2015/2/20

「親としてすべきこと」H〜最終  親子・家族


 私は30年も教員を続けて見てきた子どもの数も半端ではありません。たくさんの問題にも携わってきました。それにも関わらず、子育てはこうすべきだという確かな図面を描くことはできません。子どもには“個性”があり、それぞれの“環境”の中で成長しているからです。地盤や気候風土の異なるところに同じ建物を建てられないのと同様です。
 したがって、私も私なりに手探りで努力するしかありませんでした。

 初めて父親になったとき、人の子の父親としてはまったくのど素人でした。二番目の子が生まれたときも、その子の父親としては初心者でした。女の子と男の子の違いもありましたが最初の子で学んだことがまったく生かせない場面が多々ありました。私は臆病者ですからしかたなく、ほんとうに多くの時間とエネルギー子どもに注ぎ、そこからひとつひとつ学んできたのです。
 しかしそれでもときどき子どもを見失い、子どもを迷わせるようなことになってしまいます。今回は娘の不登校についてお話しましたが、小さな危機は何回もあったのです。
 教育の専門家である私でさえも、これほど苦労し、時間をかけ、しかも心の中に怯えを抱えながら何とか子育てをしてきたのです。それなのになぜ、世の中の保護者の一部はああも子どもに無頓着でいられるのか、それが私の最大の謎です。

 もちろん世間には子育てに天分を持っている天才的な保護者もいます。そういう人たちは無頓着でもかまいません。なんといっても子育ては自分たちが受けてきた養育や教育の結論ですから、普通に生活しながら優れた子育てのできる人もいるのです。またそこまではいかなくても、大多数の家庭は試行錯誤を繰り返し多少の間違いを犯しながら、そしてたくさんの支援を受け続けて何とか子育てを成し遂げます。

 問題は、危機を胚胎し、あるいは最初の危機の兆候が明らかに見えながら、それでも何もせずにやり過ごそうとする人たちです。危機を察知できなければ仕方ありませんがそうではなく、そばで警鐘を鳴らす人が何人もいても頑として受け入れず自分の思いにすがり続ける人たちでもあります。あの人たちの、あのすさまじい自信、頑固さはどこから来るのか。
 繰り返しますが、私のようなプロでさえ怯え続けたというのに。

 私は「しばらく様子を見る」「信じて待つ」というのが苦手です。何かの手を打ってその期の熟すのを待つと言うのならいいのですが、台風が去るのを待つように、あるいは天恵の降りて来るのを待つように、何もせずに時を過ごすことには我慢がなりません。

 その怠惰のツケは、親だけでなく子ども本人が人生で支払っていかなければならないからです。

*以上、ある親子のことが念頭にあるのですが詳しく書けません。詳しく書けないので、なんとも分かりにくい文になっています。


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