が長期の海外生活を切り上げて日本に帰るきっかけとなったのが、ほかならぬ「オウム事件」だったという部分でも、やはり合点するものがあるのだ。
彼が地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー集『アンダーグラウンド』を出したのは1997年だったが、当時まだフリーライターになって2年目だった私には、何故「あの村上春樹が」そんなことをやろうとしたのかがよく理解できなかった。それは他のノンフィクションの書き手の方々も同様だったようで、村上とたぶん読者層が結構重なるであろう(って私もその一人だが)沢木耕太郎も当時、同作には否定的だとしながら「村上さんは何をやりたかったのか」「彼自身にはわかっているはずだ……」とインタビューで述べていた。
が、その後、ご承知の通り私自身も全く思いがけずオウム問題への取材に手を染めることになってしまう。そうした取材を通じてオウムという、まさにこの日本社会が生み出した存在、そしてそのオウムというフィルターを通して日本の社会やらメディアやらを眺めていくという作業を経た今では、村上春樹があのタイミングで「オウム」に向かっていった理由というのが、何時の間にか何となく自分の中でも「しっくり」くるようになっている。このあたりは書き出すとまた長くなるので(止まらなくなるので)また別の機会に改めることにするが、最近のテキストでそのあたりについての参考になりそうなものとしては、彼へのインタビューを集めた『
夢を見るたびに毎朝僕は目覚めるのです』(2010年、文藝春秋)が一番手っ取り早いのではないかと思う。この本で村上春樹は自作と「オウム」(特に麻原彰晃という人物)との関わりについて、いみじくも主に海外メディアからの取材に応える形でかなり突っ込んで語っているのだ。
締まりがないので最後に一つ自作宣伝ついでに。私が2000年前後にオウム問題を取材し、その際に現役信者に対して行ったインタビューや信者転入騒動のルポについては『
ドキュメントオウム真理教』(1999年、創出版)、『
町にオウムがやって来た』(2001年、リベルタ出版)という2冊の共著に収録されています。どちらも共に今では絶版同然になってしまっているけど、いずれコロナ騒動が収まった頃にでも図書館などで探して読んで頂ければと思います(^ ^; ちなみに前者は刊行直後、村上春樹さんにも一冊献本で送ってるはずなんだけど、はたしてどこかで目を通すぐらいのことはしてくれたかなあ……。

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