2019/10/30

「いじめ問題における主観主義と仮説の物語」〜”東須磨小、教員いじめ事件”B  教育・学校・教師


 どう考えても許せない悪逆非道
 しかし訴えにひとつひとつを見ていくと
 どうしてもちぐはぐな印象がぬぐえない
 このバラバラな印象は 何に由来するのだろう

という話。
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(「レーマー広場」PhotoACより)

【いじめ被害に関するバラバラな印象】
 被害者教諭の訴える被害に関して、加害者はどうしてあのような非道ができたのか、被害者はなぜ警察に逃げ込まなかったのかという点について、昨日は時間軸および“恩とあだの見積もり”という観点から考えました。
 しかしまだぴんと来ない感じが残ります。
 それは激しい暴力とともに、「乳首を掃除機で吸われる」「車での送迎を強いられる」といった何とも滑稽な、あるいは「それはいじめとは言えないだろう」というような内容が含まれているからです。

 「コピー用紙の芯で尻を叩かれる」も最初何のことかわからなかったのですが、ロール式のコピー用紙の芯で長さ30p、太さ4pほどのボール紙の筒です。紙の厚さは5oほどありますからこれでたたかれれば、痛くないとは言いませんが木の棒や鉄パイプで殴られるのとは印象が違います。しかもお尻です。

 考えてみればVTRで繰り返し流された「羽交い締めされ激辛カレーを食べさせられる」もあまりにも子どもじみていて、不謹慎を承知で言えば「いじめるならもっと効果的な方法があるだろう」とツッコミたくなるような代物です。

 昨日は触れませんでしたが、これが「物的被害」「嫌がらせ・悪口」となると、
・鞄に氷を入れられビショビショにされる
・携帯電話を隠される
・車にトマトジュースをかけられる
・質問すると「誰に許可得てしゃべっとん!くずがしゃべんな」と言われた
・毎日「性病」「ごみ」「くそ」「くず」などと呼ばれる
・指導案に落書きされた


 昨日あつかった「平手打ちされる、蹴られる」「熱湯入りのやかんを顔に付けられる」「ビール瓶を口に突っ込まれて飲まされ、瓶で頭を叩かれる」「激辛ラーメンを無理やり食べさせられ嘔吐、けいれん、しびれ」などと比べるとその落差の大きさにあきれます。

 このように印象の異なる“いじめ”が一気に並べられるのには、二つの理由があると考えられます。


【いじめ問題における主観主義】
 まず大前提となるのは、一般には軽重の異なるこれらの“いじめ”が、被害者には同じレベルの巨大な恐怖として感じられたということです。
 ボクシングでボディブローやジャブを繰り返し受けているうちに、加わる力に大差はないのにダメージが次第に大きくなるのと同じで、ひとつひとつの異なる打撃がすべて最大級に感じられ、区別がつかなくなるのです。
 「ばーか」といった他愛ない悪口も、毎日毎日、代わる代わる十数名から言われたら、たとえ深い意味はないと思っていてもいつか参ってしまうのと同じです。

 また軽重の異なる “いじめ”が一緒くたに出てくる背景には、事件を調査した教育委員会の主観主義が大きく影響したとも考えられます。
 現在、教育委員会はいじめ問題に関して被害者の訴えをそのまま報告する方向で動いています。加害者の話を聞いて「これは“いじめ”だ」「これは“いじめ”ではない」といった判断はしないのです。

 話は少しそれますが、学校における児童生徒のいじめ件数は、これだけ問題視されているにもかかわらず毎年増え続け、昨年度(2018年度)は前年度比で32%(約13万件)も増え54万3933件に及んでしまいました(2019.10.17産経新聞いじめ過去最多54万件 重大事態も急増 文科省調査)。
 これは徹底的な主観主義を取っているためで、子どもが対人関係で少しでも嫌な思いをしたらすべて“いじめ”として計上しているからです。
 もちろん表向きは「客観的には些細なことであっても本人の心の傷は計り知れない」というのが理由ですが、「いじめはありました」「学校として把握していて指導中でした」ということにしておかないと、あとで問題が起こった時に取り返しがつかないという事情もあろうかと思います。
 いずれにしろ本人が嫌な思いをしたことはすべて報告するという習慣が教育委員会にはあるのです。(*注


【客観的にはどうだったのか】
 教育委員会が公表しマスコミが引用した“いじめの実態”は被害者の主観をそのまま映したものであって、何に傷つき何を恐れたかはよくわかります。しかしひとつひとつを切り離し、別の事象として見ると、客観的にはそこまで大変なことではなかったようにも見えてきます。

 事実「蹴ったり殴ったり」について、目撃した児童は「じゃれていると思った」と証言しています(2019/10/5神戸新聞NEXT)。
 熱湯入りのやかんを顔に付けられたといっても火傷で病院に行き、顔に大きなガーゼを当てて帰ってくるほどのものではなかった、ビール瓶で頭を叩かれたといっても小突く程度のことだったのかもしれません。

 もちろん私は「だから大した問題ではない」と言うつもりはありません。被害者教諭は本当に苦しんだのですから。
 しかし、
「客観的には大したことではないように見えた」
「だから加害者たちは問題を軽く考えた」
という可能性は考えておかなくてはなりません。そうでないと曲がりなりにも30年、40年と生きてきて、教員歴も長い4人の男女が、かくも残酷ないじめの行為者となった理由がわからないからです。
 まさか自分のやっていることを十分理解したうえで、職を賭して“いじめ”ていたわけでもないと思うのです。

 私はあの「羽交い締めされ激辛カレーを食べさせられる」VTRの前後にも興味があります。そこでこんなやりとりがされていたとしたらどうでしょう。

【仮説の物語】
 ある日の午後、家庭科室では来月に迫ったキャンプの打ち合わせが行われていました。その日は子どもたちにカレー作りをどう教えるかという講習会です。

 一通りの活動が終わって、
「やっぱり子どもには中辛より甘口よね」
とか言い合っている最中、ひとりが、
「いや、いや、いや。子どもたちには食べさせられないけど、『激辛カレー』というのが売っていたので買ってきた。どうだい、これを入れて食べてみないか」
 そこで作ったばかりのカレーに激辛ルーを加えて食してみる。
「ギエー! こりゃすごや!」
「アラ、ホント。私、辛いの好きだけど、これは我慢できない」
 そしてのちに被害者となる若い教諭に、
「オイ、お前も食べてみろよ。オレたちだって食べたのだから」
「いや、私は辛いのは苦手なんですよ」
――あとは私たちが繰り返し見せられたとおりです。

 単なる妄想ですが、加害者4人が被害者教諭を家庭科室に呼び出し、無理やり食べさせたというよりはよほどしっくりくる話です。

                    (この稿、続く)



 文科省通達「いじめの認知について〜先生方一人一人がもう一度確認してください〜」では次のような事例も“いじめ”として報告するよう求めています。

(定期的に実施しているアンケート調査で、Bが「いじめを受けた」と回答した。そこで、Bと面談で確認するなどした結果、以下の事実があったことを確認できた。)
体育の時間にバスケットボールの試合をした際、球技が苦手なBはミスをし、Aからミスを責められたり他の同級生の前でばかにされたりし、それによりBはとても嫌な気持ちになった。見かねたCが「それ以上言ったらかわいそうだよ」と言ったところ、Aはそれ以上言うのをやめ、それ以来、BはAから嫌なことをされたり言われたりしていない。その後、Bもだんだんとバスケットボールがうまくなっていき、今では、Aに昼休みにバスケットボールをしようと誘われ、それが楽しみになっている。


 報告すべきは“いじめ”があったかどうかではなく、“いじめの訴え”があったかどうかなのです。訴えを受け取った以上、それは認知数としてカウントされなくてはなりません。



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