2022/5/13

「学校依存は文明人の証、学校教育は親たちの既得権である」〜教員の働き方改革が進まないわけD  教育・学校・教師


 教育に関するすべてを、学校にやってもらおうと考えるのは文明人の証。
 いちど手にした権利は決して手放さないのも消費者として当たり前。
 これまで学校が引き受けてきたものを、親に返すのは容易ではない。
 教員の働き方改革は、ここでも出口をふさがれている。

という話。
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(写真:フォトAC)


【「失われた20年」:何をやっても教師は受け入れた】 

 4日もかけて「教員の仕事は増えこそすれ減ることはない」「教員は増やせない、少なくとも向こう3年間は絶対に増えない」という身も蓋もない話をしてきました。なぜそんなことになったのか――。
 大きな原因は、学校に求められるものが際限なく増えていくということを、「定数法」がまったく予定していなかったからです。時代の変化をまるで考えず、ただ児童生徒数に連動して教員の数を決めるやり方は、ここにきて行き詰まります。

 ただしこれは制度設計の失敗というより節度の問題なのかもしれません。昭和の間はそれでもむやみに追加教育を増やすということがなかったからです。
 それが平成になって、何をやっても教員志望の減ることのない大不況、「失われた20年」の中で、政府も国民も節度を失ってしまったのです。
私はそこに、保護者たちの消費者行動と既得権の問題があったと思うのです。


【親たちの要求は、文明人の当然の帰結である】
 私たちは文明人です。
 文明というのはそれまで人間が苦労して自分でやったり、できずに諦めたりしてきたことを、機械や組織や他人にやってもらう社会の仕組みのことです。したがって子どもの教育に関しも、厄介な性教育を誰かにしてもらいたい、コンピュータなどとても教えられないから誰かに担ってもらいたい、英語は子どものころからやった方がいいから誰かにしてほしい――そうした考えるのは当然のことなのです。

 さらにそこに消費者として行動規範が絡むと「できればタダで」ということになります。
 消費者の最も基本的な規範は、
「できるだけ少ない(金銭・エネルギーの)支出で、最大の利益を追求する」
ですから、供出する金銭や労働力・時間は限りなく小さくして、最大の利益を得ようとするのは消費者として正しく賢い態度と言えるでしょう。
「PTAは任意だから参加する必要はない」などはその典型です。別な言い方をすると、昭和の親たちは、学校をサービス提供者だと考えていなかったということです。


【教員を追いつめている、その誰もかもが悪くない】
 議員は、そうした人々の要求をできる限り実現しようと努力するのが仕事です。議会制民主主義の基本的あり方です。
 親たちの、性を正しく理解し逸脱のない子に育ってほしい、コンピュータや英語に堪能な大人になってほしい、それらは正当な願いですから、そのために努力するのは当然です。同じ願いは政財界からも、国民全体からももたらされます。

 議員が発議し、決まったことを官僚や役人が具現化します。昔の官僚は自らが政治の中心と考えていましたが、今は議員のしもべです。自ら考えるのではなく、国民の意思をどう具体化するかが主な仕事になります。主張をしない代わりに責任から逃れています。
 地方も同じです。国から降りてくる教育政策は国民の意思ですから、都道府県教委・市町村教委、あるいは校長も従わざるを得ません。
 誰も間違ったことをしているわけではないのです。しかし現在の切羽詰まった状況が、正しい状況でも満足できる状況でもないことは、誰の目にも明らかです。


【学校教育は親たちの既得権である】
 国民の意思を実現するといってもさすがに入る一方で潰すものがないようでは行き詰まりますから、文科省も都道府県・市町村教委も何かを潰す算段を始めます。そこで教育課程外の部活に目をつけるのですが、これがなくせないことは今や明らかです。親の既得権ですから。

 地域に人材が溢れているわけではありませんから、学校の部活をそのままの大きさで地域に移すことなどできません。できるとしたら数校で1チームをつくる小学校のリトルリーグのようなものを考えるしかありませんが、保護者がそれ受け入れるとはとうてい思えません。
 リトルリーグの保護者たちもそれなりに苦労しているのです。道具を揃えたり管理したり、練習場所を押さえたり試合を計画したり、毎日会場まで送り迎えをしたり――。それでも現在は休日中心の活動ですから何とかなっています。これが平日も、ということになれば大変です。

 中学校に上がればスポーツあるいは文化的な活動の場がいくつも用意されていて、子どもは自由に選ぶことができる。それは無料で、レベルが高く、しかも毎日一定時間、確実に子どもを預かってくれる――そんな素晴らしい権利を易々と手放し、自腹でクラブチームに入れ、活動を支え、毎日送り迎えする、などと言う道をすすんで選ぶ親はまずいないでしょう。そんなことになったら親同士が協力し合っても、月に2〜3回は仕事を休んで子どもたちの送り迎えをし、休日も潰さなくてはなりません。

 先生たちが大変なのは分かる、だから部活がなくなるのは仕方ない、しかしそれはウチの子が卒業してからにしてくれ、それが親の本音です。私だってそう思います。
 部活ですらそうなのですから、教育課程内の内容をいまさら、
「道徳は家庭で教えるもの」
などと返されても困るのです。全力で抵抗します。


【けれど道はある】
 さて、ここまでくると「何をやってもダメだ、黙って教員を続け、過重労働に耐えろ」といった話になりそうですが、そうではありません。教員の働き方改革には、ものすごく高いハードルがあるということです。
 それは文科省にとっても越えがたい壁で、だからこそ教員採用に関して、大臣もあんなつまらないことを言わざるを得なかったのです。
ただし、そこにも道はある、と私は思っています。

 本当は一週間(5日)で終わらせるつもりでしたが話が長くなりした。続きは来週に回そうと思います。

(この稿、来週に続く)
 
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