2020/5/20

「真に教養のある人は、人に分かる言葉で語る」〜おい、小池! 英語を使うのやめろよ!  言葉


 やたら発言に外国語をさしはさんでくる小池東京都知事に、
 いまさらのようにイラつく。
 ときどき若者の中にも似たような話し方をする人がいるが、
 ダメです。あんなものの真似をしては。
というお話。
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(「子ども ステイホーム」フォトACより)

【都知事、部分英語で語る】
 小池百合子東京都知事がしばしば会見の中で使う英語表現については、ネット上にたびたび非難の声が上がっています。したがって今さら言っても仕方がないのですが、今回のコロナ事態に際して改めてニュース番組等に露出する機会が増え、必然的に付き合わされるようになると、やはり、あれは、ウザイ。

「いわゆるオーバーシュート、感染爆発の可能性がありますので、このままだとロックダウン、都市封鎖も考えなくてはならない事態となってきています。そこで皆さま、ステイホーム、おうちにいましょうということで、ソーシャル・ディスタンス、社会的距離をきちんと守り、すべてのステークホルダー、利害関係者がビジネス・アズ・ユージュアル、いつも通りの仕事につける日まで、頑張ってほしいと思います」
と、ここまで続けて言うことはありませんが、私のような英語音痴からするとなぜ日本語で言いなおすなら英語を使う必要があるのか、理解できないのです。


【外国語使用のルールと明治人】
 通常、私たちが外国語をそのまま使うのは、代わりになる日本語がない場合です。例えば初めて英米人と接した幕末期、日本には立派に「ねこ」がいましたから「キャット」という単語は定着しませんでした。しかし「ライオン」はいませんでしたからそのまま使うしかなかったのです。「獅子」は知っていましたが、あれは伝説の生き物で「ライオン」とは少し違います。

 現代で言えば「コンピュータ」や「インターネット」がそれにあたります。
 「コンピュータ」については、かつて「電子計算機」という訳語があったのですが、もはや計算機ではなくなって廃りました。
*私は中国語の「電脳」がいいと思ったのですが残念ながら日本では定着しませんでした。コンピュータはもちろん「compute(計算・測定)するもの」の意ですから、英語圏の人々にとっては相変わらず「計算機」のはずですが、彼らはどういう感覚で「コンピュータ」を使っているのでしょう? 一度聞いてみたいものです。

 “訳語はないわけではないが少しずれるので仕方なく”といった場合も、外国語がそのまま使われます。例えば「イメージ」には「心象」「印象」といった立派な訳語がありますが、イメージをふくらませる」とは言えても「心象(印象)をふくらませる」とはなかなか言いにくい感じです。そこで「イメージ」をそのまま使うようになります。
 そう考えて改めて小池知事の英語を振り返ると、そのどちらでもないことは明らかです。
 少なくとも「オーバーシュート」よりは「感染爆発」、「ロック・ダウン」よりは「都市封鎖」の方が分かりやすい。「ステークホルダー」や「ビジネス・アズ・ユージュアル」は私にとってなじみのない言葉や言い回しですが、小池知事本人が言い直しているのですから「利害関係者」「いつも通りの仕事」で構わないはずです。

 思えば明治の人々は偉かった。外国語は原則的に日本語に直すもの、日本語になければ作るものだと考えていたからです。
 哲学、真理、芸術、理性、科学、知識、定義、概念、命題、心理、物理、消費、取引、帰納法、演繹法、権利――これらは西周がひとりで作った言葉です。福沢諭吉の作った言葉としては社会、自由、経済、演説、討論、競争、共和、抑圧、健康、楽園、鉄道など。また森有礼も教育、開発、経営、人民、個人、商社、簿記などを残しています。
 彼らは安易に「フィロソフィー」「トゥルース」などとは言わなかったのです。もちろんそれだって英語を中国語に寄せただけではないかという言い方もできますが、漢語は日本に取り入れられて1500年以上の歴史があり、すでに消化しきった言葉です。「哲学」「真理」・・・こうした言葉を生み出している時の明治人の気概と真剣さ、労苦を思うと、気楽に「オーバーシュート」などとしゃべっている人に憎しみさえ覚えます。


【外国語の乱用はマウンティングか】

 外国語を多用する小池都知事の物言いに、傲慢さを感じると言う人も少なくありません。一種のマウンティング(日本語にはない概念なのでそのまま使います)だというのです。私もそう感じます。
 これは英語のできない私のような人間のひがみとも言い切れないでしょう。典型的なのが「アウフヘーベン(止揚)」と「メルクマール(指標・目印)」です。ともにドイツ語ですが、私たちより上の世代にとってはむしろ馴染のある言葉、典型的な全共闘用語です。

 小池都知事は全共闘世代はなく、いわば学生運動に「遅れてきた青年」世代、私と一緒です。「アウフヘーベン」や「メルクマール」は私たちにとってはとてもまぶしい言葉、非常に知的で情熱的で難解な単語でした。これを自由に使いこなせる大学生は、いつの日か自分がそうなるはずの目標でした。
 ところが私たちが大学に入るころには全共闘運動は急速に冷え込んで、呆れるほどあっさりと消えてしまったのです。「アウフヘーベン」も「メルクマール」も日常的な単語としては使う言葉ではなくなっていました。さらに言えば、こうした言葉を使う者こそ「真の知識人」「革新的な人々」として私たちの上にぶら下がったままになってしまったのです。

 私も意味は知っていますし使い方も知っています。しかし敢えて持ち出したりしません。すでに死語となったこれらの難解な単語を使えば、相手が戸惑い困惑するのが分かっているからです。それは人を人として尊重する人間のしてはならないことです。


【真に教養のある人は、人にわかる言葉で語る】
 言葉というのは総合的・有機的なものです。一部をいじって全体に影響を与えないということはありません。分かりにくい言葉、不要な外国語を入れれば全体が分かりにくくなったり、曖昧になったりします。少なくとも、その場で相手は一歩引いてしまうでしょう。
「アウフベーへンってなんですか?」とか「メルクマールってなんですか」なんて、教養がないみたいて聞きにくいじゃないですか。
「オーバーシュート、感染爆発の可能性があります」などと日本語をつけてもらっているだけでも、すでに「あなたには 分からないと思うから日本語もつけてあげるね」という感じで嫌な雰囲気です。
 私も若いころは好んで難しい漢字や表現を使いたがりましたが、歳をとってからはできるだけ簡単な表現を使い、「出来る」とか「更に」といった本来の意味を失った 漢字は使わないよう心がけています。

 昔は漢語や和製漢語を多用することが「賢い」という感じでしたが、今の若者の中には英語をたくさん入れることで教養人に見せかけようとする人たちがいます。しかしそれはいけません。真に教養のある人は、人にわかる言葉で語りかけようとするものです。ましてや政治家は、子どもにも分かるような平易な言葉と表現を選んで、国民や市民に語りかけるべきです。

クリックすると元のサイズで表示します(なおサブ・タイトルの「おい、小池!」は直接、都知事を呼び捨てにしようとしたものではありません。昔の指名手配写真に、そんなのがあったことを思い出しただけです)



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