「東京生活27年目、フリーライター生活20年目のある日、中央線の終電に乗りながら思ったこと」
日記・雑記
昨日は朝9時半から夜10時まで、毎月仕事している月刊の出版・広告業界誌の校了日ということで、神保町の事務所でひたすら作業。そのため恒例の金曜官邸前・国会前には今日も行けず、3週連続の欠席に(すみません - -;)。
でも、仕事先の編集代表(自身も仕事の傍ら自らが追い求めるテーマで著書を出している)が「ライフワーク」と「ライスワーク」とよく言うように、また私自身も曲がりなりにも20年近く「フリーランスライター」を生業としてきた(それで良かったと正直に言える)以上、そこは己の仕事の誇りにかけてもしっかりやらねばならない。
それでも夜10時までかかってしまったというのは同誌においてはレアケース。しかもそうなった責任は私にもあるので素直に反省。終了後は事務所近くで打ち上げの御馳走に預かる(ありがとうございました)。
帰路は既に日付が変わった0時過ぎの中央線各駅停車。今から6年ぐらい前までは毎月こんな調子で、その後に心身のバランスを崩して生活保護だ(これはおかげさまで何とか脱した)鬱病だで、そんな日々から少し遠ざかっていたけれども、ここ1〜2年で再びそんな日々に戻ってきたのだから少しは「復活」したと言っていいのかどうか。
もっとも、以前も思ったように夜中の0〜1時になってもこんな満員電車で大勢の人が帰宅の途につく東京という大都会がマトモな街だとは、社会人になるまで名古屋や静岡や盛岡で育ってきた私には今なお到底思えない。
思えないけど、その感覚を絶対忘れたくないなと思いながら、この街で20年近く(その前に東京に来て最初に入った業界誌時代からだともう26年。現在50歳の人生の半分以上)を過ごしてきた私は、今も目の前に立ちはだかる「裸の王様」たちを嗤う「大人になり損ねた子供」として生きている。
たまに「いいかげん大人になれ」とか言われることもあるけど「こんな馬鹿げた世の中をこしらえた大人のテメーにそんなこと説教される筋合いは無え! せいぜいテメーの老後とテメーの子供のことでも心配してろ」とか噛み付きたくなる50歳の独身・子供なしの万年ガキンチョなのでした(少子化に貢献中、でもないか。自分がいつまでも子供だから ^ ^)
まあ、これからの世の中(なーんか日本の国内や周辺や世界のあちこちでもキナ臭いことになってきてるしね)で下手に長生きするよりは、醜い世界を見ないままにさっさとガキンチョのままくたばりたいとの思いもあるしね。そもそも俺が60〜70歳とかになった頃の世の中なんざ別に見たくもねーよ。
などと考えながらスシヅメの中央線各駅停車に揺られた7月19日の午前0時過ぎ。これ載せたら、また親や妹から怒られるな(^ ^;

2