2021/4/20

「私は絶対にコロナで死にたくないと思った日」〜新型コロナ医療の最前線と銃後A  政治・社会・文化


 新型コロナ医療の最前線では、死に物狂いの戦いが繰り広げられているというのに
 銃後にはほとんど気にせず遊び歩いている輩がいる。
 しかし人間には能力差というものがあるのだ。
 いかなる場合も、社会のバランスをとるのは能力のある者たちだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【新型コロナ医療の最前線と銃後】 

 新型コロナ医療の最前線では、多くの医療者がとんでもない緊張感の中で持久戦を続け、戦士が次々と倒れています。それなのに銃後はいたってのんびりとした雰囲気。病院の窓ひとつ隔てた屋外では、一部とはいえ飲めや歌えやの大騒ぎで、防疫に必死の飲食店従業員の抑えも効きません。やむなくまん延防止等重点措置で午後8時まで営業とすれば、渋谷辺りでは路上で宴会を始める始末――。
 マスコミも飲食業者の嘆きや遊びに出てきている人の「まん延防止重点措置も緊急事態宣言も意味があるとは思えない」といった意見を拾い上げるに忙しく、さらに自粛を深めようといった動きが起こらないよう、慎重に対処しているとしか思えない有様です。

 実際を見れば一昨日、4月18日(日)15時ごろの池袋駅付近の人出は宣言前の26.2%増、吉祥寺駅付近で67.6%、浅草駅前では46%、それぞれ増加しています。大阪では梅田駅付近が33.4%、なんば駅で53.3%、瓦町駅に至っては104.2%と2倍以上の増加です(2021.04.19 JIJI.COM「<新型コロナウイルス>主要駅周辺の人出の変化」)。

 翻って感染状況はどうかというと、最もたいへんな大阪で昨日の新規感染者が719人。月曜日としてはこれまでの最大で、直近1週間の10万人あたりの感染者数も87.77人。第三波1月11日の東京の94.93人が今までの最高記録ですから、これと比べても大変な数と言えます。さらにこのままだと一週間たらずで塗り替えてしまいかねません。
 病床はひっ迫し、府内では重症患者が病床数を越えましたから病院のコロナ病棟は昨日紹介した東京女子医大病院よりもさらに深刻な状況になっているはずです。
 その医療の戦士たちと、繁華街で騒ぐ人たちの年代がほぼ同じというのも対照的で皮肉な現象です。しかしそれも自由主義、多様性を重視する社会の限界であり宿命なのでしょう。


【感染防止策を守る能力のない人がいて、守れるようにはならない】
 国の方針のもと一人のはみ出し者も許さないということになれば、それができるのは中国や北朝鮮のようなやり方しかありません。とりあえず大阪や兵庫を武漢にすれば、かなりの感染抑止になるはずです。東京も予防封鎖すればかなりの効果が期待できます。
 ところがそれはできない。私権をできるだけ侵さないというのがこの国の国是で、それを前提に日本は成り立っているからです。ただ、それはまったくその通りなのですが、私権を尊重して個人の自覚に頼っているだけでは、事態が一向に好転しないのも事実です。全体のために自己を犠牲にしない人は耐えず出現するからです。
 
 学校の教室もそうですが、どうやってもルールを守らない者、守れない者、守る能力のない者は一定数います。国と違って学校の場合、ルールを徹底させようとすればできないわけでもありません。しかしそうなると締め付けも、それを実行するためのエネルギーも半端ではなくなります。担任あるいは教員集団のとんでもない強権が必要で、行使すれば恨みも残ります。

 ではどうすればよいのか。
 これには答えがあります。ルールを守らない者、守れない者、守る能力のない者の分を、別の誰かが補えばいいのです。下足箱の靴をそろえるといったきまりを個人の自覚をアテに守らせようとしてもできるものではありません。乱れた他人の靴を直す子どもが必要です。そういう子が一人でもいれば、下足箱はあっという間に整います。

 できない子もそのままではいいわけはないので、できるようになるまで、じっくり時間をかけ、丁寧に指導を加えて成長するのを待ちます。

 それと同じで、これほどのコロナ禍にも関わらず外で飲まずにはいられない人、仲間と大騒ぎしなくては生きていけない人、もう自粛には耐えられないという人、それらをただちに変えることはできません。環境を整えることで、この人たちが変化していくのを待つしかないのです。「これも人の子」です。大切にしましょう。


【能力のある者が補うのが社会の常】
 では私たちにできることはないのか。土曜日のNHKスペシャルの最後のナレーションを借りれば、
「未知のウイルスとの戦を、最前線を支えてきたのは看護師たちひとりひとりの使命感だった。限界線を越える前に、私たちの社会は、手を打てるのだろうか」
 
 できることは単純で確実です。
 今言われている「日ごろ会わない人との会食を避ける」「不要不急の外出・移動を自粛する」「特に変異株により感染が拡大している大都市圏との往来の自粛をする」「混雑している場所や時間を避けて行動する」「午後8時以降、飲食店への出入りを自粛する」「会食において会話をする際のマスク着用を徹底する」といった個人ができる対策を、守れる人が徹底的に守るのです。自覚のない人の自覚を待つのはなく、自覚のある人が進んで防波堤になる。

 守れる人が守って、守れない人が好き勝手やる社会は不公平のように見えますが、人間には能力差があると思うしかありません。汚い言葉を使えば「バカにつける薬はない」のですから、バカのことをバカ真面目に考えるのはバカげたことなのだと思い定めて諦めましょう。


【私は絶対にコロナで死にたくない】
 実は先週まで、私は心のどこかで「コロナで死ぬのも悪くない」と思っていたところがあります。
 43歳で大病をしてそれ以後の人生は「オマケ」だと思ってきましたし、今が一番幸せなので辛いことが起こるまえに終わらせたいという気持ちもありました(もっともいつでも“今が一番幸せ”でしたが)。そこに、「新型コロナで亡くなる人の多くがと途中から意識を失ってしまう」と聞いて、短い闘病期間、苦しまずに迎える死、とかを思ったら「コロナで死ぬのも悪くない」になってしまったのです。

 しかし先週の、NHKスペシャル「看護師たちの限界線〜密着 新型コロナ集中治療室〜」を観て心を入れ替えました。
 自分の子どもほどの若い人々をあれほど苦しませるなら、少なくとも新型コロナで重症化して死にたくない、新型コロナだけでなく、医療のひっ迫しているこの時期、事故にしろ病気にしろ、深刻な事態になって入院することだけは絶対に避けたい、そんなふうに思ったのです。

(この稿、終了)


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