2011/2/18

私の文章作法  教育・学校・教師


 文章を書く上で心がけていることが二つあります。
 ひとつは「書くように感じろ」「書くように考えろ」ということ。もう一つは「ちょっと気取って書け」というものです。両方とも『文章読本』(丸谷才一著、1977年、中央公論社)の中にあった言葉です。

「書くように感じろ」「書くように考えろ」は例えば、観光地に出かけて「あ、これいいな」と思った瞬間にそう思った要因を列挙する、というようなことです。風の匂い、夕陽の赤、波の音、人々のざわめき、そのうちの何が私を「いいな」思わせたのか、すぐに探すのです。

「ちょっと気取って書け」の方は私の場合、論説的な文章では断定的に書くこと。例えば「〜と思う」「〜ではないだろうか」を極力排し、「である」「だ」に移すこと。あるいはもっと情緒的な文章の場合は少しキザに書くことです。

 他に文章を書く上で気にかけていることの一つは文末です。日本語の場合、文末はどうしてもア段かウ段で終わりがちです(「〜だ」「〜だった」「〜です」「〜だろう」)。これだとどうしても平板になるので、「〜ではない」「〜ではありません」などを多用して語尾を整える必要があります。体言止めもよく使います。

 しかし若いころ本当に苦労したのはむしろ句点でした。どこで切ればいいのかは案外大きな問題で、幾度やり直しても納得がいきません。ところがあるとき、これが非常に簡単に解決したのです。それは息の問題なのです。

 文学の世界では「志賀流」「谷崎流」といった言葉があります。「志賀流」というのは志賀直哉に由来し、各一文が短く、短文の積み重ねによって文章を作る方法です。これに対して「谷崎流」は谷崎潤一郎に由来し、一文がこってりと長い、濃厚な文章作法を言います。

 文章というのは基本的に息とリズムで書くものですから「志賀流」か「谷崎流」かは息の長さで決まります。頭か心の中に一種のリズムボックスがあって、その音にあわせて言葉や言葉のつながりを選んでいくのです。すると作曲家が自然にブレスの位置を把握するように句点の位置が決まります。

 私の場合は息の長い方ですから、一文が平均40字ほどになります。音にすると(かな書きにすると)60音くらいです。60音は一気にしゃべれる音ではありませんから途中でどうしても息継ぎをするのですが、そこが句点の打ちどころです。ただし「結局私は」のように漢字が続き、字面で「結局私」という単語があるかのように見える場合はしかたなく句点を打つことがあります。

 文章は一気に書くように心がけています。経験的にその方がいいと感じています。何回も迷い、考えている時の文にはろくなものがありません。しかし一気に文を書くためにはそれなりの修練が必要で、基本的にはしょっちゅう書いていることが大事ということになります。

 書くための題材も常に考えています。私にはこの「デイ・バイ・デイ」という道具があるので、その習慣を守るのはとても楽です。
 今日の「私の文章作法」で986日目、間もなく1000日です。一番の収穫は書くためにいろいろ調べるようになったことです。





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