2020/6/24

「オンライン学習、やるならむしろ徹底しよう」〜不登校の子たちにオンライン学習をD  教育・学校・教師


 日本中のいくつかの学校で、
 新型コロナウィルス事態のためにオンライン学習の扉を開けてしまった。
 そこに不登校の子や親たちが注目する。
 今さら開いたその扉を閉じるわけにもいかないだろう。
 だったらそれを担う、うってつけの場所を教えよう。

というお話
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(「山あいの集落」フォトACより)

【『オンライン授業はコロナ理由に限定』】
 一昨日の読売新聞に「『オンライン授業はコロナ理由に限定』、福岡市教育委の通知に不登校の保護者落胆」という記事がありました。

 せっかくオンラインを通して学習の機運が見えてきた不登校の子どもや親にとって、ハシゴを外されるのは切ないだろうなと思いながら、「コロナが理由であれば」の意味もよく分からないし、不登校の子を外す理由もわからないので先まで読んだら、
 福岡市は5月31日、オンライン授業の開始を発表。コロナが理由であれば、貸与するタブレット端末や家庭のパソコンなどで授業を受けられる。
 しかし、
 対象を、本人や家族に基礎疾患があったり、感染が心配だったりして登校していない児童・生徒に限定したので、不登校の児童生徒の保護者を落胆させているというものでした。

 不登校の子を外すのも、
 現状では不登校の児童・生徒約1800人全員には端末を配備できないため、インターネットを使える環境がない家庭では授業を受けられず、貧富の差などで公教育の公平性を欠く
といいうことで、文脈からすると端末を貸与する枠から外せばいだけで、授業そのものへのアクセスから外さなくてもよさそうなものです(ホントにそうしたのかな?)。それを一括して「コロナ理由に限定」してしまったというなら、「やはりお役所仕事」と言えばその通りです。


【お役所仕事、やはり公立学校には限界がある】
 1800人分の端末が揃えられないから=いかにもお役所。
 これが民間で儲かると踏めば、1800人分の端末ならあっという間にそろえるでしょうし、儲からないとなれば最初から話題になりません。
 貧富などで公平性を欠くから=これもいかにもお役所。
 民間だったらお金持ちは払ってください、そうでない方は諦めてくださいで、どこにも問題は発生しません。私立学校でオンライン授業の進められているところはかなり多く、それを売り物にして生徒募集を計っているところもあると聞きますが、私立だからできることです。「無理ならお辞めいただいて公立に転校手続きを」でまったく問題ないからです。

 しかしやはり公立学校は「できる(お金持ちの)家から始めましょう」というわけにはいきません。今やスマホは常識と言っても子ども専用を用意している家はそうたくさんあるわけでもありません。PCにしても、在宅で仕事をしている人がいれば、常時子どもに明け渡すわけにもいかないでしょう。
 公立学校がオンライン授業を始める以上は、やはりタブレットくらいは学校で用意するのが当然でしょう。そして現段階では不可能です。


【無理をすることもない】
 もっとも、「『オンラインで自分のクラスが見られるのなら授業を受けたい』と息子も乗り気だった。登校再開のきっかけになるかもしれないと期待していたのに」と嘆くお母さん、福岡市のオンライン学習は始まったばかりです。同級生が楽しく授業を受けている姿をモニターで見て、登校したくなる可能性と傷ついてさらに引き籠りを深める可能性は五分五分です。何しろ友だちはみんなその子がいなくても生き生きと学校生活を送っているのですから。そんな様子を見て自尊感情を失うことだってあるのです。

 両極端の五分五分を試すことを、普通はギャンブルと言います。私だったら自分の子どもを賭け事のテーブルに乗せたりはしません。オンライン授業を試していいのは、コロナ休校のようにみんなが休んでいるときか、不登校の子たち専用のプログラムが立ち上がったときだけです。


【授業のライブ配信は教師を殺す】
 私がこのニュースを見て非常に衝撃を受けたのは、
 大阪府寝屋川市は15日から授業のライブ配信を始めた
という部分です。

 先生としてはカメラの向こうに学校に来られない子どもがいると承知で、あたかも存在しないように授業を進めることは不可能でしょう。さりとて日ごろは表情や発言からその子の理解や進捗状況を計れるのに、何も見えない、何も聞こえない相手に向かってどう配慮したらいいのか分かりません。カメラに向かって「大丈夫? ここまでは分かった?」などと訊いても返事は返ってこないのです。苦しいですね。

 おまけにカメラの向こうにいるのは児童生徒だけとは限りません。保護者や全く見知らぬ人、マスコミ関係者だっているのかもしれません。

 授業中、関係のないおしゃべりをしている子がいたら注意しなくてはなりませんし、他の子をからかったり差別的な言動があったら、それこそ土砂降りのごとく叱らなくてはならないのですが。その怒り方は見る側によっては「やりすぎ」だったり「甘すぎ」だったりします。

 また教室内での教師と子どものやり取りは、日常の人間関係が前提となっていますから、その言動が他者には不適切に見えることもあるでしょう。それをいちいちとがめられていたら、とてもではありませんが、授業などやっていられません。

 授業のライブ配信などというものを思いついた人は、きっと大学の大講堂で200人くらいの学生を相手にする講義のようなものを思い浮かべているのでしょう。それは日本の小中学校の授業とは、全く違ったものなのです。


【超小規模校を、学校に来られない子のオンライン学習の拠点に】
 教育には意識的教育と無意識的教育というものがあります。「親が背中で教える」というのはもちろん後者ですが、学校は基本的に前者で、学校教育は組織的・計画的なものでなくてはなりません。それはオンライン学習においても同じです。

 講義式の授業を予定しない限り、オンライン学習は少人数教育にならざるを得ません。児童生徒の手元が見えない、直接ノートを指さして説明できない等々、制約の多い授業ですから極めて専門性の高いものとなります。
 そのための「オンライン専門教育小中学校」といった学校を全国各地につくって、不登校や病気で学校に来られない子の学習を補償するのが一番いいのですが現実的ではないでしょう。それが無理な以上、現在、少人数教育の技能を持っていて比較的時間に余裕のあるのは、島嶼部やへき地の小規模学校で教鞭を振るう教師だけです。

 ほうっておけば学校どころか地域自体もなくなってしまうような小規模校の力を、生かさない理由はありません。
 もちろん現在のままでは、特に小学校で負担が大きすぎますから職員の充実を図らなくてはならないのですが、一度あけてしまったパンドラの箱です。今さら不登校の子のためのオンライン学習は致しませんでは済まないと思うのですが。


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