2014/12/22

「生きていくことの価値」A  


 10年前から10年後(つまり今日)を考えてきました。
 私は、半分は教員として、もう半分は自分の子の父親として生きてきましたから10年後、その双方をほぼ同時に失うことに大きな不安があったのです。

 読書も音楽も、観劇や美術館巡りも好きですが、それだけで生きていけるほど好きな訳ではありません。釣りもスキーもキャンプもやりますが、アウトドアはそもそも性分に合うものではなく、子どもとやりたいばかりに大人になってから始めたものです。試しに釣りやスキーに出かけても、つまらないわけではないのですが何度もまた来ようという気にもなれません。
 社会貢献やボランティアに深い思いがあるわけでなく、人付き合いも嫌ではありませんが好んでする方でもありません。

 教師仲間を見回すと美術科の先生たちの中には意気軒昂な人たちが多く見えます。彼らは暇を見ては作品作りに励んでいた人たちです。これからは好きなだけ作品作りができると張り切っています。
 実家が農家といった人たちも家が手ぐすねを引いて待っていましたから活躍の場があります。農繁期には否応なく手伝いをさせられていた人たちですから多少の心得もあります。
 個人的に、釣りやら木彫やらバラづくりといった趣味を持っていた人も困りません。しかし私のようなタイプはまったく“困る”のです。そしてたぶん、「私のようなタイプ」の方が圧倒的に多いはずです。

 日本人男性の平均寿命は79.64歳ですが、それまでに仲間の半数が死ぬわけではありません。平均点80点のテストを考えればわかるのですが、一人でも0点を取れば平均点がグンと引き下げられます。平均80点のテストで0点は考えにくいところですが40点、50点はざらですから、そうした生徒の引き下げ圧力を考えると相当数の生徒が80点以上を取らないと80点にはならないのです。しかも最高は100点と天井がありますから80点から100点までの間にかなり密集していることになります。

 平均年齢も同じで、男性である私たちが79.64歳になったとき、一緒に60歳になった仲間のおよそ60%が生き残っています。その60%のうちのさらに数%は100歳以上まで生き続けるわけですから、本気で考えないと定年退職以降の年月は途方もなく長くなってしまいます。

 もちろん何かを成し遂げようと思えばあまりにも短い時間です。しかしなにもしないで過ごすにはあまりにも長い時間です。

 さてそれをどう生きて行けばいいのか。――若いうちに見つけておかなかった罪が問われます。

                               (この稿、続く)
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