2022/1/6

「学校再開にウンザリしている先生方へ」〜3学期の始まりに  教育・学校・教師


 どんな仕事も一年目は辛い
 二年目は世界が変わって見える
 しかし何とかやっていけると思うには やはり10年はかかる
 どんな仕事に就いたとしても

という話。
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(写真:フォトAC)


【気持ちよく出勤した】

 再任用現職の妻は、昨日、半日出勤で心にアイドリングをかけ、今日から正式出勤です。会議も多少は入っているようです。

 新学期、現場にいたころの私は学校も仕事も好きでしたから、割と張り切って出かけたと思います。
 もちろん最初からそうだったわけではありません。初任で学級経営に失敗してクラスは荒れ放題でしたから、本当に大変で楽な舵取りができるように思えなかったのです。けれど、ものを知らないというのは案外うまく働くこともあって、これまであんなに酷かったのだからそれ以上悪くなることもないだろうと、根拠のない希望に支えられて登校しました。
 実際、二学期以上に悪いことはありませんでした。

 それは、あとから考えれば子どもたちだって新年・新学期は良いものにしようと、気持ちを改めて出てきているからです。2学期の初めだってそうでしたが、何といっても日数が長すぎて清新な気持ちがもちません。その点、3学期は極端に短いですし、カレンダーにバツ印をつけているだけで終わってしまいます。さらに加えて途中に節分があって、やり直し気分を再興することもできます。鬼を払ってやり直しです。

 2年目もその荒れ放題のクラスを担任しました。大昔のことですから簡単に担任を外さなかったのです。生徒にはクラスを荒らせば担任を替えられるという経験を積ませたくありませんし(全校的にも)、担任にも乗り越えてもらわなくてはならないという考え方がありました。もちろん現実問題として校内に進んで引き受けようなどという教師はいませんし、事情を知らない転任組教師に任せるのも心配だといった事情もあったのでしょう。
 おかげで私は3年間とても苦しい日々を送ることになりましたが、それで外されたくはなかったし、持たせてもらってよかったと思います。
 このときの経験は生涯の宝となりました。ただし生徒たちには気の毒だったのかもしれません。


【それでも2年目はかなりマシ】
 初任の2年目は――、ここには決定的な違いがありました。管理職になっての2年目も同じでしたが、見通しがあると世界がまるで違うのです。2年目は力の入れどころと抜きどころがわかります。これは仕事にメリハリができるということです。すべてに全力投球だった一年目は余裕というものがどこにもなく、疲れ果てて失敗も増えるばかりでした。
 教員の仕事は膨大ですが、前年の書類を書き直すだけでいいものもあれば、適当に扱っていい仕事だってあります。それになんと言っても、1年目は新しい仕事に会うたびに、それは何か、全体像はどうなのか、手順はそうすればいいのか等々、ひとつひとつ知るところから始めなくてはならなかったのに、2年目はほとんどが理解可能です。
「段取り八分、仕事二分」といいますが、その八分の部分がとても楽になるのです。

 中学校の先生だと授業準備が格段に楽になります。1年目で同じ授業を別クラスで何回か行っていますから、あとは何かを加えたり減らしたりすればいいだけです。一からやるのとは全く違います。
 小学校の先生でも、教材は異なってもやることに大差はありません。


【職人芸は時間がかかるが埒は開く】
 ただ、教育活動のその場その場の対応、個々の児童生徒あるいは保護者への対応となると簡単には行きません。なにしろ「ああ言えばこう言う」「こう来たらああする」といった手練手管の世界ですから経験がものを言う、一朝一夕には身につかない職人芸の世界だからです。

 大工さんだってそうでしょう・基本的なノコギリやカンナの使い方やさまざまな用語・方法については1年もあれば身につくが、レベルの高い仕事だとか客の無理な注文に応えるとなるとそう簡単にできるようになるわけではない、経験と学習によってしか身につかないものです。
 営業マンだって小売業だって、警察官や消防士だって、およそ職業というものはどれも同じようなものでしょう。どんな状況になっても不安なく対応できる、むしろ困難が大きい方が面白いと思えるには、やはり10年はかかります。
 私の場合は7〜8年目あたりから何となくやっていけそうな気分になり、途中で校種を変ったので一部振出しに戻って、12〜13年目あたりになってようやく「学校で起こることのほとんどは何とかなる」と思えるようになったと思います。
 新学期に張り切って出勤できるようになったのは、それからのことです。

 ただしそれで暇になったわけではありません。何といっても面白いことに歯止めをかけるのが難しく、より良く、より深く、より楽しくと考えると、時間は食われる一方です。私の場合は仕事と同じように大切で面白い、家族という枷がありましたから行きっ放しになりませんでしたが、楽しさに溺れる人だって少なくありません。
「仕事、仕事で、家庭をまったく顧みない働き蜂」というのも、教員に限ったことではないでしょう。働き蜂にならない方法のひとつは、つまらない仕事に就いていることなのかもしれません。


【教職の真っ白な側面】
 教職はブラックだという評価は定着し実際にブラックですが、他の仕事がどれほどホワイトかは分からないところです。もちろん就労条件も良く、働き甲斐のある職場というのもたくさんありますが、そういうところはたいてい入るのが難しいということになっています。
 私の場合は教職に就く前の仕事が、半分ひとを騙すような内容のブラック企業でしたので、内容の限りなく白いこの教員の世界を離れることは考えませんでした。 
 そういうことです。
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