2012/4/20

逓信記念日  教育・学校・教師

 今日4月20日は逓信記念日だそうです。1871年の今日、それまでの飛脚制度に代り郵便制度が実施されました。

 その数年前、旧幕臣でありながらその能力を買われて新政府の要職についた前島密は、駅逓権正(えきていごんのかみ・水陸運・通信を司る長官)として通信交通制度の改革に取り組んでいました。1870(明治3)年には郵便事業の創業を建議。ところが噂に聞く郵便制度というのがよく分からないので前島はいったん職を離れ、この年イギリスに視察に出ます。

 何しろヨーロッパに “切手”(これも前島の造語)なるものがあるということは文献で分かるのですが、未使用と使用済みをどう分けるのか分からない、「一度使えばすぐに破れるような薄い紙にすれば」といったアイデアも試してみると使用前に破れてしまい使い物にならない、そういったところからのスタートだったようです(“スタンプを押せばいい”という単純な仕組みには全く呆れた、といった話が伝わっています)。

 帰国後、前島はすぐに東京・京都・大阪の三都市と東海道線の各駅87か所に「書状集め箱」という郵便箱を設置し、切手の発行も始めます (1871)。さらに翌1872年には全国展開を図りますが、そのかげで旧来の飛脚やかごは急速に廃れていきます。これは料金が一律でなく、配達地域も限られていたからです。

 イギリスの郵便の「全国均一料金」に感激した前島は、「利益優先ではない公共サービスとしての郵便制度」を生み出そうとしました。当初は抵抗した飛脚業者を巧みに取り込み、庄屋や名主といった地域の名士に身分や権威と引き替えに土地・建物を提供させます。これが現在の特定郵便局の原型「郵便取扱所」です。

 そして1873年4月には一律料金(2銭)の制度が完成し、東京―大阪間を39時間で配達することができるようになります。

 この1873年には、郵便はがきの発行も始まっています。これは、世界的にはかなり早い導入で、世界最初の郵便はがきが1869年のオーストリア・ハンガリー帝国、前島が手本としたイギリスでも70年に始まったばかりでした。ですからほとんど同時と言ってもいいようなものです。前島の先見性がうかがえる話です。

 もっとも中身が見えてしまう「はがき」というもの、当時の日本では相当に抵抗が強かったみたいで、最初に発行されたものは縦に2つに折り、その内側に通信文を書く形式だったようです。片面には「ひとに見られても困らない、そして丁寧に包む必要のない短い手紙を、安い値段で送るために郵便局で扱うようにしたものです」といった内容の断り書きが印刷されていました。

 しかし言うまでもなく、前島密がこれほどの短時間に郵便制度を整えられたのは江戸300年間に全国に交通網が張り巡らされ、飛脚・かご・廻船といった通信・運搬業が展開していたおかげです。しっかりとした足場の上に欧米の資本主義が舞い降りたというのは、郵便制度についても言えることなのです。

 なお、地図マークの“〒”は郵政省の前身である逓信省の最初の音である“テ”を図案化したものだと言われています。



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