2020/5/15

「9月入学にしなくても、学校は100日で1年分を教えることができる」〜「9月入学」の利点と問題点D  教育・学校・教師

  
 現在、学校に行くことのできない子どもたちの学力をどう保障するのか、
 ある意味、答えは簡単である。
 「1年間の授業は、その気になれば100日で取り戻せる」
 学校のカリキュラムは、教師がものすごく丁寧に教えることを前提にできている。
 したがってそれを一部簡略化して進めればいいだけだ。

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「英語カード遊びをする女の子2」フォトACより)

【反省と代案】
 昨日はちょっと取り乱して「もうどうでもいいや」みたいな下品な文を書いてしまい、後悔しています。
 「9月入学」――少し考えればダメに決まっている、少なくとも今日明日、急いで決めてはいけないと分かり切っているものを、敢えて持ち出すからには政府、国会議員、あるいはマスコミに何らかの企みがあるに違いない、そう考えたら不安になり、イライラしていたのです。

 しかし興奮して「9月入学」反対を大声で叫んだところで、代案を出さなければ負け犬の遠吠えにしかなりません。そこで一息。

 そもそも今回の「9月入学」論は、「現在学校に行くことができず、すでに各学年の就学期間の6分の一を失ってしまった子どもたちの学力をどう保障するか」というところから始まったものです。したがってこの問題に応えるのが反対の第一歩でしょう。


【現在、学校に行くことのできない子どもたちの学力をどう保障するのか】
 結論から言いますと、
「平均で年間200日の登校日数のうち、最低100日、できれば130日、確保すれば学力はなんとかなる。したがって長期休業の削減、土曜授業、あるいは休校と再開を細かく繰り返すことを通して、なんとか100日以上の登校日数を確保することを目指す。それでもダメなら学習内容を上の学年に繰り越す」

 これで大丈夫です。

 例年の四分の三以下、あるいは半分の日数でも学力が保障できるというのは、「学力」の定義にもよりますが、上の学年に進むための最低の知識・技能を習得するためにはもともと200日も必要なかったからです。

 考えてもみてください。学習塾や予備校は学校が3年もかけてようやく到達するレベルに、1年足らずで子どもを引き上げてしまうのです。しかも毎日の授業時数は学校の半分もありません(体育も美術も、生徒会活動もないのですが)。それと同じことをすればいいのです。


【塾の先生は教え方がうまいのでよくわかる――のではない】
 かつて学校が学力問題で叩かれまくったとき、学習塾や予備校の先生たちに学校に来ていただき、教師が“教え方を教えてもらう”といった屈辱的な研修が行われたことがあります。しかし学校と学習塾・予備校ではやることが違いすぎて、あまり参考にはなりませんでした。

 誰が考えたって明らかなのは、例えば理科で、学校並みの器具を用意して生徒と一緒に実験したり観察したりしている学習塾・予備校がいくつありますか? あるいは「鎌倉幕府が140年、室町幕府が実質120年ほどしかもたなかったのに、江戸幕府はなぜ270年も続くことができたのか」という課題にみんなで取り組んで、図書館やインターネットで調べ、プレゼンし合う、そんな授業も学習塾や予備校はやったりしません。しかし学校というところは、一年中そんなことばかりしているのです。

 算数・数学の世界ではよく、「わかる・できる・すらすらできる」という言い方をします。
 例えば、「@かけ算の意味と構造が分かる」「Aかけ算を使った問題ができる」「Bかけ算の問題がすらすら解ける」といったふうです。

 学校はそのうち@とAに大変な時間をかけます。極端に言えば@が8割、Aが2割、Bに関しては「宿題にしますからウチでやってきてください」という感じになるのです。

 学校では@の部分を丁寧にやることでつくだろう論理性や推理力、数学的感性などを総称して「見えない力」と言っています。言語能力や学習習慣、好奇心や追求力といった学習のすべての基礎になるような力のことです。学校はその「見えない学力」つけるところ、「学び方を学ぶところ」という意識が強いのです。
 ところが学習塾や予備校の学習はAから始まるのが一般的です。

 具体的な例を挙げると6年生の算数で、「割る数が分数であるような割り算では、割る数の分母と分子を入れ替えて、かければよい」というそれ自体を理解させるために、学校は大変な時数を使います。そして理解できたら実際に問題に当てはめ、「できる」ことを確認するのです。それを「すらすらできる」ように訓練するのは個人の仕事です。

 ところが、学習塾では「割る数が分数であるような割り算では、割る数の分母と分子を入れ替えて、かければいいのですよ」というところから始めて、いろいろな問題に挑戦させ、「できる」ようになったらあとは「すらすらできる」まで練習をさせるのです。

 「塾の先生は教え方がうまいのでよくわかる」の由縁はここにあります。学校の先生やることは迂遠で分かりにくく、力がついたとしてもそれは「見えない学力」なので実感がない。
 それに対して塾の先生たちは一目瞭然の明らかな事実・法則から始めて、つけてくれるのは「目に見える学力」。それは児童生徒の利害と一致するのです。


【「見えない学力」に少し封印】
 私は学習塾の講師から公立学校の教員になった人間ですので、正直言って「見えない学力」論には最後まで懐疑的というか不安でした。いつまでたっても「自分は子どもに確かな『見えない学力』をつけた」という気になれなかったのです。
 「見えない力」論がダメだというのではありません。しかし目に見えない力ですから計測もできないのです。同じ学校の1組には「見えない学力」を、2組は「見える学力」に力点を置いた授業をして数年後に人間性の違いをみる、というわけにもいきません。「ああ、やっぱ〇組の方は失敗だったかぁ」では済みません。

 ただし「見えない学力」を信じる立場であっても、義務教育の9年間、寸分の隙なく「わかる」を重視する授業をしないと「見えない学力」はつかないと、そんなふうには言わないでしょう。

 今は非常時です。「見えない学力」は多少犠牲にしても、上の学年に上がっても困らない程度に「見える力」をつけて送り出さなくてはいけません。
 算数・数学では各学年に配当された問題が一応解けるとか、国語では教科書の文章がすらすら読めて習った漢字や構文を使った文章が書けるとか、そういうこと。目安としては、テストで例年と同じ程度の点数の取れる子たちを育てるということ、それだったら100日でも可能です。

 ただしよほど計画的にやらないといつもの癖で時間をかけてしまい元の木阿弥です。極端に言えば国語や社会科でも傍らに問題集を置いて、それを解いて授業を終えるくらいの覚悟が必要です。
 塾の真似をすると言っても塾の講師もその道のプロです。「Aできる」から始める授業が簡単でないのは、理科で実験もしないのに知識を詰め込まなくてはならない困難を思えば、きっと理解できると思います。

 初めてのことですからうまくいかず、3月の時点で積み残しが出てしまうかもしれません。そうなったら仕方ないので来年度に先送りするようにしましょう。
 すでに分散登校を始めた学校の中には、小学校1年生と6年生、中学3年生を優先的に進めているところがあります。積み残しのできない最上級生を優先させるのは妥当と言えます。あとは保護者に丁寧に説明し、納得と了承を取り付けて安心してもらうだけです。


【ついでに:5歳入学か、7歳入学か】
 ときどきここで話をする孫のハーヴは、まもなく、6月になると5歳の誕生日を迎えます。
 保育園も自粛なので家でおもちゃ遊びをしたりテレビを見たり、近くの公園で最近乗れるようになった自転車遊びをしたり、そして家に戻ってはドリルをしたりして暮らしているようです。だいぶ前から文字や数字に興味のある子で、母親が幼児用ドリルを買ってきたら喜んでやっているとのこと。ひらがなはほとんど読め、簡単な足し算ならできるみたいです。
 別に優秀というわけではありません。母親であり私の娘であるシーナはそのころすでに短文もかけていたのです。シーナだけではなく、普通の5歳児にはそれができるのです(ただし男の子は半歩遅れる)。

 ですから私は小中高校12年間の就学を、5歳から17歳にしたいと考えていたのです。早く教師の元で教えないと、鉛筆の持ち方や筆順、計算などで間違ったやり方をどんどん覚えてしまうからです。真っ白なカンバスに絵を描く方が、汚れたカンバスを漂白してから使うよりはるかに楽です。また、高校卒業が17歳になれば、選挙権を始めとする18歳制限がすべて卒業後になっていろいろ便利でしょう。

 ところが「9月入学」になると、6月生まれのハーヴは7歳にならないと小学校に入学できなくなります(2021年6月に6歳の誕生日を迎えるハーヴは、2022年4月入学を予定していたのですが、それが7歳の誕生日を経た2022年の9月の入学になる)。5歳で入学させたいのに7歳入学になる――それはあまりにももったいないことです。
 就学年齢を遅らせていいことはなにもありません。ハーヴを例に話しましたが、一般論としてそうです。

 だから私は9月入学、ぜひとも阻止したいのです。

(この稿、終了)

《追記》
「新型コロナウイルスの影響による休校の長期化で学習の遅れが深刻になっていることを受け、萩生田光一文部科学相は15日の記者会見で、予定していた学習内容を年度内に終えられない場合、「特例的に最終学年以外は、複数年度の教育課程の編成を認める」と述べた。学習内容を上の学年に繰り越し、遅れを解消する。文科省は15日午後、全国の都道府県教育委員会などに通知する」
(2020.05.15 産経新聞「学習遅れ『複数年で解消』 文科省が午後に全国へ通知」
だそうです。

にほんブログ村
人気ブログランキング
3



2020/5/18  13:24

投稿者:SuperT

tsuguo-kodera様、
出身は普通の公立学校ではなく、私立とか国立とか言った特別な学校でしたよね?

「ガウスの数学遊びシリーズ」は知りませんが、四谷大塚の教材は扱ったことがあり、ほんとうに手を焼きました。三元連立方程式を方程式に頼らず解く(小学生は方程式を習っていないので)、といった神業に舌を巻いたものです。
私もプロの塾教師でしたので、高校入試の問題についてはほぼ100点が取れましたが、四谷大塚の算数では60点などということもあり、あれを楽しめるのは神の領域で、普通の子ではないと思っていました。

そういう子たちに大切なのは“教えること”ではなく“自由であること”
で、そのことはとてもよくわかります。

2020/5/16  9:35

投稿者:tsuguo-kodera

 今の教育の事情に沿う真っ当な解説だと思いますが、私の経験は全く違いました。小学校は自習だけ。学校は遊びだけ。
 中学中学も似たようなもの。宿題が与えられ、指名された人が黒板で回答を書く。できなければ誰かがまた指名され黒板に回答を書きました。先生は添削だけでした。
 @は全て家の読書でした。ガウスの数学遊びシリーズだったか。息子の四谷大塚の教材のような話を面白くなぞなぞ遊びで解説してありました。ゲームの理論、級数、漸化式などの概念も自然と家の遊びで身に付きました。
 学校で身に付いたのは弱者を思いやる心。競争し、競争の弊害を嫌と言うほど学びました。
 個人塾のような教育はましな大人にしないと思います。100日で済ますなら、私の時代のように学校は遊ばせたら良いと経験から思ってしまいます。
 でも、賛同するPもTもいないと思います。戦後は遠くなりました。

https://blog.goo.ne.jp/tsuguo-kodera

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ