2014/1/27

「家庭訪問のこと@」  教育・学校・教師


 時期はずれですが思い出したので書いておきます。それは家庭訪問のことです。家庭訪問もずいぶん様変わりしました。

 昔は子どもを持つ家の春の一大イベントで、朝から準備に余念のない家がいくらでもありました。タラノメの天ぷらというのを知ったのも家庭訪問の席でした。教え子のお祖母ちゃんが「先生に食べてもらいたい」というので、朝から熱心に作っていたといいます。私はあまり土産を持ち帰らないようにしていましたが、このときはありがたくいただいて帰りました。私というではなく“先生”というものがそれだけで尊敬された時代です。

 春だというのにマツタケ尽くしの家がありました。どうやって保存していたものか、テーブルの上がマツタケだらけなのです。私は毎年土瓶蒸しだけいただくようにしました。このお宅は兄妹を続けて担任したので都合6年間、“マツタケ尽くし”の前に座ったことになります。

 別な家では毎年、当時としては非常に珍しいケーキが出るのが常でした。しかし私はついに3年間食べることはありませんでした。生徒が睨むのです。私が母親と話している間中、ジーッとケーキを睨みつけて“誰にも食べられちゃいけないよ。私のところに来るんだよ”と言っている感じです。おかげで母親が熱心に勧めてくれても手も出せず、土産として包んでもらうこともできませんでした。
 勧められるままに何でも食べたり飲んだりしていては、話もできません。そこで少量しかいただけないのですが、それでも保護者は用意をしてくれる、そんな形で教師に感謝の気持ちを表してくれたものです。

 それが何となく雰囲気が変わってきたのは20年ほど前からです。家庭訪問の通知に「湯茶等の接待はけっこうです」と書いたらほんとうに何もない家がありました。別に悪くはないのですが、この手持ち無沙汰は何とかならないものかと思ったりもしました。茶を入れているだけでも何とか間が持ちそうなものを。

 計画通りに家に着いたら鍵が閉まっていて、呼び出しにも出てこないお宅もありました。留守宅の前でフラフラしているわけにも行かないので車に戻って待っていたら10分も送れて母親が駆け戻り、家に飛び込んでいきます。そこからさらに5分待って、「すみません、遅れました」と言うと母親は澄ました顔で「お待ちしていました・・・」。パート勤務の途中で抜けてくるのはなかなか大変だったのでしょう。

 玄関に入ったらそこから砂漠のような風景が広がっている、というお宅もありました。おそらく普段はごみ屋敷のようになっているのでしょう。家中の散らかしたものを隠そうと、すべてのものに白いシーツがかかっているのです。一軒の家によくこれだけの白布があったものだと感心するほどです。
 その白布の間を抜けて一番奥の部屋の行くと、窓際に畳一枚ほどの空間があり、小さなテーブルが窓にくっついています。そこが懇談の席で、お母さんと並んでお隣の家の庭を見ながら話すのです。とんだ借景です。

 できる範囲でというのは悪いことではありません。しかし何となくピンとこない面もありました。
 家庭訪問はそれからさらに変化してきます。

                                      (この稿続く)

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