2020/2/6

「仏教についてちょっとかじってみたい人、集まれ!」〜父が子に語る仏教概論@  歴史・歳時・記念日


 ふいに思い立って「仏教について勉強したいな」と思っても、
 仏教学習は入り口や道を間違えると大変なことになる。
 そこで、
 初心者が教える、超初心者のための、
 仏教入門、第一講。

という話。
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(「瞑想して心を静める」 PhotoACより)

【アキュラ、仏教を学びたくなる】
 去年の4月から九州で働く息子のアキュラからLINEメッセージが届きました。
「仏教勉強したいんだけど読みやすい本と面白い本教えてください!」
 そこで、
「仏教って何かって問題?
 それとも仏像ってどんなのがあるかといったこと?」
と問い返すと、
「上が本命だけど、仏像とかも興味あります。なんか神社仏閣巡り好きだけど形や雰囲気だけじゃなくて意味を知りたいなと」
だそうです。
 私は20代の初めに本気で教員になろうか僧侶になろうか迷った時期があり、そのことをアキュラは覚えていたのです。
 20代の初めから教師になってしばらくの間までに、読み貯めた本はけっこうな数になりますが、その中から3冊だけ、読みやすいものを選んでさっそく送りました。
*余談ですが、30年〜40年前の書籍を読み返して驚いたのは、文字の小ささというか、1ページに入っている文字数のあまりにも多いことです。私の買った本ですから専門書などではなく、普通の人間が普通に書店で手にするようなものです。時代の変化はこんなところにもあるのですね。


【送った三冊の本】
 いずれもすでに絶版になっていて古書店でしか手に入らないものですが、一冊目は「絵図入り仏教入門」 (大法輪選書 1985/11) 。

 何がいいかというと釈迦の誕生からインド仏教、中国における仏教、日本に伝わってからの仏教と、仏教全史をわずか227ページの中に収めているところです。しかもバランスがいい。

“何か新しい勉強を始めるときは、その歴史から始めるといい”と教えてくれたのは私の心理学の先生でした。
 初心者が学問をするうえで大変なことのひとつは、どこまでやったらいいのか、何をやったらいいのか、いつまでやったらいいのか、見通しが全くつかないということです。

 学問を究めようという場合はもちろん、途中で諦める場合でも、どこをひと段落としたらいいのか、自分が達成したのはどこまでで何を積み残したのか、それが分からないまま学び続けるのはシンドイことです。

 心理学でいえば、「心理学はこうして始まった」「こういう経緯を経てこういう分野が生れた(行動主義とか認知心理学だとか)」「それはこういう利用のされ方をするようになった(医療・工学・建築・デザイン等々)」といった歴史を概観するだけで、どうしても学んで潰しておかなくてはならない部分、放置していい部分、自分が興味を持ちどうしても制覇しいと思える部分は自ずからはっきりしてきて、勉強も楽になります。
「絵図入り仏教入門」はその意味でとても便利な本なのです。とにかく全部入っている。

 二冊目は「須弥山と極楽−仏教の宇宙観−」(講談社現代新書 1973/9/26)。この本が絶版になているのは本当に惜しいことです。

 これは一言でいうと、仏教の世界観を図入りで示した書籍です。
 宇宙はどうなっているのか、世界の滅びと創造はどのように起こるのか、地獄や極楽の構造はどうなっているのかといったことです。

 例えば宇宙の創造は無の中で風が起こることから始まります。
 風は次第に渦となって巨大な円柱を造ります。これを風輪と言います。するとその中から水分が上昇してウェディングケーキみたいに一段上がり、水輪という円柱が生れます。さらに水輪から初めての固形成分が浮き上がり、ここに初めて世界の礎の円柱ができあがります。これを金輪(こんりん)と言います。
 私たちの住む世界はさらにその上に乗っかってくるのですが、その金輪の際(きわ)こそ私たちの世界の実質的な果てと言えます。
「金輪際お前と話はしない」
というのは、ですから地の果てまで行かされても話をしないという意味になるのです。
 そんな面白話が山ほど出て来ます。

 地獄は地下8階の構造で全106室だって知ってました? それに寒冷地獄や孤地獄を入れると全部で136室で麻雀牌の数と一緒になります。
 それもこの本から仕入れた知識です。


 三冊目は「仏像の見方ハンドブック―仏像の種類と役割、見分け方、時代別の特徴がわかる」(池田書店のハンドブックシリーズ 1998/11/10)。
 特にこだわりのある一冊ではありませんが、旅先に持って行くと便利です。類似のハンドブックは繰り返し出ていますから、適当にパラパラとめくって選ぶだけでいいのかもしれません。
 一応そいう気持ちで箱の中に入れました。


【仏教学徒の迷子】
 ところで、アキュラが私に相談したのはとても賢明な判断でした。私でなくてもよかったのですが、仏教の勉強は先達がいないととても厄介だからです。

 これがキリスト教やイスラム教の勉強だったら、“とりあえず新約聖書を読め”“コーランを読め”といっておけばいいだけです。ところが仏教はそうはいかない。
 仏典を読めと言ったって量が半端ではありません。
 例えば大東出版社の『国訳一切経』ひとつを取っても全255巻257冊。読むだけで何年かかるか分かりません。しかも書かれている内容がバラバラ。

 般若心経を読んで、
「色即是空 空即是色(形あるすべてのものに実体がないのであれば、その反対にすべてのものはあらゆる形をとることができる)」
と学んだあと、理趣経を読んで、
「妙適清浄句是菩薩位 (男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である)」
となると頭が爆発しそうになります。
 仏教の勉強は入り口を間違えるとすぐに道に迷ってしまうのです。

 アキュラが私を選んだのは賢明だといったのはまさにそこで、かつて迷子になって十数年もムダにしたのはこの私自身です。だから私なら道の進み方を知っている――と、そこで改めて思いました。

 本を渡してそのままにしておくのももったいない、いっそのこと私が教えてやればいい。そしてそのことはきっと、これから京都・奈良に修学旅行で生徒を引率する先生や歴史学習のバックグラウンドとして仏教の知識が欲しい先生、ちょっと仏教をかじってみようかなと軽い気持ちで思っている人にも役に立つのではないか――。

 そこでしばらく、私の知っている仏教に関するお話をしたいと思います。
 題して「父が子に語る仏教概論」です。

(この稿、続く)



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