2012/9/26



「いじめに対して、教師は絶対に許さないという毅然とした態度で臨むべきだ」という言い方があります。私はこれがよく分かりません。

 とりあえずそれはさておき、
 8月15日に香港の活動家14人が尖閣諸島の魚釣島に上陸したとき、識者・評論家・政治家・マスメディアは一斉に「及び腰の『配慮外交』ではなく、毅然とした対応を望む」といった発信をしたはずです。それに応えて野田首相が、8月23日の衆議院予算委員会で「領土・領海をめぐり生じる事案は、不退転の決意で毅然と対応していく。これが基本的な方針でございます」「警備態勢の強化などを図るとともに、国際社会において、わが国の立場を積極的に主張する」と述べ、強い態度で領土・領海を守る取り組みを進めていく考えを示しました。

 その上で毅然と尖閣諸島を国有化したら、ご存知の通りの中国の猛反発。するとメディアは「尖閣諸島の国有化がこうした中国の反発を招くということは予想していたか」と言いだし、首相が「ここまで大きな暴動など過剰な反応が起きる予想はなかった」と答えると、何と暗愚な宰相・・・といった論調になっていきます。

 そもそも「及び腰の『配慮外交』ではなく、毅然とした対応を望む」と言っていた人たちは、具体的に何をどうやることを望んでいたのでしょう?
 毅然というのは「意志が強く動じないようす」だそうです。
 尖閣について言えば、外国人に買い取られぬよう国有化し、尖閣諸島は日本の領土だとあらゆるところで宣伝し、そのために中国で反日デモが起きようが不買運動が起ころうが、経済制裁を受けようが軍事的圧力を受けようが、意志を固くして絶対に動じない、それが毅然とした対応であって、そのことを大部分の識者やマスメディアは望んだはずです。

 話を戻して「いじめに対して、教師は絶対に許さないという毅然とした態度で臨むべきだ」に当てはめると、「教師は絶対に許さないという『意志が強く動じないようす』で臨むべき」ということになります。しかしその具体的な意味は何なのでしょう。
 私にはそれは尖閣と同じように、相手の出方いかんに関らずどんな犠牲を払っても絶対に許さないという線を崩さないということのように感じられます。
“加害者”のどんな説明や言い訳にも耳を貸す必要はない、その保護者の訴えにも引いてはならない、“いじめ”は“いじめ”として厳しく極めつけ適切に処罰しなければならない・・・。そこには「“いじめ”で被害者に落ち度があるということは絶対にない。いじめる側が100%悪い」といった一方的な見方が背景にあります。

 私だって「被害者が悪いからいじめられて当然」といった考え方には与しません。しかし人間関係に100:0があるといった考え方も採用しません。“いじめ”の相はもっと複雑で「いじめは許さないという毅然とした態度」で臨めるような単純なものではないのです。

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