2013/7/22

「通知票には愛がなければならない」  教育・学校・教師


 今頃になってこんなことを言うのも遅いかもしれませんが、ふと思いついたので記しておきます。それは「通知票には愛がなければならない」ということです。

「空き教室の電気のスイッチを、自分から消していた。とても感動した」
 私の息子が小学校4年生の3学期にもらってきた通知票の総合所見です。どうお感じになります?

 私は腹を立てました。その先生がとても立派で信頼に足る人だと知らなければ、人間性自体を疑ったかもしれません。だってそうでしょ?
 確かに拙い息子かもしれませんが、一年間預かってもらって印象に残った事象が「空き教室の電気のスイッチを切った」それひとつしかないというのではあまりにも情けない。しかもそれが「感動」するほどの事件だったとしたら、日ごろの息子は何者なのでしょう。
 またクラスや集団のためにまったく役に立たない子だったとしても、他に書きようはなかったのか、そんなふうに感じました。繰り返しますが、本当にクラスのために何の役にも立たない子だったのかもしれません、しかしそうであればなおのこと丁寧な記述が必要なはずです。
 
 親が通知票を通して知りたいのは、どういう教科ができた、どの部分が苦手だった、そしてどんなことに注意していけば成績が上がるかといったことではなく、ウチの子が学校でどういう扱いを受けているかということなのです。友だちの中でどういう子なのか、いじめられていないのか、いやな子だと思われていないか、ひとに迷惑をかけていないか。人並みに皆の役立っているのか、足を引っぱったりしていないか、そして先生からはどんなふうにみてもらっているのか、親が通知票から読み取りたいのはそういうことなのです。 

 だとしたら、そうしたことを意識した通知票を作成しなくてはなりません。

「担任もクラスの仲間も、みんなお子さんのことを大事に思っています」と、そんなふうに書いても、あまり意味はないでしょう。それ告白するのに「愛している」といってそれで済ませるのに似ています。言わないよりはましですが、嘘でも言えることです。

 必要なのは、自分がその子(その人)にどういう態度・行動をとったのか、ということです。児童・生徒のどの部分を心にかけ、どう対応したか、それを具体的に書くことで教師の愛を伝えていくしかありません。
 難しいことではありません。ほとんどの場合私たちは愛ある対応をしています。それを目に見える形にするだけでいいのですから。



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