2016/2/5

「子どもたちの危機」A  教育・学校・教師


 私は教員生活を中学校から始め、やがて小学校に移って最後は管理職をやって教員生活を終えました。その期間は10年、10年、10年です。

 小学校に異動したときある保護者が陰で「T先生は(中学校で)何をやらかして小学校に下されたのか」と不思議がったといいますが、それは誤解です。教員は小中高と上がるにしたがって偉いとか試験が難しいとか言うことはありません。
 免許の取りやすさから言えばむしろ、どんな学部を出ても取れる中学校・高校よりも(原則的に)教育学部を出なければ免許の取れない小学校の方が難しく、道徳教育の単位を取らなければもらえない中学校免許の方が、なくても済む高校免許よりも難しいということになります。
 私は小学校に左遷されたのではなく、希望して異動したのです。しかも当時小学校の免許を持っていませんでしたから、通信教育で2年がかりで取得したのです。なかなか大変でした。お金もかかりました。

 なぜそんなに小学校に移りたかったのか?
――私は知りたかったのです。中学校に上がってくる9割の子どもは我慢できる、優秀な子どもいればそれほどでもない子もいる。少し難しい子もいるし手のかかる子もいる、それはそれでいいのですが残りの1割、さらにその中の一部にはどうしても我慢ならない、なぜこんな幼い姿で、なぜこれほど力をつけてもらっていない状態で中学校に上がってくるのか、小学校は何をしているのか、小学校現場に何があるのか、そういったことです。

 そして小学校の教員生活が始まり、5・6年生を皮切りに小学校1年生の担任までやってようやくわかりました。
 小学校では遅すぎる・・・のです。

 子どもは真っ白な姿で小学校に上がってくるのではありません。さまざまな色を身につけて入学してきます。
 とりあえず黙って“先生”の話を聞ける子もいれば1分たりともじっとしていられない子もいます。朝から晩まで人の役に立つことを考えている子もいれば、ずいぶんと意地悪な子もいます。素直な子に生意気な子、爽やかな表情の子と憎々しげな子、愛嬌のある子に卑屈な子――6歳児は多彩で複雑です。

 しかし振り返ってみるとハーブは生後七か月半でまったく初心な赤ん坊です。1年後も2年後も今とそう変わらない感じでいるでしょう。赤ん坊に個性のあることは知っていますがそれでも大枠の内側にいて、三歳くらいまでは大差なく成長します。そこから3年です。
 わずか3年後にはまったく異なった子どもとなって小学校に入学し、その差は(と言って悪ければ違いは)広がる一方なのです。
 ちょうど言葉の遅かった子が、ある日を境にダムの決壊したかのように言葉を横溢させるように、3歳を過ぎたどこかの時点で、それまで育てられてきた一切を吐き出して人格の基礎とのなるものを一瞬のうちに構築してしまう、そんな感じなのです。
                                    (この稿、続く)
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