「川崎市港町・多摩川河川敷の「現場」を訪ねる(その3)」
メディアの話
え〜と(- -; すみません。3月6日深夜(7日早朝)に「
その2」を「(つづく)」と書き、明日には「その3」を書きますみたいな返事をしていたものの、その後は仕事その他でドタバタしたこともあって、それっきりになってしまいました。
今日は3月25日。今さら3月5日夕刻の現場訪問記を載せてもしょうがないかな……という気もしたんですけど、一応「書きます」と明言しながらそのままというのも良くないなと思ったのと、個人的に「え、あれってまだ3週間前? もっと経ってなかった?」って感じなもので(汗)。
こうしたウェブ上のほかに、仕事であちこちに取材しつつ、いくつかに(週刊誌と月2回刊紙と月刊誌と、たまには平日毎日発行のメルマガにも)書いていたりすると「一週間前が大昔」みたいな感覚になったりするのだ。徹夜明けのぼーっとした頭で「もうあれもずいぶん前の話だよな」と思い出した次の瞬間「いや、まだ先週や先々週の話だったりするんだ!?」と驚いたりもする。
などといった前口上は末尾の後口上に回すとして、ともあれ「3月5日がなおも続く」本題だが、貴方がせっかちな方でしたら手っ取り早く、前回に載せなかった以下の写真を見てもらい、記事はここらでパスしてもらったほうがいいかもしれません(^ ^;
ともあれ3週間も空けると、新たに知ったり生じたりする動きもいろいろある。
例えば前回は「殺人現場」への最寄り駅として私が降り立った鈴木町駅(市の玄関口である川崎駅から京急大師線で2駅、所要6〜7分)の周辺に味の素の施設や工場が林立していて、その現場も「味の素叶崎事業所の管理地(土地の所有者は川崎市)」だと書いた。
で、やはり記事に対して予想通り「このケースで味の素の企業名を出す意味はないんじゃないの?」といった反響もあったんだけど、そこで逆に私も教えてもらったことがある。
というのは(古くからこの地に住んでる人も「何を今さら」と言うでしょうが)、先に上げた現場最寄りの鈴木町駅は、もともと「味の素前」という名前で開業し、後に味の素の創業者である鈴木三郎助氏にちなんで1944年に改称されたと
川崎市川崎区の公式サイトに書いてある。
「だから何だよ?」とまた言われるだろうが、実は私(が今後この件を取材するかどうかはともかく)のような「遅れて現場にやって来た」フリーランスの物書きなどが拘るのが、そうした現場のディティールだ。
想像力を少し働かせてもらうといい。例えばテレビなどで散々報じられた現場で「一角を埋めた花束の前に集まってくる人たちが静かに手を合わせて被害者への冥福を祈っています」的な光景からは、その花束の前で埋まった一角の周囲で花束の海と同じくらい目立っているために供養で訪れる一般の人々を躊躇わせるんじゃないかというほどの存在になっているマスメディアの報道陣(何しろテレビだけでもNHKと在京キー局各社がいずれも各社それぞれ4〜5人のクルーを出している)の存在は見事に捨象されている。
そして、これもあちこちの事件や騒動の現場を見てきた経験からわかるのだが、そうしたマスメディアの報道陣は自社の映像の中に他社の取材スタッフの姿が写らないように気を遣うし、現場に集まった各社間でもそこは自主規制的に留意する。例えるなら日本テレビの番組に「TBS」とロゴの入った腕章やビデオカメラを携えたスタッフがあからさまに出るわけにはいかないのである。
(一方で、普段にないイレギュラーな場所やテーマで、それまでに注目が集まっていた話題に関する記者が開かれたりする場合には、会見場におけるカメラポジション取りとかに彼らはやたら一生懸命になったりする。正面ひな壇の会見者を会場の後方から横並び&ズームで撮影する映像なんてのは一般の視聴者からすればどれもほとんど変わらないと思うのだが、さすがに局の上役は長年の経験からわかるらしい。それで帰社後に「お前、○○局との場所取りに負けたな!」と説教されるし、そのクルーについていた外注のスタッフなどはそれこそびくびくしなければいけないんだろうと推察する)
だから延々と、河原の「殺人現場」にせっかく取材に来ていながら、お互いに自社スタッフの姿が他社の映像や中継に写り込まないように腐心するし、だから広々とした河原の土手の一角に三脚を立ててドスンとカメラポジションを確保したうえ、そこから離れたところに関する情報や、カメラのファインダーから外れたところの映像はもとよりネグる。
無論、現場までやってきた一般の人々への個別取材はやることはやるが、それはカメラマン以外のディレクターたちがカメラに写らないところで個別に交渉し、「ここでは騒がしいですから」と少し離れた土手の上とかに場を移してインタビュー取材をやる。こういうのは取材現場に来た各社間で自ずと「お約束」のように成立するのだろう。
そんな現場を私はふらふら歩きながら、横並びのビデオカメラの連中が「花束にメディアスクラム」をかます様子などを遠慮なく撮ったりするわけだ。ただし、本来ならそうした連中や、追悼すべくあちこちから集まってくる一般の人々にも直撃して話をきいてみたいのだけど、そんなことをやったらたちまち面倒な大騒ぎになったりするのだろうなということも察しがつくので控える。でも、おかげで私や、その事件や現場を、時間的には遅れてもいいからきちんとルポルタージュしたうえで描きたい考える表現者たちは、そうした思いに基づく作業を結果的に邪魔されてもいる。
「ああいう事件は発生直後にテレビの視聴率や出版物の部数、あるいはネットでのヒット数が稼げるかなんだよ」という向きからすれば、別にそんなのどーでもいいじゃんと言われるだろうが、事件や現場の周辺で展開される「どーでもいい話」にも、最終的にそれを書くかどうかはともかくとして丹念にあたりながら「実際にその場であったことや、それを取り巻く背景にあったコミュニティ(家族や地域、あるいはネット上の空間でもいい)はどういうものか」を取材し、一つの作品に構築していく作業が、ノンフィクションだとかルポルタージュと呼ばれる作品を構築なしていく作業において、必要不可欠だとは言わないが、それが誰かの勝手な都合や事情だけで妨げられる世の中っていうのは決して健全なものではない! と今回の遅ればせながらの中途半端な探訪を通じても思わざるを得なかったのだ。
などと書いてたらまた長くなったし、明日も仕事があるので、後は写真も併せて残しながら「(その4)」に回しますね。しかし狼少年だな。でも、こういうことも、今回のような事件に関連して、自ら好き勝手に書ける場だこそ、書いておいたほうがいいのかな。誰が読むのかこんなもんとも思いつつ(^_^;
(またづづく)

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