2014/8/25

「役に立つ人々とそうでない人々」  政治・社会


 広島の被災地では日々行方不明者が増えるという残酷な逆転はなくなったものの一貫して天候が悪く、発見される行方不明者も日に一人、二人と、遅々として進みません。昨日は天候の不順を理由にボランティア活動も中止となり、多くの人々が空しく被災の地を去る姿が報道されていました。一刻も早い天候の回復と復興を祈るばかりです。

 しかしそれにしても東日本大震災以来、国内のどこかで災害があれば当然のごとく休暇を取り、リュックを背負ってスコップを手に、ボランティア活動に励もうとする誠意の人々がものすごく増えた気がします。そして無数のボランティアを差配する組織やマニュアルも非常に整った感じがします。本当に真面目な国民です。

 かく言う私も3年前、東日本大震災の際にはいち早くボランティアに出ることを考え、しかし被災地に十分な受け入れ態勢がないので3月の後半と4月の大部分をむだに過ごし、そしてゴールデンウィークになっても出番がないので仕方なく裏の小さな畑作りに勤しんでいるうちに、ハタと気づいたのです。
私なんか全く役に立たない。

 わずか半日の畑仕事で疲れ果ててしまうのです。そんな私が被災地に行って丸一日瓦礫を掘り起こすなど、とてもではありませんができるはずがありません。よせばいいのに見栄を張って能力以上に体を動かし、挙句の果てに現地の病院のお世話になって迷惑をかける、そんなところがオチです。
私はないか本当にがっかりしました。

 秋葉原の無差別殺人事件の際、直後の街に象徴的な風景が広がりました。それは直接役に立つ人間としおいうでない人間のあざやかな対比です。
救急車の駆け付けるまでのわずかな時間に、周辺にいた医師や看護師、その他医療関係者は被害者に取りついて心肺蘇生を始めます。ひとりでも助けようと皆必死なのです。その一方で他の人々――そのうちの多くが携帯電話を持ち出して写真撮影を始めたのです。

 こちらで面白おかしく写真を撮っている者たちとあちらで直接的に命を掘り起こそうとしている人々――願わくば私も“あちら側”の人間でありたいものだと、そんなふうに思わせる構図です。

 シャベルを担いで広島に行って働くだけの力はありません。もちろん募金には応じるとして、それ以外に何ができるか。
 今回は間に合わないにしても本気で考えておこうと思います。



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