2008/8/27

朝青龍の話  教育・学校・教師


 今日から大相撲が初のモンゴル巡業だとかで、朝青龍が張り切っています。ところで、あの朝青龍の解離性障害はどうなったのでしょう?

 私はこれについて、最近「心の傷は言ったもん勝ち」(中島聡著 新潮新書)という本を読みました。「心に傷を受けた」と宣言したら、あとは何でも可能。詳しい検証もないまま懲罰を回避したり、一方的に相手を加害者と断罪できる、そうした現在の日本のあり方を問題とした本です。

 学級内の権力争いに負けても「いじめられた、心の傷を受けた」と言えば一発逆転で相手を窮地に追い込むことができる。セクハラも「あの時は我慢して笑っていただけ、本当は死ぬほどいやだった」と言えば、後出しジャンケンみたいなやりかたでも通ってしまう(そのときに言えよ!)。「確かにウチの子も悪いけど、あんな叱り方では心の傷になって残ってしまうでしょ」そういう言い方で、悪事自体が相殺されてしまう・・・。

 確かに、困難な心の病気を抱えている人はたくさんいますし、その中には「がんばれ!」と言ってはいけない人も大勢います。しかしだからといって「がんばれ!」と言わなければならない人だって一方にたくさんいるのです。同様に、「イジメは加害者が100%悪い、被害者には何の落ち度もない」といった言い方にはやはり問題があるので、100対0の人間関係など、そうあるものではありません(そのことはイジメのもうひとつの定理「イジメでは一晩の内に、イジメる側とイジメられる側が入れ替わってしまう」を考えれば、状況がそう単純でないことはすぐに分かります)。
 
 「心の傷は言ったもん勝ち」
 内容自体はさほど新鮮ではありませんが、被害者もまた考えなければならないということが、書籍になって世に出回る時代になった、そういう意味ではとても新鮮でした。


 ところで、電車の中でやってもいないのに「この人、痴漢です」と名指しされたとき、どうするのが正しい態度でしょう?

 ネットによると、「自分の身分を明らかにして連絡先を書き渡し、その場から立ち去る」だそうです。駅員のところへ行ってはいけません。駅員はマニュアル通り警察に連絡し、そのまま現行犯として逮捕されてしまうからです。そうなると何年も裁判に縛られ、しかも「やらなかった」ことをこちらが証明しなくてはならなくなります。その難しさは、映画『それでもボクはやってない』に見られるとおりです。

 しかしその場から立ち去ってしまえば、今度は警察が十分な証拠をそろえて逮捕状を取らなくてはなりません。「やったことの証明」は「やらなかったことの証明」と同じように難しいから、なかなか逮捕にはいたりません。正直な身分と連絡先を残すのは、「逃げた=やった」という推定を回避するためで、決して嘘をついてはいけません。

 こう書きながら、私は本当にむなしい気持ちになります。
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2008/8/31  20:04

投稿者:SuperT

横綱は日本の国技の最高位ですから、どんなに素晴らしいことをしても加点ということはなく、その存在は減点法でしか評価されないように思います。
確かに朝青龍は偉大なことを成し遂げたかもしれませんが、それは当たり前のこととして記憶からも報道からも消えてしまいます。残るとしたら、それは数字だけです。双葉山も大鵬も千代の富士も数字を残したから「偉大な横綱」なのであって、数字の残らなかった北の富士はおそらく偉大な横綱として名を残すことはないでしょう。

朝青龍も数字を残すでしょうが、減点もまた多い人ですから、どういう形で名を残すかは今後次第ということだと思います。

しかし、それとは別に、あの朝青龍バッシングについては、私も間違っていると思います。いかに横綱のスキャンダルとはいえ、天下のNHKまで巻き込んで連日報道しなければならない事項とは思いません。

昨日も
「朝青龍、写真集でポニーテール姿…再発防止検討委員会で問題」とか
「視当てつけ?朝青龍 大胆“Uターン帰国”」とか
 これらも全国ニュースで流す価値のある問題とも思いません。

 本当に大事なことは、いつも報道されません。


2008/8/29  22:25

投稿者:草原の風

 確かに、私も「心の傷」に対して過大にとらえる傾向には疑問を持ちますし、被害者を正義とする捉え方は間違いだと思います。
 しかし、この本が、冒頭、朝青龍を例に挙げていることには不見識を感じています。朝青龍関が昨年受けたショックは命を奪うに相当すると思うからです。
 相撲という興行では横綱の肩に、相撲協会所属の1150名の生活が掛っています。朝青龍は1人横綱としての3年半、その孤独と重圧を受けとめ、責任を果たしてきました。彼が務める結びの一番は、内容、気力の充実、土俵上での空気など、それまでの取り組みとは次元が違うのです(私のような素人目にも)。当時、私はこうしたことを意識せず見ていましたが、いなくなってすぐに気づきました。
 そして、あの凄まじいバッシングで逆に朝青龍が抱えているものを知りたくなりました。調べてみたら、戦後、日本人で一人横綱を経験している人は、大鵬、北の富士、千代の富士の3人しかいないこと(最長が北の富士で1年半)や朝青龍は本場所休場が歴代横綱中最も少なく、巡業を休んだことのない唯一の横綱であることを知りました。
 朝青龍といえば「七連覇」とか、強さが強調されますが、実はそれ以上に「休まない、休めない=無理をさせられた」横綱であったのです。 こういう事実に、私は驚きました。そういう一面がまったく報道されませんでしたから。
 遊牧民であり、日本語は外国語である朝青龍にとって、謹慎は、意味もよくわからない、けれど極悪人扱いをイメージさせる、たいへん屈辱な罰だったことでしょう。
 抑うつ状態にあるとき外国語で話しかけられることも、苦痛だったでしょう。
 そもそも、行動を咎められた7月25日は、本場所が終わった直後で全力士の公休日です。休日に両国政府を通じて相撲協会も承知だったチャリティ行事に出席し、サービス精神でサッカーをした(迂闊ではあります)からと、極悪人のように叩かれることは、まったく理解できなかったことでしょう。
 昨年、朝青龍関に日本人が投げつけた悪意の総量を考えると、私は「心の傷を言ったもん勝ち」の例として朝青龍関を上げるのは甚だ不適切だと思います。
 モンゴルの人にこれ以上、日本人が愚かだと思われたくなくて、投稿いたしました。

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