2011/7/26



 中国で高速鉄道が大きな事故を起こしました。寄せ集めとは言え世界の最高の技術を集めた鉄道で背後からの追突事故が起こるというのも驚きましたが、その現場に即刻外国メディアが入り中継できたというのにも驚きました。
 北京(?)でマイクを向けられた市民が公然と政府を非難するのにも驚いて、確かに中国も変わってきたなあ思った矢先、事故車の運転席を破壊して埋めてしまったというニュースが入りこれにもびっくりさせられました。
 良くも悪しくも中国は今、変化の途上にあるのだなと思いました。



 脱原発についてさまざまな議論があります。ただ私にはよく分からないのですが、菅首相は「明日からすべての原発を止めてしまう」という意味での「脱原発」を言っているのでしょうか。だれもその時期について問わないことが不思議です。
「明日にも全機停止して廃炉に向かわせる」と言えば、脱原発にもろ手を挙げて賛成している社民党だって震え上がるでしょう。産業の空洞化は一気に進み、中小企業が片っぱし潰れるのは目に見えているからです。その責任は取りきれるものではありません。逆に「22世紀までには脱原発を果たす」ということであれば海江田さんだって無碍に反対はしないでしょう。80年近くもあるのですから。
 なのにだれも時期について問い、明らかにしようとしないのはなんとも不思議です。



 一昨日の新聞である学者が「放射能はどんなに小さな値でも身体に悪影響がある」と言っていました。あれ、ラドン温泉は?とも思いましたが、考えないようにしました。放射能の健康被害については、正反対の科学的事実が山ほどあることを知っているからです(以前、お話しました)。
 私が今、悩ましく思っているのは自然エネルギーのことです。原発などなくても、自然エネルギーだけで十分にやっていけるのだという“専門家”がたくさんいます。他方、絶対無理だという“専門家”も山ほどいます。お互い数字を出し合って突き詰めればいいようなものですがそうはしません。私はかつて熱狂的な科学の信奉者でしたが、最近は科学なんてずいぶんといい加減なものだと思うようになっています。



 昨日、言葉がないと言うことは概念がないということだ、という話をしました。その続きです。日本語の「懐かしい」に該当する英語がないという話を聞いたことがあります。何んとなく分かります。
 アニメーションは“動画”、コンピュータは中国語から借りてきて“電脳”でまったく困りません。しかしどう日本語をいじっても漢字を組み合わせても絶対に日本語にならない言葉もあります。その一つがカウンセリングです。
 説明的に言えば「不適応感をもつ人に対して、対話を通じて行動変容を起こそうとする技法」ということになるかと思うのですが、そもそも日本文化の中には「対話を通じて行動変容」というものはありません。だからどう書き直しても日本語にならないのです。
 西欧におけるカウンセリングの源流は、おそらく「懺悔」でしょう。「聖職者に告解することで許される=生き方に変化が生まれる」という文化があってはじめて育ってきたものに違いありません。

 では日本人はどうしてきたか。

 人生に悩んだり苦しんだりした日本人は、みな「修行」に出たのです。滝に打たれたり座禅を組んだり、必死に掃除をしたりお遍路に回ったり、つまり身体を苛めながら身体を通して生き方を変えようとしました。今でも使える考え方かと思います。


1



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ