2020/3/13

「死ぬのはいいけど、面倒なことはイヤだ」〜人間ドックの結果が出る  人生


 人間ドックの結果が来た。可もなく不可もなく、順調に下り坂。
 年寄りはそういうものだ。死ぬのも怖くない。
 しかしちっとも芳しくない結果を見ながら、ふと、
 やはり健康でいようと思った。

という話。
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(「診断書とボールペンと聴診器」フォトACより)

【子どもは自分たちの最大の幸せを知らない】
 私が小中学生に繰り返し語った話のひとつは次のようなものです。
「1年前のキミと今日のキミ、背が高いのはどっちかな?
 半年前のキミと今日のキミ、より速く走れるのはどっち?
 一週間前のキミと今日のキミ、よりたくさん、ものを知っているのはどちらかな?
 全部今日のキミだよね。

 キミたちは今、昨日の自分より今日の自分の方がずっと良くて、だから明日の自分も今日よりはずっといいに違いないって、当たり前に思っているよね。でもそれって、今だけのことかもしれないんだよ。
 私くらいの歳になるとね、去年より今年の方がいいなんてことはほとんどない。
 たしかに去年知らなかったことで今年初めて知ったということもたくさんあるけど、忘れていくこともたくさんあるから差し引きゼロだ。いや、新しく手に入れたものと忘れたものが同じならむしろいいくらいかもしれない。

 体力や運動能力についていえば、去年より今年の方がいいなんていうことはまずない。去年と同じくらいだったら「御」の字。
 走れなくなる、登れなくなる、力も出せなくなる。バレーボールでこちらに向かってくるボールを受けようとしても手の出るのが遅いので顔で受けてしまう、サッカーはボールが通り過ぎたあとで足を振り回す。
 そう考えると何の疑いもなく、
「昨日の自分より今日の自分の方がずっと良くて、だから明日の自分も今日よりはずっといいに違いない」
って平気で思っていられる今は、長い人生の中でたった一度かもしれないほんとうに素晴らしい時期なのだ。
 覚えておくといいよ。キミたちはいつか、身に染みて私の言葉の分かるときが来るから。



【ドックの結果=まあ、こんなもの】
 先月の中頃、例年の通り人間ドックに行ってきました。
 2020/2/25「ドックに行ってきた」〜毎年行っているのにいつも新鮮! 

 その結果が、つい先ごろ郵送されてきたのですが、昨年とだいたい同じでした。

@ 空腹時血糖高値→「要数か月観察後(または随時)再検査」
 昨年は3カ月後に再検査したところ、「ま、こんなもんでしょ」。
A 右眼に網膜変性→「要半年観察後再検査」
 これも昨年、再検査しましたが、「ものがゆがんで見えたり、穴が開いたような見えない部分が出てきたらまた来てください」ということでした。

 昨年はさらに緊急性の高い「要精密検査」として「便潜血反応が認めれられますので精密検査を受けてください」というのがあって大腸内視鏡をやったのですが、「癌から遠いポリープ3個」ということで事なきをえました。
2019/3/4「こんなことにも、才能がない」〜大腸の内視鏡検査を受けてきた 

 2年後(つまり来年)、もう一度検査をやると言っていたので今年も引っかかると思っていたら、ひとこともありません。ポリープがなくなったような気もしませんから、出血しなかっただけなのでしょう。こんなふうに悪性の腫瘍も見過ごされてしまうのかもしれません。

 さて、今回少し気になっていたのは、ブログでも書いた通り心電図で引っ掛かっており、検査の際、担当者が器具を改めて(おそらく)数値を取り直したり、出口で「Tさん、今、胸が締め付けられるような感じとか痛いとかいうこと、ありません?」とか尋ねたり、さらには総合評価の医師から「改めて心臓の専門医に見てもらいますが、再検査になるかもしれませんね」と宣告されたりで、“こりゃあ、相当に悪いな”と死に方の予定変更などを考えていたのですが、それが大したことはなかった――「要1年観察後再検査」だったのです。
 1年後と言えばやはりドックに来ています。

 “検査の担当者や専門外の医師が見て明らかに異常でも、専門医が見ると大したことはない”
 そんなことがあるのでしょうか?
 しかし、微妙すぎて見落としたという話にはなりそうにありませんから、心配せず、受け入れましょう。
 心臓病ではなく、私にはやはり癌が似合う。


【死ぬのはいいけど、面倒なことはイヤだ】
 仮に重い病気が発見されて“死ぬかもしれない”ということになっても、怯えたりウロタエたりということはないと思います。一度経験していますが、むしろ覚悟が早すぎて、本格的な検査の結果“生き残れるかもしれない”ということになって初めてビビったくらいです。
 しかしだからと言ってどうでもいいというわけではなく、病気で死ぬというのも、それはそれでけっこう面倒そうです。
 
 すい臓癌だとか胆管癌だとか、悪性度が極めて高い癌なら分かり易くて即決で「積極的治療はしません。緩和治療でけっこうです」ということになるのですが、比較的治りやすい直腸癌だとか膀胱癌だったりした場合、人工肛門や尿路変更の手術を受けてまでも生きたいのかというと、どうもそこまでの意欲がない。
 今が人生の絶頂期だと思っていますので、頂点を下り始めたらもうやめてもいいという気持ちもあったりするのです。

 ただし、そうは言っても人間の生き死には自分だけで決められるものではありませんから、「そんなことなら死んだ方がマシだ」と我を張るのもおとな気ありませし、人生の終末期としてみっともない。
 心臓ペースメーカーだったら受け入れよう、糖尿病で足を切断するのはどうだ、失明は受け入れられるか・・・そう思うと、もう考えているだけでも面倒です。いざ通院となればさらに面倒。身辺整理も面倒。

 人間ドックの報告書。
 もう慣れたとは言え、良くて現状維持、悪ければ病気。子ども違って検査のたびに良くなるなどということはありません。そんなことは分かっているのにそれでも気になるのは、やはり面倒なことになるのが嫌だからです。

 死ぬのはいいけど面倒なことはイヤだ――そうなったらもう、健康でいるしかないですよね。
 やはり、それなりに節制しましょう。

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2020/3/14  12:11

投稿者:SuperT

余命三週間は忙しかったですね。
私は「1年くらいは何とか・・」と言われて、まだ小さかった子どもと遊んでばかりいました。借家くらしをしていた頃なので、持ち物の少なかったことも幸いして、整理するモノ自体が少なかったこともあります。
今は余計なものがたくさんあって整理がつきません。
要するに、どちらにしてもあまりやらない、ということかもしれません。

2020/3/13  13:45

投稿者:tsuguo-kodera

 笑いたくなるほど私が書いても良さそうな記事でした。でも一点だけ違います。私は余命3週間と言われ、終活を始めました。死に損なって動けなくなって面倒なことを言われたくなかったからです。今年の3月で一応終了できました。面倒なことが嫌いな私はいい加減に終活をしました。

https://blog.goo.ne.jp/tsuguo-kodera

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