2005/7/25

「今後の不登校対応はどうあるべきか」  教育・学校・教師


 タイトルは、ある教育雑誌の論文の題名です。

 平成4年に当時の文部省が「登校拒否(不登校)について」と題する報告書を出し、それまでマスコミや「不登校の会」などによって盛んに訴えられていた「登校拒否には登校刺激を与えないのが一番」「担任の家庭訪問などもっての外」といった考え方に文部省の御墨付きが与えられました。

 私たちは「学校に来なくていいよ、というのが学校へくる近道」という論理の逆転に抵抗感を持ち、しばらくは従来のやり方にこだわっていましたが、保護者の方から「手を出すな」と拒絶されるにいたって、全ての指導を止めてしまいました。それ以上はできなかったのです。また、何もしないほうが楽に決まっていますから、このやり方はあっと言う間に全国に広がりました。
 けれどそれにも関わらず、以来10年、不登校は減るどころか増える一方でした。さらに新たな不登校の親の中から「学校は全く面倒を見てくれない」という声が上がるにいたって、この方法は見なおされるようになりました。それが平成15年4月の『今後の不登校への対応の在り方について(報告)』と題した報告書です。この報告では、適切な登校刺激はぜひとも必要、ということになっています。

 私が切なく思うのはこの「失われた10年」の間、学校にほとんど省みられず放っておかれた不登校児童・生徒がかなりの数いたことです。そのうちの何%は、現在も社会に出ていません。また、平成4年報告以来、かなり早い段階で登校刺激を諦めることが必要とされましたので、10日ほど休んだだけで「ゆっくり休ませましょう」ということになってそのまま捨て置かれ、結局不登校になったような例もかなりあったのです。

 さらに平成10年ごろから「このやり方ではだめだ」と気づいた一部の専門家の間から「平成4年報告の読み方について、先生たちは勘違いしている。不登校の初期にあっては、登校刺激は与えてもいいのです」といった言い方が出てきたことです。これは多くの教師を傷つけました。センターの主事もカウンセラーも児童相談所の係官も、そしてありとあらゆるマスコミや、そこに登場する超一流の”専門家”がこぞって「登校刺激を与える教師の愚」をあげつらい、文部省もお墨付きを与えたやり方に従った結果が「先生たちは勘違いしている」ではかなわないと思ったのです。

 先の論文で、私が大切だと思うのは次の部分です。

 念のために書き添えるが、学級づくりに役立つと称するカウンセリング等の研修がまったく無意味と言いたいわけではない。そこで学んだゲームやエキササイズを4月の学級開き等で実施することは、集団への適応が人一倍苦手な、不登校傾向のある子どもには有効である。だが、誤解して欲しくないのは、学級への適応感を増すことがそのまま学級づくりになるというわけではない。また、「居場所づくり」の効果にしても「一時しのぎ」に過ぎない。効果がなくなる度にエキササイズを繰り返せば、とりあえず問題を「先送り」できるものの、それにも限度はある。エキササイズの繰り返しで小学校では適応していたかのように見えた子どもが、中学進学後に不登校になるのはその限界に他ならない。そうした限界に気づかずに、「簡単にできて何にでも効果がある」かのように受け止められがちな現状は、改められる必要がある。

 具体的には児童生徒にとって、自己が大事にされている、認められている等の存在感が実感でき、かつ精神的な充実感の得られる「心の居場所」として、さらに、教師や友人との心の結び付きや信頼感の中で主体的な学びを進め、共同の活動を通して社会性を身に付ける「絆づくりの場」として、十分に機能する魅力ある学校づくりを目指すことが求められる。すべての児童生徒にとって、学校を安心感・充実感の得られるいきいきとした活動の場とし、不登校の傾向が見え始めた児童生徒に対しても、不登校状態になることを抑止できる学校であることを目指すことが重要である。

 学級づくり、集団づくり等の語で語られることの多い「教師による人間関係づくり」は、「居場所づくり」には違いないが「絆づくり」ではない点である。教師は居場所をつくりだし、子どもに提供することはできる。しかし、子ども同士の絆までをも与えていくことはできない。もし、それが可能だとしたら、子どもは単なる操り人形になってしまう。あくまでも、子ども自らが「絆」を獲得していくしかない。そのために、教師は特別活動等で望ましい集団活動を工夫しなければならない。





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