2019/9/13

「子どもたちに改めて伝えたいこと」〜働く日本人の話B  教育・学校・教師


 畑は一日たりとも疎かにできない だから農耕民族は勤勉にならざるを得ない
 古来、日本人は家族とともに働き 家族の中で生きてきた
 家族の持つ職業の中で自己実現を図るのが当然だった
 その遺風はいまも残っていて だから職場は居心地がよく
 だから働くことは楽しい
 そのことを子どもたちに改めて伝えたい

というお話。
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(写真ACより)

【勤勉にならざるを得ない農耕民族】
 しばらくバタバタして家庭菜園を見に行かなかったら、ブロッコリーの葉がモンシロチョウの幼虫に食い荒らされて網目のようになってしまいました。しばらくといってもたった三日間のことで、消毒も終えたばかりでした。畑作はこんなふうに一時も目が離せません。

 最盛期のキュウリも、「明日の朝は収穫しよう」と思って果たせず、夕方採りに行くともうお化けみたいな巨大さで食卓には上げられません。オクラなどは朝晩繰り返して収穫しないとすぐに剣先みたいに固く膨れ上がってしまいます。
 なるほど、これでは農家は勤勉にならざるを得ません。

 日本人の勤勉さを説明するとき、必ず出てくるのがこの「農耕民族だったから」という答えです。

 ヨーロッパだって畑作はあるし、牧畜は畑同様、手間がかかるだろうといった反論も考えられますが、ヨーロッパにしてもアメリカにしても、日本の農業に比べたらすべてが粗放栽培みたいなものでまったく手がかかっていません。
 土地が多少傾いていても、水が不足気味でも、ジャガイモや麦類、大豆などをつくっている分には困らないのです。
 牛や羊も、逃げない程度に柵をつくって、あとは放っておいても育ちます。

 しかし日本は違います。
 日本の農業は米作りから始まりましたが、原産地のインドや中国と違って巨大なデルタ地帯があるわけでもなく、平地自体が少ないので最初から大規模な土木工事が必要だったのです。そのために集落の老若男女が総出で協力して、用水を引き、田を築き、田植えをして虫を駆除し、稲刈りをする、そうした生活を繰り返してきました。
 狭い土地ですからどうしても集約的になりますし、作業が複雑になると子どもの手も借りなくてはなりません。701年の大宝律令で、国家から田が分け与えられる最少年齢は6歳です。子どもは最初から社会の一員だったわけです。


【家族が職業という世界】
 農業が日本人の働き方を規定したという考え方に私は賛同します。
 稲作は弥生時代に始まって今日まで続く重要な仕事です。しかも江戸時代の末でも全人口の85%は農民ですから、日本人はずっと農耕をする民族だったと言えます。ですから農業は日本社会全体に影響を与えています。

 勤勉でなければならないこと、家族経営的・協働的であること、集約的で手間のかかること、子どもも社会の一員としてあてにされてきたこと、そうしたことはすべて今日の日本人の働き方を根本で規定してるのです。

 今はだいぶ崩れたと言われる終身雇用制も、元々は家族経営の延長にあります。家族だから社員を簡単に捨てるわけにはいかなかったのです。
 年功序列もいかにも農耕民族にふさわしい制度です。機械化が始まるまで、一時期農業は最も成熟した(発展性の少ない)産業でしたから、年長者が一番知識も経験も深く、尊敬されました。したがって収入が一番多いのも年長者でなくてはならなかったのです。
 もちろん実際の働き手は若者ですから、年長者も若者を大切にし、丁寧に育てることを考えました。身分差別の時代、将来は確実に跡取りとなってくれる人ですから手を抜けなかったのです。

 一方、同じことは子どもの側から見ると、自己実現の場が親の仕事の中にしかなかったことになります。
 日本の歴史上、職業に流動性のあった時代はむしろ短く、徳川270年間に限って見ても日本人は親から継いだ仕事をするしかありませんでした。だからその範囲の中で、自己を極めようとしたのです。
 農業には適切な言葉が見つかりませんが、「職人気質(かたぎ)」だとか「職人芸」といった言葉の中には、自己を実現し極めた誇りと矜持があるのです。

 職業は自己実現の道具で、職場は自己表現の場だ――それが昔の農村のあり方で、昭和時代の企業のあり方だったのです。


【子どもたちに改めて伝えたいこと】
 問題はその雰囲気がいまも残っていることです。
 家族だから自分ひとりで職場をあとにして帰るわけにはいかない、家族だから納期が間に合わないということはあってはいけない、家族だから世間に恥ずかしい商品は出せない、家族だからお互いに助け合わなければいけない――。

 長時間労働や無理な仕事の押し付け、サービスや商品に対する異常なこだわり、これら今日問題となっている働き方の課題はすべて、日本人が2000年近くもかかって築き上げてきてしまったものなのです。

 しかしだからやめるべき、一日でも早く働き方改革は勧めるべき――とならないのがこの問題の一筋縄ではいかないところです。

 なぜなら、多くの場合、私たちは家族と過ごすのが好きなのです。家族と一緒に何かを成し遂げることは素晴らしいことだと心底感じている人が少なくありません。家族に迷惑をかけることは極力避け、家族を喜ばせるために何かを成し遂げたいといつも考えています。
 誰よりも素晴らしい商品やサービスを提供しているということに誇りと喜びを感じ、仲間とともに喜び合う――。

 台風15号の翌日の、津田沼駅前に並んだ人々の多くが、そういう感性を持ち、そういう職場で働く人たちだった――そう考えるのもあながち無理な話ではないでしょう。問題もたくさんありますが、基本的に、私はそんなふうに子どもたちに伝えたい。

 子ども時代も悪くない。しかし大人になると、例えば交通障害で駅前に3時間並ぼうとも、それでも行きたくなるような職場がたくさんあるんだよ。
 働くというのはそのくらい素晴らしいことなんだよ、ということです。

                     (この稿、終了)

(追補)
 今朝になってDIAMOBD on lineに、
 この現象を見ると、「台風の後に出勤を強要する企業はブラックだ」というより、「台風の後に可能な限り早く出勤をしなければならないと考えている個人がとても多い」という方が、この現象を正しく言い表しているように思います。つまりこれは、日本人特有の考え方なのではないかと思うのです。
という記事が載りました。(2019.09.13『台風15号で沸いた「ブラック企業批判」が的を射ていない理由』
 趣旨は違いますが
それでも、台風通過直後に全力で職場を目指すのが日本人の平均像なのだ――。
という見方は一緒です。
 独裁主義国家の動員のような”恐怖に後押しされた行動”ではないとしたら、職場には過酷な通勤ラッシュを上回る“快”があるとしか考えられません。


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