「自分が批判したい相手の名前を伏せてるヘタレでどうすんのよ(笑)」
日記・雑記
こんな記事が出てましたね。
「
地下鉄サリン事件 21年 カルト教団はこう見破れ! 滝本太郎×青沼陽一郎」
(サンデー毎日 2016年4月1日)
まあ、滝本さんは今も滝本さんなんだけど(あたり前だけど ^ ^;)、立場や意見の違いはともかく姿勢としては一貫していると思うので、特にここで何か言おうとも思わない(私もオウム界隈の取材から離れてしまって久しいしね)。
ただ、もう一方の青沼陽一郎さんに関してはーーこの方とは直接の面識はない(少なくとも直に挨拶したことはない)ので、その前提で言うのだが、やっぱり青沼さんは今も青沼さんなんだなと(苦笑)。例えば以下のような発言個所。
《青沼 また、メディア批評を好むある雑誌では、毎年マスコミ就職向けの夏季実践講座と称して学生を「ひかりの輪」の上祐史浩氏と、世田谷の教団施設で引き合わせています》
「メディア批評を好むある雑誌」なんてもったいぶって言わずに普通に『創』って言やいいのに(笑)。ま、正確には『創』の発行元である創出版が同社が発行する『マスコミ就職読本』関連の企画としてバカの一つ覚えで毎年やってるものだが、しかし批判する相手の名前を言えなくてどうすんだって感じだな。
まあ、もしかしたら毎日新聞が配慮したのか、あるいはこの対談記事におけるこの個所の前段で触れている「大学での勧誘」と創出版の夏季実践講座とを何となく結び付けて語りたいとの思いが、毎日新聞なのか青沼さんなのか誰なのかはわからないけど働いた結果なのかもしれないけど、そこは何とも判断しようもない。
ちなみに青沼さんに関しては私自身は個人的に上記の通りで特につながりもないんだけど、1999年から2000年にかけての頃、森達也さんや私がオウム問題を取材していた頃にこんなことがあった。森さんが、当時私たちが取材していた群馬県藤岡市の教団施設周辺で信者と住民が日常的に交流している様子を『週刊朝日』のルポに書いたところ、同誌の編集部に青沼さんが「オウムに利用されている」と言ってきたという話を、『創』の編集長経由で聞いたのだ(私がその話を後で森さんにしたところ、森さんは全然知らなかったようで驚いていた)。
公の場で誰かを批判したいなら、その批判する相手の名前を出せばいいのに。もちろん「あえて出さなくても相手には伝わるだろうし、批判するにしても少々気の毒だから」と配慮して匿名にすることはあるだろうし、私もたまに「どうせアイツ読むだろうしな。でもちょっと可哀想だから」と思いつつ匿名にすることはあるが、とはいえそういう場合でも反論の石の礫がこっちに飛んでくることも覚悟のうえで書くべきだろうと思っているし、その覚悟ができないならそもそも書かない。
それで思い出すのは江川紹子さんが最初に森達也さんや『A』についての批判を書いた時の記事で、今すぐには出展が出てこないんのだが、確か江川さんは「森達也」とか映画の題名とかの固有名詞を一切出さずに「こんなものが存在すること自体がけしからん! 私は絶対にこんな映画や作り手について何かを書く気はない!」的な批判をしていたのだ。
ようするに「批判する相手と同じ土俵に載せられること自体が許しがたい!」ということなんだろう。これはその後に私がネトウヨの取材とかをしていた時にも感じたことで、私の書いたことに連中がwtterとかであれこれ難癖つけて盛り上がっていたのを見て「すみませんでした」「いや〜、もっとどんどん批判してくださいね〜」的な書き込みをしていたら、先方から次々にブロックされた(^_^;)。批判されてる俺が耐え切れずブロックしたんじゃなくて、批判された俺がやり返したら、批判したほうが「もう近づくな! 関わるな!」って(実際にそんなことを言われたなあ)言うんだから「何なんだこれ?」と感じたものだった。
これも毎度書いていることだが、ブログでもネトウヨとのやりとりが始まったのをきっかけに私は自分の住所や連絡先を全部公開したが、今日に至るまで嫌がらせ的な電話やメールは一本も来ていない。ブログにへんなコメントを書いてきた連中のIPアドレスをさらした途端に書き込みがなくなったという話も、既に書いた通りだ(ネトウヨと反対側の人たちからも他の雑誌やサイトでそこそこ批判を浴びたこともあったけど、そちらからも同様に、公開している連絡先あても含めてこれまで私のところへの直接的なリアクションはまるでない)。
とどのつまり、相手に届かないことを前提に書いてる批判って結局単なる「悪口」「陰口」の類だし、それは相手よりも、それを言ったあなた自身を卑しめるだけなんだよ。批判した相手から反論の礫が飛んでくるのを怖がって相手の名前を伏せたり、予め「相手と同列に論じられたくない」なんてヘタレに卑怯な逃げ道を用意すんじゃーねよ。そう思うので、今はfacebookに書いている上記の記事も、私が批判した方々の目に留まりやすいようにこのブログにも後で転載しておこうと思う。何か反響があるのかないのかしらんけど、どっちにせよ私は普段と同じ日常を心と財布の(^ ^;)赴くままに生きてゆくだけの話だ。

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