2021/1/26

「突然、ポスト・コロナについて不安になった」〜人間ドックに行って気づいたこと  生活


 人間ドックへ行ってきた。このご時世、人の多いところ、
 特に医療関係に長居をするのはいやだなと思っていたら、
 あっという間に終わってしまった。
 やればできるじゃんと思いながら、
 しかしこれがコロナ後の、標準規格になるのも嫌だと思った

という話。
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(写真:フォトAC)


【人間ドックに行ってきた】
 人間ドックに行ってきました。しかし行くまでに多少の葛藤がありました。
 現職時代は50歳を過ぎると県から補助が出て、それに個人加入の生命保険からの補助券を剥組み合わせるとほとんど無料だったのですが、退職し、個人保険も満期になって健康保険が国保に切り替わると、もらえる補助は市町村からの微々たる額のみ。自腹の支払いが3万円近くなるので年金生活者としてはかなり痛いのです。

 しかも若いころと違って褒められることがありません。せいぜいが、
「問題はありますが、心配はないでしょう」
です。喜んで行くというわけにはいかないのです。

 さらに今年は申し込んであったドックセンターの母体病院(センターに隣接)がつい先日、新型コロナの集団感染を起こしたばかりで、家族からも心配する声がありました。しかしこの歳になるとドックに行ってコロナに感染して死ぬも、キャンセルしたために病気の発見が遅れて死ぬも、可能性としては同じです。私の義理の姉(妻の実の姉)も数年前、キャンセルした翌年のドックでがんが発見され、手遅れで亡くなっています。

 胆管がんで、このがんは一昔前までは切ってみるまで分からない――切って何もなかったら「がんでなくて良かったね」、がんだったら「見つかってよかったね」と思うしかないと言われるほど厄介なものでした。ですから予定通り検査を受けていたところで見つかっていたかどうかは分かりませんが、家族にしてみればあのときキャンセルなどさせずに、もっと強く勧めておけばよかったと後悔が残りました。

――とさんざん迷って、行くも行かぬも同じものならこれまでしてきたことを続けましょう、それにもし私のように集団感染が気になってキャンセルする人が多ければ、いつもよりずっと早く終わるはずです。というわけで、いつもの通り行くことにして少し早めに家を出ました。


【異常な速さ】
 行ってみると受検者は心持ち少ないような気もしました。実際にキャンセルが出て数が減っていたかどうかわかりませんが、「早く終わるかもしれない」という密かな願いは、予想以上の形で実現しました。
 申し込んだ「一日ドック」は一日と言っても実際には半日なのですが、それでも例年は病院のレストランでいただく昼食を含めて1時半か遅くとも2時まではかかるのです。ところが今回は食事を終えて会計を済ませて時計を見たら、なんとまだ11時15分だったのです。いつもより2時間以上早く終わってしまったのです。

 コロナのせいで飛沫が飛びやすい「肺機能検査(努力性肺活量・1秒率・1秒量)」が中止になったこともあります。あるいはどの検査室も受検者と一緒にいる時間を減らすことで感染リスクを少しでも下げようと、急ぐ傾向があったのかもしれません。しかしそれにしても早すぎます。次から次へと呼び出されるので、せっかく持っていた文庫本を読む暇もないのです。
 
 胃内視鏡検査(胃カメラ)では、カメラが喉を通りやすくするためにいつもは盛大に行う「麻酔うがい」が、
「感染予防のために、静かに、控えめにお願いします」
 自然とうがいの時間も短くなりますが、それとて数分の節約。とてもではありませんが2時間短縮には寄与しているようには思えません。

 そして最後の内科検診。
 廊下の椅子に座って呼ばれるのを待っていると、ドアに張り紙が――。
「感染予防のために、内容を濃く、短時間で行うようにしていますのでご了承ください」
 “ああ、これだ”と私は思いました。

 「内科検診」は担当医が受検者の検査結果をすべて確認・検討し、それから本人を中に入れて胸の音を聞き、甲状腺の様子を調べたり手足の機能をチェックしたりして、最終的に向かい合い、ことこまかに説明・指導してくれる時間です。廊下に私を待たせたままデータを確認する時間も含めると20分以上もかかる部分で、今まではこれがいわば「フン詰まり」を起こしていたのです。
 内科検診が空かないから他も早めるわけにはいかない――そんな状況が新型コロナ対策で内科検診を大幅に短縮すると、一気に流れがよくなった、そういうことのようです。
 実際に、私の場合はそれでも10分そこそこはかかったと思うのですが、私の前に隣の部屋に入った女性などは(若かったからかもしれませんが)あっという間に出てきてしまいました。

 私のようにさっさと済ませて早く帰りたい人にとっては利益です。しかし十分に話を聞いてもらい、十分な説明を受けて堪能して帰りたい人にとっては、コロナ禍でなければ我慢できない話でしょう。ただ、同じ現象を経営者の側に立って見ると、大幅な時間短縮は受検者をさらに増やす道が開けたことにもなります。これまで定員のために断っていた分も、ある程度受け入れられるようになるわけです。

 新型コロナ状況が終わったあとで、10分以下に短縮された内科検診は元の20分以上に戻されるのでしょうか?
 私には何となくそうは思えないのです。


【ポスト・コロナについて不安になった】
 先日、私は別ブログで、
「コロナ禍が終わっても、一度始まった学校教育の効率化、学校行事の削減や新しい教科の詰込みは止まらないだろう。そしてそれは子どもたちにとっては決して良いことではない」
というお話をしました。
「新型コロナウイルスは、子どもたちの学校生活に深刻な影を落としているというが、それってコロナ以前から私たちがやろうとしていたことじゃなかった?」

 しかしコロナ禍で否応なしに進められてきたことが、コロナが終わっても続く可能性はあちこちにあります。
 例えばリモートワークはコロナ以前に比べると、終息後も格段に進んでいくことでしょう。それは高い家賃や通勤ラッシュに苦しむ労働者の願いにかなうからです。
 企業にとっても、都心の一等地に大きなオフィスビルを持たずに済み、通勤手当や住宅手当も節約できる上に、地方の優秀な人材を活用できるという願ったり叶ったりの夢の勤務形態です。

 しかしよく考えてみなくてはなりません。このWIN=WINの関係は、エリートと大企業の間だけでしか成り立たないのかもしれないのです。凡人や中小企業にとってはあまり面白味のある話ではないかもしれない――。

 コロナ禍のもとで一気に進んでいることのいくつかは、合理化に関わるものです。
 飲食も観光も潰されるのは中小零細がほとんどです。そしてかれらが手放したものを落ち穂拾いのようにかき集めている人々がいます。大手はそうやってさらに大きくなっていくのです。
 何だか私は気が重くなりました。
 私たちの子どもや教え子のほとんどは、エリートでも大企業経営者でもないのです。新型コロナに揺さぶられ叩かれて、状況が終わって気づくと社会の底辺からさらに底辺へと追いやられている――そんなことがあるかもしれないからです。

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2021/1/25

「ウサギとリンゴとビタミンの話」〜ウサギの“ミルク”とカンザスの母親が見つけ出したもの  親子・家族


 たった一羽、生き残ったウサギの“ミルク”が突然エサを食べなくなった。
 そろそろ死ぬ準備を始めたのかと思ったら、
 突然、猛烈にリンゴの皮を食べ始め、やがて元気になってしまった――と、
 この話、どこかで聞いたことのあるような気がする。

という話。
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【ウサギはニンジンでアートをつくる】
 三羽いた中で唯一生き残ったウサギの“ミルク”が、最近、リンゴを食べることを覚えました。
 もともと悪食で与えられたものは何でも食べる子でしたが、口のきれいな他の二羽に合わせて、ラビット・フードやらキャベツやらしか与えていなかったのです。

 ところが一羽だけ生き残って、お尻の始末もいいところから部屋の中で放し飼いできるようになってからは、主人(私たち夫婦)の気まぐれでいろいろなものが与えられ、さまざまなものが食べられるようになったのです。
ただし目の前にパンが置かれて戸惑ったこともありました。

 実は私は、ウサギがニンジンを食べるというのは伝説だと思っていたのです。以前、最初に我が家に来たネザーランド・ドワーフの“カフェ”に与えたところ、見向きもしなかったからです。
クリックすると元のサイズで表示します ところがあるとき、大きな生のニンジンを一本、悪食“ミルク”の前にドンと置きっぱなしにしたら、一週間もかけて不思議なオブジェ(右図)を制作し、さらに一週間かけて食いつくすと、あとはニンジンを目の前に置くだけで、すぐに齧りつくようになったのです。これで食のバリエーションが一つ増えました。

 次は何を食べさせようかと考えているうちに、ふと小学生のころ、学校で飼っていたウサギに冬の食料としてダイコン葉の乾燥させたものを与えていたことを思い出し、これも試してみることにしました。
 昔は毛を取って売るためにアンゴラウサギを買う家も少なくなく、学校は日本白ウサギでしたが、沢庵を漬けたあとに残ったダイコン葉を干して冬場の餌として使うことが多かったのです。
 現代の、ぜいたくに慣れた外国由来のウサギが、そんなものを食べるのかと半信半疑でしたが、これもよく食べました。
 そんなふうに毎日おもしろがっていたのですが、そんな悪食大食いの“ミルク”が、先月中ごろ、突然、何も食べなくなったのです。


【“ミルク”、死にかけて自ら治す】
 すでに8歳。人間に例えれば90歳を過ぎたお爺さんですので、そんなに食べなくてもいいのですが、まったく食べないというのは異常です。ウサギなんて、食って寝て、走り回って生涯を送るような生き物ですから、そのうちのひとつが完全に止まってしまうというのは明らかに死ぬ前兆なのです。先に死んだ二羽も、食が細ったというよりも突然食べなくなってそれから餓死するかのように死んで行きました。
 ネットで調べても、「食べなくなったウサギに、飼い主がしてやれることは何もありません。すぐに医者に連れて行きましょう」とあります。そこで明日は病院に連れて行こうと思ったその晩、妻が戯れに与えたリンゴの皮にとつぜん食らいついてとんでもない量を食べ始めたのです。
 まるで狂ったかのように貪り食って、仕方ないので次々と新しいリンゴを剥いて与えるとそれも片っ端食べてしまいます。
 翌日になると食欲はラビット・フーズやキャベツにも向かって行って、2〜3日後にはそれで完全に治ってしまいました
 あれから一カ月以上たった今も、“ミルク”は元気です。


【ビタミン発見の話】
 話は変わりますが、いまから150年ほど前、アメリカのカンザスに壊血病で苦しむ一歳の男の子がいました。なす術のなくなった母親はリンゴを食べさせようと、赤ん坊を膝に乗せたまま皮を剥き始めたのですが、驚いたことにその手から螺旋状に降りてきたリンゴの皮を、赤ん坊が手づかみでむしゃむしゃと食べ始めたのです。
 勘の良い母親だったのですね。病気の子が本能的に欲しがるものは体にいいに違いないと考えさらにリンゴの皮を食べさせると、容態はどんどん快方にむかって行き、野菜やイチゴジュースも加えてバリエーションも増やすと、やがて病気は快癒してしまったのです。
 現在ではビタミンCの不足が壊血病の原因だと分かっていますが、母親は本能的に息子の病気を治す栄養素を理解したのです。

 このときの赤ん坊はやがてウィスコンシン大学で栄養学の研究を始めるようになり、やがて世界最初のビタミンの発見者となります。栄養学史上最大の巨人といわれるエルマー・マッカラムです。
 マッカラムの発見したのはビタミンAでしたが、自分に関する母親の印象深い話を覚えていて、食品に含まれる未知の栄養素について、人一倍強い確信と執着心があったのでしょう。

 我が家のウサギは、もう年齢も年齢ですから将来学者になる可能性はなく、未知の栄養素を発見することもないと思いますが、自らリンゴの皮を食べて病気を治し、主人である私にマッカラムのことを思い出させたという点でとても立派な子です。

 いや立派な子ではなく、立派なお爺ちゃんですが、最近は日向ぼっこをする老人よろしく、ストーブの前で後ろ足を投げ出して眠るという、野性を完全に失った姿で私たちを笑わせています。

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2021/1/23

「更新しました」〜キース・アウト  教育・学校・教師


新型コロナウイルスは子どもたちの学校生活に深刻な影を落としているというが、それってコロナ以前から私たちがやろうとしていたことじゃなかった?



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2021/1/22

「子どもの教養そだての総決算」〜教養ある家庭に関する考察あれこれC  親子・家族


 十分な環境を築き、手を尽くし――、
 それで子どもたちの教養や趣味は出身階層を乗り越えることができるのか。
 我が子を使って行った25年に及ぶ研究の結果、
 思いもよらないことが分かった、
という話。
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【書籍が常にそばにある生活は、子どもをどう成長させたか】
 家に数千冊の本をそろえ、2歳のころから10歳になるくらいまで読み聞かせを欠かさず、書籍に使うお金はふんだんに与えてそれで二人の子はどう育ったか。
 結論から言うと、二人とも医者にも学者にも、詩人にも小説家にもならず、書籍に関わる仕事にも就きませんでした。

 それでも娘のシーナは大変な読書家に育ちました。今でもけっこうな量の本を読んでいるみたいです。読書から学ぶことも多く、その点で私たち両親に感謝するとも言っています。近年は私の方が面白い本を紹介してもらって読むことが多くなりました。
 総じて読書家には多いのですが、文章が堪能で長い書きものも苦にしません。シーナのブログは長年の私の愛読書でした(最近は更新がない)。

 しかし本というモノ自体に対する愛着はまったく受け継ぎませんでした。家にいるころは風呂に持ち込んで寝落ちして水没させたり、古新聞の束の上にドンと置いて私に処分させようとして何度も叱られたりしました。最近はもっぱらデジタル版で、紙の本は買っても読み終えるとすぐにメルカリで売ってしまうそうです。

 弟のアキュラは読書家にはなりませんでした。そもそも1万円の図書カードも使いあぐね、使い切っても私の方から声をかけないと新しいものを催促することもありませんでした。
 そう考えると、図書の環境も読み聞かせもまったくムダだったようにも見えますが、私が読み聞かせをしてあげなければこの子はロビンソン・クルーソーもシャーロック・ホームズも知らないまま一生を過ごしてしまったのかもしれません。ですから8年に渡って読み聞かせをしたことに後悔はありません。
 また、大学生になってからは気がつくと専門外の文科系の、びっくりするほど難しい本を読んでいたりしましたから、本のある生活をさせたことはまるっきりムダだったというわけでもなかったようです。


【ピアノは何を育てたか】
 他のこともお話ししましょう。

 シーナには3歳のころから、アキュラには4歳からピアノを習わせ、小学校が終わるまで続けさせました。
 アキュラはピアノなんかちっとも好きになれず、いつもウンザリしていて教室を辞めるときは心から清々しい表情だったのですが、中高生のころ、ときどき思い出してはピアノに向かっていたのはこの子の方でした。

 中学校で勉強や部活との両立ができずに泣く泣くピアノ教室を辞めたシーナの方は、まるで見向きもせずに中高6年が過ぎます。しかし大学に入って音楽サークルに入るとあちこちのバンドから声のかかるキーボードの売れっ子になり、そこで先輩のエージュと会って結婚したのですから何が幸いするか分かりません。
 弟のアキュラも大学でバンドサークルに入りました。ですからギターやドラム、ボーカルの良し悪しといった点では私よりはるかにいい耳を持っているのかもしれません。

 二人ともクラシックには少しの興味もなく、音楽に満ちた生活ということにはなりませんでした。ピアノ教室に通わせた理由が「妻が独身時代に買ってしまったピアノを無駄にしたくない」という極めて親本位の身勝手なものでしたから、結果がこの程度でも満足すべきでしょう。


【子どもの教養そだての総決算】
 ついでですので、子どもたちが良き趣味をもった良き教養人となるために私たちが施してきたその他のこと、および成果について記しておきましょう。

 スイミングスクールには早くから通わせ、小学校の修了まで続けました。そもそもが健康のためと万が一水に落ちても慌てず対処できるようにと始めたものですから、大会に出るような泳力がつかなかったことには不満はありません。 シーナやアキュラの子が小学校にあがって水泳で困ったら、プールに連れて行って教えてあげられる程度でよいのです。また将来、余裕ができてスポーツジムに通うようになったとき、プールで気持ち良く泳いで帰って来られるような子であればいいと思っています。

 絵画は特に教えたり習わせたりしたことはありません。しかし二人ともいい感じ絵を描く子で、しかも美術についてはシーナよりアキュラの方に多少の才能はあったように思っています。
 私は中学校1年生の初め、わずかな期間の美術部員でした。それに最初の授業でクロッキーがすごく誉められ、絵の具を塗り始めたら先生が何も言わなくなった、そこまでの間のことです。フォルムは良かったのですが、色がまったくダメだったのです。

 アキュラはその点、学校の美術の時間に「いくら何でもそれはないだろう」と言いたくなるようなろくでもない対象を選び、しかし色彩はじつに巧みでした。体育裏の倉庫の絵などは、あんなに人工的で灰色一色しかないようなつまらない建物を、ほんとうに上手に描いていました。親で教員の私が、感心するほどです。

 鑑賞の方は――大学生になってから私が東京の美術館に一度さそったら、以後はひとりで通うようになったみたいです。したがって二人でイタリアの美術館巡りに行ったときなど、私よりも丁寧に観るので十分に堪能できました。
 姉のシーナも何回か美術館にさそって、回数としたらこちらの方が多かったはずですが、結局いつまでたっても“お付き合い”の域を脱することがありませんでした。

 あとは――「芸能人格付けチェック」になぞらえて言えばあとは味覚だけですが、これはなか難しいところです。
 妻は料理が堪能で、作り置きもありますから15分もあれば5〜6種類の料理を並べることができます。味もいい(とバカ舌の私が言っても説得力はないのですが)。
 しかし調理の基調は、安い材料、使い残しの材料でいかにおいしく作るかというものですからグルメを育てるのには向きません。おまけに一流料亭どころか街のレストランでさえほとんど行っていないので、高級料理やワインを見分けるといった感覚はまるで育っていないはずです。
 おいしく食べられることはそれだけで価値です。しかし趣味としては「いろいろ食べたい」という意味での「食べるのが趣味」の段階に留まっているようです。


【今が幸せならいいじゃないですか】
 こうして考えてみると、私はかなり熱心に子どもの教養を高め善き趣味の持てるよう育ててきたつもりでしたが、やはり結果は大したことはなかったようです。
 ブルデューの言う通り、子どもたちも自分の出身階層を抜け出ることはありませんでした。でも今が幸せならいいじゃないですか。シーナもアキュラもそれなりに人生を楽しんで生きています。
 そしてここまで考察してきて、私はある意外なことに気づいたのです。

 映画が好き、絵画鑑賞も好き、読書は子どものころから一貫した趣味だった、などと書きましたが、それは間違いだったのかもしれません。

 私の一番の趣味は子育てなのであって、これこそ一番エネルギーも時間も金も使い、そして夢中になって楽しんだ最大のものだったのです。

(この稿、終了)

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2021/1/21

「自分がダメなら子どもを育てる」〜教養ある家庭に関する考察あれこれB  親子・家族


 昔の一般家庭にありがちな、趣味も教養もない普通の家庭に育った私。
 その私がダメなら、自分の子どもにそれなりの環境を与えてみよう。
 そうやって始めた「教養ある家庭」の環境づくり。
 さてどうなるのか、

という話。
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【考えてみたこともなかった友人の家庭環境】
 支配層、資本家、成功者たちは自らの成果を「努力」や「能力・才能」で説明し、そうならなかった人たちを「努力不足」や「自己責任」で片づける傾向があると考えられます。ブルデューやマルクスが決定論に傾くのはそのためで、
「そうじゃない。金持ちが金持ちなのは金持ちだったからで、キミが教養人なのはそもそも教養人の家に生まれ育ったからだ」
と言いたいのです。
 しかし現実の社会、例えば日本社会は、そこまで硬直化しているわけではないでしょう。

 私は高校生の時、のちに医学部に進んで医者になる年下の友だちの家に行って、そこに膨大な書籍があることに驚かされたことがあります。友人のものではありません。父親の本です。
 お父さんは何代も続く老舗旅館の婿養子で、稼業の切り盛りはほとんどお母さんがやっていましたから、本人は生涯、本を読んで遊び暮らした、そんなふうだったのかもしれません。
 もちろん彼が医学部に行くのは相応の地頭があったからでしょうが、それにしても家に本が大量にあって、父親が常に読書をしているような雰囲気の中で育てば、勉強に向かう姿勢も異なってくるでしょう。
 私が「ウンコラショ!」と重い腰を上げて勉強机に向かうのに比べたら、最低でも1割か2割引きの軽さで勉強を始められたに違いありません。なにしろ夕食が終わったら親から率先して机に向かう家なのですから。
 こうして田舎の旅館から一人の医者が生れます。さらにその友人がうまく子育てをすれば、そこから1階層、上へと昇っていくこともあったのかもしれません。


【本のある家庭の創造】
 私は子どものころから、読書も好きでしたが「本」という物体そのもの好きでした。美しく装丁された書籍はそれ自体が美術品ですから、手に入れるだけでもうれしかったのです。

 本は不注意に前から読み進むと読み終えたときに背が斜めに傾いてしまいます。そこで購入するとまずカバーを外し、後ろの方から2ページぐらいずつ丁寧に広げていきます。2ページずつというのは単に1ページだと時間がかかるからで、それをページ数の半分以上のところまで進めておきます。それから最初に戻って前から順に読み進めると、終わったときには背はきちんと丸くなっているのです。

 一冊読み終えると最後のページに読了日を記入し、ドンと蔵書印を押します。それからブックカバーが汚れないようにブックコートフィルムを貼り、最後に書棚に丁寧に入れます。そこまでが私の読書です。

 教員になってからは忙しくてなかなかそこまではできなくなりましたが、書籍自体が大切という気持ちは変わらないので一冊も捨てられません。したがっていつの間にか本棚も10台を超え、仕事部屋はかつて見た友人の自宅と同じようなものになりました。
(ただし書棚は組み立て式のスチールですし、文庫や新書がやたら多いので見た目はだいぶ貧相です)


【私自身の子どもの読書環境】
 子どもの読書環境には気を遣いました。
 二人の子には落ち着いて話が聞ける年頃から、本人が「もういいや」と言うまで、寝る前の読み聞かせを欠かしませんでした。一緒に布団に入って一冊ずつ読んでやり、そのあと一緒に眠りにつくのです。結局二人とも小学校4年生まで私の隣にいました。
 学校の持ち帰り仕事は朝3時に起きで行います。それはそれで締め切り(出勤時刻)のある仕事ですのでかえってはかどり、便利でした。

 書籍代はケチな私の家庭では唯一の例外で、私は自分にも甘かったですが子どもたちにはさらに甘くしました。中学生くらいになると1万円の図書カードを渡し、なくなるとすぐに補充してあげます。1万円といっても単行本1冊で二千数百円もしたりしますからあっという間です。
 上の女の子は困ったことに参考書マニア、かつ問題集のつまみ食い症でしたから大変な量の無駄が出ましたが、特に口出しはしませんでした。言えば切りがありませんし、始終監視しているわけにもいきません。買ったものを見比べて「こっちでいいだろう」とアドバイスするだけの時間もエネルギーもないのです。放置しました。

 下はオタク系男子ですから図書カードが全部マンガやフィギュアに化けてしまう危険性もありますし、そもそもカード自体が現金化される可能性もないわけではありません。しかしこれも覚悟を決めました。その程度は信じてやらなくてはなりませんし、実際に信じてよかったと思っています。したがってこちらも言われるままに追加して放置。
 根拠は双方とも、こちらの能力として管理しきれないことです。

 さて、そこまで手を尽くして読書環境を整えられた子どもたちはどう育ったか、ブルデューの軛を逃れることができたのか――。
 それについては明日、お話しします。

(この稿、続く)

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2021/1/20

「私の趣味の履歴書:あれもこれも全部ダメ!」〜教養ある家庭に関する考察あれこれA   教育・学校・教師


 自分が趣味だと思って多少の自信をもって取り組んできたこと、
 それもじっくり考えてみるとまるで大したことがない。
 結局、人は出身階層の影響を逃れられないという
 ブルデューの理論から脱することはできないのだろうか、
という話。
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(上野の森美術館「怖い絵展」《2017年》)

【私の趣味の履歴書】
 考えてみたら絵画鑑賞が好きといっても足繁く美術館に足を運ぶようになったのはここ十数年のことです。それ以前は教職と子育てで美術館どころではなかったというのが正直なところです。
 
 18歳から30歳まで12年間も東京にいたのに、美術鑑賞だの博物館だのに足繁く通ったのは都会を離れることが決まって急に惜しくなった最後の一年間だけでした。それ以前は今でいうブラック企業の社員でしたから美術鑑賞どころではなかったのです。
 さらに遡って中高生の頃はどうだったかというと、中学校1年生の時は半年だけの美術部員でしたから興味がなかったわけではありませんが、地元の美術館ですら訪ねたのは1〜2回程度だったと思います。それも何か特別な事情があってのことだったと思います。
 大雑把に言って、29歳のときに国立博物館(だったと思う)で開催された「モネ展」に衝撃を受けて、「やはり絵画は本物を見なくては」と思ったのが、50歳近くになって余裕が出てきて花開いた、という感じです。

 読書は子どもの頃から好きでした。しかし“興味の赴くに任せて”といった読書ばかりでなく、大学生になってからは“読まねばならない”といった義務感、あるいは見栄に押されてしかたなく読み続ける読書というものも増えました。
 昨日は「『資本論』研究会」の話をしましたが、サルトルだのボーボワールだの、吉本隆明や埴谷雄高は全共闘世代の必読書でしたから、「遅れて来た青年」としては読まずにはいられなかったのです。もちろんほとんど理解できませんでしたが。
 就職してからは教育に関わる本しか読まなかった印象があります。たぶんそうだったのでしょう。

 映画も、田舎に戻ってからは上映館に行く機会が極端に少なくなりました。忙しかったこともありますが、若いころは後に肺ガンになるほどのヘビースモーカーでしたから途中退席せずに1本観終わることもできず、歳をとってからは今度は頻尿のために1本観終わらないという情けなさ。結局レンタル・ビデオ鑑賞(現在はアマゾン・プライム)をせざるを得なかったのです。
 入場を払って映画館の大画面で観るのと、家で寝っ転がってときどき停止ボタンを押してはトイレに行ったり食べ物を調達して戻って来る鑑賞が、まったく違うということは私も知っています。


【結局、大したことはなかった】
 こうして振り返ってみると、どれもほんとうに大したことはありません。
 昨日は謙遜も交えて、
「私には“これが趣味だ”と胸を張って言えるようなものはありません」
と書きましたが、今日は改めて考えると胸を張るどころの話ではないのです。
「現在の私の書籍と美術と映画に関する教養はすべて私一人が引き寄せて築いたものであり、(中略)ブルデューがいかに偉大であろうととやかく言われたくありません」
とは、よくも言ったものです。
 ブルデューの言う通り、私も学歴や出身階層の呪縛から逃れられなかったようです。

 しかしだからと言って、趣味や教養に満ちた家庭をつくってくれなかった両親を恨む気持ちはありません。昔の庶民の家なんてみんな似たり寄ったりですし、現在でも家に本らしい本の一冊もなく、土日に文化的な場所へ連れて行くこともない家庭はいくらでもあるでしょう。
 だから公立学校は文化的な行事をふんだんに行わなくてはならないのですが、その程度ではブルデューを打ち破ることはできないのかもしれません。
 自分が趣味だと思い込んでいたものですらこうですから、他の領域となるとさらにいけません。


【さらに分からないこと】
 今年も我が家は正月の定番として、テレビの「芸能人格付けチェック」を楽しみました。
 これは芸能人二人または数人を一組として、ワインや牛肉、楽器や芸術作品の良し悪しを見分けようという番組です。メンバーの誰かが間違えるたびに「一流芸能人」から「二流」「三流」「そっくりさん(の素人)」と格が下がっていき、最後は「映す価値なし」ということで画面から消えてしまいます。番組の中で「ガクト様」と様付で呼ばれる歌手のGACKTは、今年も負けなしの65連勝でした。
 
 視聴者として、ワインや肉など口に入れるものはもちろん無理ですが、芸術作品や音楽(楽器や演奏の良し悪し)は見るもの聞くものですから無意識にも一緒に考えることができます。ところが私はこれがまったくダメなのです。二者択一が基本ですからデタラメにやっても5割は当たるはずなのに、特に音楽では2〜3割の正解しか出せません。要するにまんまと騙されているのです。
 では普段、音楽はまったく聞かないかというとそうではありません。在宅が中心の今となっては日中のほとんどをBGMとしてジャズやポップス、R&Bをかけっぱなしにしています。
 若いころはクラシックもけっこう聞いていて、プロコフィエフとラフマニノフ、サティとモーツァルトが好きです。ほかにドヴォルザークとチャイコフスキー。
(もっとも取り合わせを聞いただけで、「ダメだ、コリャ。コイツなんも分かってない」ということになるのかもしれませんが)

 中学校の教員だったころ、吹奏楽部の大会直前校内演奏会が終わったあとで、同僚の理科の先生に、
「いやあ良かったですねぇ。3カ月前にはどうなることかとすごく心配したのに、なんとか形になりましたねえ」
とか言われたのですが、違いがまったく分かりませんでした。当然「格付けチェック」でもダメです。正確に言えば“違いは分かるがどちらがいいのかは全然分からない”のです。


【何もかも全部ダメ、味はもっと分からない】
 さらにもうひとつ自分を腐しておきます。それは料理です。どうやら私には味が分からないらしい。
 子どものころ母が、
「お前は何をつくっても『美味しい、美味しい』と言って食べてくれるから張り合いだと思っていたけど、どんなに手を抜いても『美味しい』っていうことが分かってからはだんだんやる気がなくなった」
と言われたことがあります。

 好き嫌いはありましたが、食べられるもので不味いと思ったことはまずありません。今では食べられないものはほとんどなくなり、何でもおいしくいただけるのは幸せだとも言えますが、“バカだから幸せ”というのも果たしてどうだろう?と考え込むこともないわけではありません。
 
 私は少しでも文化的なものに近づき、文化的な素養を身に着け、文化的な生活を送る文化的な存在であろうとしました。しかし属性からすると到達できる段階も低く、時間もかかりすぎるのかもしれません。
 人生の終盤に差し掛かった今、それを恨んだり改めてやり直そうと思ったりする気持ちもありません。ブルデューの決定論に従えば、結局、出身階層の呪縛から逃れられないのですから。
 しかしそうなると「子どもには良い環境を」とか「孟母三遷の教え」とか、あるいは子どもが小さなころからお稽古事やスポーツジムや、塾に通わせることにどういう意味があるのか、ということになりかねません。
 明日、もう一度考えることにしましょう。
(この稿、続く)


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