2018/5/29

「彼に責任がある」〜日大アメフト事件の憂鬱3  教育・学校・教師


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【「心理的抑圧からのブレークスルー」という呪術】
 評論家で武道家の内田樹はそのブログ「内田樹の研究室」の中で次のように語っています。
「自分の限界」を設定しているのは本人です。「自分にはこれくらいしかできない。その範囲なら心身を制御可能である」という範囲に誰でも居着きます。自分の可能性を低めに設定して「心身に無理をさせない」というのは生物としては合理的な生存戦略だからです。
でも、その「リミッター」を解除しないと身体的な「ブレークスルー」は起こらない。

2013.03.04「体罰とブレークスルーについて」
 ブレークスルーというのは「進歩」「前進」、またはそれまで障壁となっていた事象の突破を意味する英単語(breakthrough)です。

 内田はまた、別の所でこうも言っています。
体罰によって、あるいは心理的な抑圧によって短期的に心身を追い込んで「ブレークスルー」をもたらすというのは頭の悪いスポーツ指導者の常套手段であり、その有効性を信じている人間が日本には何十万人もおり、私はそういう人間が嫌いである。ほとんど憎んでいる。
2013.01.06「体罰と処分について」

 日大アメフト部の前監督・前コーチは、まさに内田の言う「何十万人も」の一人です。
 練習に参加させない、1年生の指導もさせない、日本代表を辞退させる、丸坊主を強制する――そういったさまざまな心理的抑圧を使って一気に「荒々しい強力なディフェンシブエンド」を育て上げる――。
「日大アメフト部では優秀な選手ほど指導者のプレッシャーを受けやすい」
という証言が残っていますから伝統的なやり方なのでしょう。ただしそれは東大の森清之ヘッドコーチが言っているように、「そんなやり方が、いまだに可能だったことにむしろ驚く」レベルの旧式な指導法で、そんなことをしたら「今や誰もついてこない、そして親が文句を言いにくる」(森コーチ)、それが普通なのです。

 ちなみに引用した内田の記事は、ともに2012年12月の大阪市立桜宮高校体罰自殺事件を受けてのものです。あのときも自殺の引き金となった監督の言葉は「オマエを試合に出さない」でした。
 暴力や心理的抑圧によって選手を変えようとする試みがいかに危険かは、このとき日本中の指導者が身に染みて学んだはずです。それにも関わらず日大アメフト部では営々と行われてきた。そうなるとそこには、暴力や抑圧が平気でまかり通る不思議な力、ないしはシステムがあったと考えるしかありません。


【事態の拡大は防げなかったのか】
 今回の事件を振り返って、ここまで問題が大きくならないための方策はなかったのかと考えると、むしろ機会は有り余るほどあったことに驚かされます。

「心理的抑圧からのブレークスルー」といった方法が早くから放擲されていればよかったことはもちろんですがもっと細かな事、例えば最初に練習に参加させられなかった時点で、加害選手が「どうして参加できないんですか」と聞くことができればそれだけで事態はずいぶん変わっていたはずです。あそこまで追い込まれることはなかった。
 その他にも、
「全日本に行っちゃだめだよ」――「どうしてですか」
「丸坊主にして来い」――「なぜですか」
「相手クォーターバックを潰してこい」――「潰すって、けがをさせるってことですか」「1プレー目って言っても間に合わないこともありますが、それでも潰しに行っていいんですか?」
 そういった質問ができなかったことは22日の加害選手の証言からもはっきりしています。監督やコーチと選手の関係は上意下達、質問さえ許されないものだったからです。

 この厳しい上下関係は監督とコーチの間にもあって、それが事態をどんどん悪化させます。
 危険タックルがあった瞬間に、コーチが「監督! 今の(プレー)マズいですよね」と言えればよかった。
 監督がその悪質さに気づいていなかったら説明する必要があった。
 説明した上でその場で関西学院大に謝りに行けばよかった。謝れなくても相手クォーターバックを気遣うふりくらいできればよかった。

 それがうまくいかなくても、試合後、陽気にインタビューを受ける元監督に「監督! あのタックルは『オレの責任だ』などと言っていられるレベルではないのです」と囁ければよかった。
 試合後VTRで確認した段階で(確認したに決まっています)、すぐに監督のもとに駆け付け、「いま手を打たなければ大変な事になる、理事長や学長と話をしましょう」とか「明日にも関西学院大に連絡をして謝罪に行きましょう」と言えればよかった。
 あるいはさらに遅れた段階でも「一刻も早く調査しましょう、対応しましょう」と誰かが言う必要がありました。「加害選手親子が謝りに行きたいと言っているのに押し留めるなんてとんでもない事です」と言わねばならなかった――。
 しかし元監督は事態の深刻さがまるで理解できない。そしてだれも説明し、諫めようとしないのです。

「謝罪にピンクのネクタイはマズくありませんか」と気遣って言える人もいない。
「マスコミの前に初めて出るのが空港でのインタビューなんて、やはり考えた方がよくはありません?」とも言う人もいない。

 23日の記者会見についても、「こんな泥縄で大丈夫でしょうか?」「きちんと予行演習しましょう」「司会を交えて弁護士と丁寧な打ち合わせをしましょう」
 そんなやりとりをすることもない。そもそも提案ができない。
 今挙げてきたどこかの時点で、誰かがひとこと言って事前に手を打てば、今日の惨状はなかったはずです。


【彼に責任がある】
 ここに至ってすべてのことが理解されます。
「選手を徹底的に追い詰めて一気に成長を促す(心理的抑圧からのブレークスルー)」などといった前時代の指導法がまかり通ったのは、絶対的上意下達といったこれも前時代の仕組みが、日大アメフト部に厳として残っていたからです。誰も進言できない、意見を言えない。何十年にも渡って「カンサイガクイン」と言い続けても、誰も注意しようとしなかったくらいですから。

 そんな悪魔の仕組みをつくってその上に安住していたという意味で、一切の責任は前監督にあります。事件を起こしたのも彼であり拡大させたのも彼です。そしてその自覚がないのも彼です。

 もちろん本人も「試合中の事に関してはすべて私に責任がある」と言っていますが意味が違う。
 関西学院大クォーターバックの生命をも危険にさらし、日大ディフェンシブエンドの選手生命を絶ち、日本大学そのものの評判を落とし、在校生・卒業生を不安に陥れた責任を、試合中の采配ミスと同じレベルで語るのはあまりにも無責任です。
 しかしその前に、誰かが彼に事態の深刻さを教えなければならない。もしかしたら言っても解らないかもしれませんが。

 
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