2021/4/16

「この30年間に増えもの、そしてなくならないもの」〜教師の働き方改革の行方D(最終)  教育・学校・教師


 政府に不都合がなければ制度は変わらない、
 学校に持ち込まれるものは“善きもの”ばかりで、善きものだからなくなることもない。
 増える一方だ。
 だからもうしばらくこのままを続け、
 学校が完全に終わるまで待つしかないのかもしれない。

という話。
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(写真:フォトAC)

【政府に不都合がなければ制度は変わらない】 
 「公立学校における働き方改革の推進(全体イメージ)」には教員の負担軽減のために、
教員免許更新制や研修を巡る制度に関して包括的な検証を進め、その結果に基づき、必要な見直しを実施
するという記述があります。更新制の見直しについては先月も、萩生田文部科学大臣が中央教育審議会に抜本的な見直しを議論するよう諮問したというニュースが流れました(2021.03.12 共同通信「免許更新見直しへ教員に実態調査 文科省、中教審に改革を諮問」
 しかし文科省がこんなふうに急いで仕事を進めるときは、たいていが教師のためというより政治か己のためです。

 教員免許更新制のため退職教員の免許が次々と失効してしまい、産育休や療休の教員が出た際、代わりとなる講師がほとんどいなくなってしまったのです。育児や介護が終わったから再び現場へと考える人はこれから更新講習を受けて来年の春には間に合わせてくれるかもしれませんが、来週あるいは来月から来てくれと言われても間に合いません。もちろん、今や教採浪人の若者なんてほとんどいませんから、穴の空いた担任の席は教頭先生が臨時で埋めたりしている状態です。

 しかし教員免許更新制は「指導力不足の教員がいる」との批判の高まりを背景に(前述の2021.03.12 共同通信)始まったものですから止めるのは難しそうです。まさか「十分に指導力がついたのでやめる」とは言わないでしょう。

 この制度は日本の学校教育は死んだ、もしくは瀕死だという認識から始まった「教育再生会議」が言い出したことで、乱暴な言い方をすれば「オマエらは能力が低いから10年おきに自分で金を出して研修を受けろ。でなければ免許失効だ」という、教師にとっては耐えがたい屈辱的な制度です。ですからなくなるに越したことはないのですが、日常の業務の軽減になるかというとそうでもありません。
 更新講習をできるだけ近い場所で、しかもより安い受講料で受けようとすると申し込みは大変ですが、講習自体は長期休業に受けるのでさほど日常に影響はないのです。負担軽減のために廃止ないし削減すべきことは他にいくらでもあります。


【学校に持ち込まれることで、悪いものはひとつもない】
 学校ですから、ここに持ち込まれることで悪いものはひとつもありません。いいことばかりが次々と持ち込まれ、いいことだからいつまでも残り、学校は窒息しかけています。

 例えば「特別な教科道徳」
 もちろん悪いことではありませんが、「教科の中に含めるので評価が必要、点数は馴染まないので記述式」と言われた瞬間から、通知票と指導要録に膨大な時間がかかるようになります。そもそも「総合的な学習の時間」が創設された時点で記述欄が一つ増えているのです。これに本来からある「総合所見」を合わせ、三つの記述欄を30数人について書き分けるというのは容易なことではありません。

 中学校3年生の担任はさらに調査書(内申書)が加わります。これもかなり昔、文科省が「調査書重視」の方針を出したとたんに記述量が膨大になったものです。最近は専用ソフトのおかげで手書きせずにすみ、ずいぶん楽になったように言われますが、ワープロの文字は手書きの1・5倍から2倍近くも入るのです。生徒を何とか合格させたいと思うと空白部分はできるだけ少なくしたい、「本当はもっと良いところがたくさんあるのに欄が少ないので書ききれません」という体裁をとりたい、そう考えるとどうしても分量は増えます。さまざまな事情によって公立の工業高校と私立普通科を受験するといった生徒がいると、二種類以上の調査書を作成しなくてはなりません。。


【教員評価・学校評価・児童生徒の評価・保護者評価】
 なくすべきは、あるいは「教員評価」。これだって悪いものではなく、自分の授業や教員としての活動を見直すという点では必要なものです。
 しかし毎年新たな野心的な目標を立てたところで、日常業務に追われていては達成しようがありません。そこで目標は無理なく達成できる小さなものにし、これも記述欄だらけの評価票に作文していくしかなくなってきます。

 校長にとっても大変な制度で、職員数10人程度の学校ならまだしも、小中高とフルセットで、寄宿舎職員も入れると100名を越える職員のいる特別支援学校の校長など、どうやって面接し、どうやって評価しているのか謎です。一人3分間のベルトコンベア式面接をやっても5時間以上、それを年3回もやってさらに評価欄に記述するのです。
 その校長の評価をするのが教育長ですが、月に一回、会議で会うだけの校長をどうやって評価するのか、これも謎です。結局、形骸化していくほかありません。

 その他、学校評価・児童生徒の評価・保護者評価――これらを実施・集計し、説明するのは容易ではありませんが、その後、文科省や都道府県教委から指導を受けたこともありません。
 もしかしたら文科省は指示を出したきり、忘れているのかも知れません。


【新しい制度と活動、追加教育】
 文科省は忘れているのかもしれない――自分で書いておいて自分でびっくりしています。
 そうです。現場で教師たちが死ぬほど苦労しているというのに、もしかしたら政府・文科省・世間の人々は、かつて決めて指示を出したことが今も守られていることに気づいていないのかもしれません。

 制度や活動としては学校評議員制度、開かれた学校づくり、地域交流、学校マネジメント等々。その中には先日お話しした競争を煽る全国学力学習状況調査も入ります。
 教育内容としては性教育、人権教育、平和教育、国際交流教育、環境教育、薬物乱用防止教育、コンピュータ・リテラシー教育、キャリア教育、防災安全教育、等・等・等・・・。
 これらの大部分はこの30年あまりの間に追加されたいわゆる「追加教育」です。今もほとんどが続けられているますが、それを文科省は忘れてしまい、だから小学校英語をやりましょうとかプログラミング学習が必要だとか平気で言えるのかもしれません。


【政府・文科省に教員の仕事を増やしているという自覚がない】
 昨年6月、文科省は「学校における携帯電話の取扱い等に関する有識者会議」を開催し、中学校では一定の条件のもとで携帯電話等を学校に持ち込んでいいという方針を示しました。これに素直に従った自治体は少ないと思いますが、文科省の通達を盾に、これから便利を優先する保護者達が圧力をかけてくるのは必至です。いずれすべての中学校で持ち込みが可能となるでしょう。
 それに付随する学校の困難については別のところに書きました。

2020.06.27 キース・アウト『万が一の危機に備えて、日常の危機を甘受できる大人たちがいる〜文科省は「学校に携帯を持ってくるように」と子どもたちに言った』

2019.01.22 アフター・フェア『「町田都立高校教師暴力事件」〜子どもたちは天使じゃない1』

2021.03.29 キース・アウト『文科省が学校への持ち込みを許可したスマホで、子どもたちが盗撮をすることがあるからしっかり指導しろって、オイ! 「教師の働き方改革」「時間労働の削減」はどうなってるんだ!』


 学校へのスマホの持ち込みを許可するということは、これほど大変な事業なのです。しかし教員以外に、それがとんでもない負担だと理解する人はいません。

 こんなふうに、学校の仕事は今後も増え続けるしかないようです。そして若い教員がさらに減り、にっちもさっちも行かなくなったら、そこに新しい可能性も生まれてくるかもしれません。
 それまで待つしかないというのが、とりあえずの私の結論です。

(この稿、終了)

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2021/4/15

「多忙化の原因は学校教育の本体にある」〜教師の働き方改革の行方C  教育・学校・教師


 部活動が学校教育から切り離せないとなると、
 もう大規模な働きかた改革はできないのだろうか?
 そんなことはない。
 30年以上昔の教員は今よりもずっと長時間の部活をしながらも余裕があった。
 教職が苛酷になったのは部活のせいでも、保護者のせいでも教委のせいでもない。
 学校の本来業務が異常に増えたからなのだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【部活は学校から切り離せない】 
 中学校と高校の部活動はすでに日本の文化です。
 箱根駅伝も高校野球もJリーグも、その他日本中のスポーツのほとんどが中学校の部活に支えられています。水泳やフィギュアスケートのように選手育成の主軸が校外に移っている場合もありますが、大部分は部活動が担っているのです。
 
 それを外部に委託する――といっても可能性はほとんどありません。
 例えば私の住む街には20の中学校がありますが、そのすべてに吹奏楽部があってこれを外部委託するとなると20人の専門家が必要になります。しかも市内に適度に分散していないと毎日の活動に差し支えます。さらに部活は吹奏楽以外に、野球もサッカーも、バスケットボールもバレーボールも、卓球にテニス、柔道に剣道、いくらでもあるので、用意しなくてはならない数百人にもなるでしょう。

 いや20校に20の外部吹奏楽部をつくることもないだろう、という考え方もできます。実際にアメリカのグラブチームは学校数あるわけではありません。20校の吹奏楽部を外部に委託するなら、地区を10ほどに分けて1地区にひとつづつ置くという方法も考えられます。
 ただしその場合は、アメリカと同じように保護者が練習会場まで送り迎えしなくてはなりません。それができる親の元に生まれた子だけが参加できるということです。

 また親に送り迎えさせる以上、練習中はずっと球拾いだとか楽器磨きだとかいったわけにはいきません。全員が同時に練習ができない競技や活動では、どうしても選抜が必要になってきます。逆に言えばスポーツにも芸術にも取り立てて才能のない子は必然的に帰宅部になってしまうわけで、この子たちの放課後についても何らかの抑えが必要になります。
 合衆国でクラブチームが盛んな背景には、これらをすべてクリアできる社会があるということです。

 日本にアメリカ型クラブ―チームを定着させるなら、まずチーム経営がきちんと行われるよう、遅くとも15時には学校を出られるよう学習内容を削減し、輪番にしても一部の親たちが同じ時刻に職場を離れ、子どもの送り迎えやチームの運営に協力できるような社会体制づくりから始めなくてはなりません。今、学校が困っているからといってすぐに達成できるようなことではないでしょう。
 いまさら「中学生の子どもが15時には学校を出てしまう、それ以降の管理は親の責任でしっかりお願いします」と言われても、保護者は困惑し、抵抗するだけです。


【減らすこともできない】
 そんな説明をすると部活の負担に苛立つ先生の中には「だったらやりたい先生だけがやればいい」などと無茶なことをおっしゃる方も出て来ますが、300人規模の学校で「やりたい先生」が4人しかいなかったら(改めてやりたいかどうか問えば手を挙げる先生はその程度でしょう)、1部活75名の大所帯です。やはり選抜試験を行って半分以上を帰宅部にするしかなくなってしまいます。もちろん学習塾に通う子もいれば他のお稽古事に出かける子もいますが、どちらも続かない子は下校時刻の午後4時から、夏の陽の長い時期で午後7時ごろまでの3時間あまり、毎日、街をうろつくしかやることがなくなってしまいます。親や教師はその不安に耐えられるのか――。

 では中学校の教員は今後も永続的に過酷な部活動に耐えて行かなくてはならないのでしょうか?――そんなことはありません。なぜなら30年以上前はおそらく今よりもはるかに長時間の部活をやっていたのに、今ほど苦しくはなかったからです。土曜の半日授業もあって午後は部活三昧で、時間的には厳しかったもののけっこう楽しくやっていました。今ほどは苦しくなかった。

 なぜ教職は苦しくなったのか――。
 答えは簡単です。部活が過剰になったわけでも行事が増えたわけでもない以上、学校教育の本体、授業と学校運営上の仕事が増えたのです。


【負担の象徴:総合的な学習の時間】
 度重なる教育改革のためにこの20数年間に何が増えたのか――。まず挙げられるのは「総合的な学習の時間」(2000年〜)でしょう。

 私は総合的な学習の時間の理念も実際も素晴らしいものだと思っています。しかし、一般にはまるで注目されませんが、これによって中学校の学級担任はそれまで教えていた自分の専門教科(国語・数学など)・道徳・特別活動(教科教育と道徳を除く学校のすべての活動・生徒会や学校行事など)以外に、週3時間の新たな授業を行わなくてならなくなったのです(現在は週2回)。
 しかもこれは教科書のない、生徒・地域の実態と教師の独創性に基盤をおいた「生きる力」をつけるための学習とされ、その負担は膨大なものでした。初期においては「総合的な学習の時間」や「生きる力」などの概念から学び始めなくてはなりませんでしたし、生徒・地域の実態はそのつど調査しなくてはなりません。学校や担任クラスが変わるたびに内容を変えなくてはならないこともあります。

 もちろん新しい内容を盛り込むに際して文科省は古いものの一部を削りました。学校5日制の完全実施と同時の改革でしたので、国語や数学など教科の内容も多くを削ったのです。それがあの悪名高い「ゆとり教育」です。

 「ゆとり教育」はそれが完全実施される以前から激しく攻撃され、10年後の学習指導要領で旧に復されることとなります。内容を元に戻すなら「総合的な学習の時間」もなくし土曜授業も復活されなくてはならないのに、枠はそのままに内容を戻したので現場の負担は倍増し現在に至っています。
 私の「学校教育の寄せ鍋」を例にすれば、鍋を小さなサイズに替え、新しい具材を入れるために定評のあるハンペンやガンモドキを減らしたら文句が出たので外した具材を再び戻した、そんな感じです。


【新しい教育が教師を苦しめる】 
 「総合的な学習の時間」は新しい概念ばかりで本当に大変でしたが、このような新しい概念・新しい教育・新しい指導法は不断に学校に入り込み教師を苦しめます。そのたびに概念を学び、実践し、日々の授業に応用しなくてはならないからです。

 昔の子どもが生活の中で自然に学べたことを学習し直す生活科、新たに図工科に入ってきた「造形遊び」、課題解決学習、問題解決学習、絶対評価、PDCAサイクル、最近はアクティブ・ラーニング等々。
 これらを実践するために犠牲にされたものは、私的時間と明日の教材研究の時間、そして児童生徒のことを考える時間です。

 もっともこれらは子どもの成長に役立つという点でまだ我慢できる部類の負担でした。ほんとうにやりきれないのは、どう考えても直接的には児童生徒のためになるとは思えない学校運営上の新たな負担です。

(この稿、続く)

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2021/4/14

「部活は絶対なくならない」〜教師の働き方改革の行方B  教育・学校・教師

 中学校教師の苛酷な勤務状況という話が出ると、真っ先にやり玉に挙げられる部活動。
 しかし部活の外部人材の活用、外部委託という話は、もう20年以上の歴史を持つ。
 具体的な動きが始まってからでも10年以上。
 これだけかかってもできないことは、結局できないことだ。
という話。
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(写真:フォトAC)

【部活動をいかにせん】 
 教員の働き方改革で常にもっとも問題になるのは部活動です。
 部活の一部は明らかに毎日、勤務時間外に行われていますし、休日に出勤しなくてはならないのも部活動のためというのが第一だからです。
 
 部活が学校にとって負担だという話は20年以上前からあったもので、1996年4月〜7月にかけて文部科学省(当時は文部省)が実施した全国調査「中学生・高校生のスポーツ活動に関する調査」(『運動部活動の在り方に関する調査研究報告書』(1997年))のなかにも同じような内容を見つけることができるといいます。(2018.01.02 Yahooニュース「学校から部活がなくなる? 完全外部化の是非」

 部活を外部に移行するという話も「開かれた学校づくり」の一環として模索され始め、2000年代後半に至ってようやく「社会体育」への移行というかたちで動き始めます。
 学校がいきなり部活動を放り出しても受け皿がありませんから、社会体育としてのスポーツ団体を立ち上げ、徐々に移行しながら最終的には社会体育に任せてしまおうという計画です。
 ところが始めてみるといきなり躓きます。そもそも組織が立ち上がらない、指導者になってくれる人がいなかったのです。

 現在のようにさまざまな制約が課せられる以前、部活指導は「朝7:00〜8:00、午後16:30〜18:30、休日は3時間まで」というのが基本でしたから、部活動を社会体育に移行する、あるいは外部指導者に来てもらったり外部委託にしたりするといった場合、その時間帯に活動できる人や組織を探さなくてはなりません。中途半端な時間帯で、普通の勤め人には対応できるものではない。
 話があと先になりますが、言うまでもなくバスケットボールやバレーボール、あるいは吹奏楽といった特殊な世界の指導ができることが前提です。十数年前の「社会体育への移行」はその点で大失敗をしてしまいました。


【社会体育への移行は、教師の大幅負担増を引き起こした】
 とりあえず地域は、当時、平成不況のためにかなりたくさんいた教採浪人(教員採用試験を受けるためにアルバイトをしながら試験勉強をしていた若者)に白羽の矢を立て、いくつかの社会体育団体を立ち上げました。もちろんすべての部活というわけにはいかず、都会の学校でも2〜3の部で導入できたにすぎません。
 実際、教採浪人は各市町村に何百人もいたわけでなく、教育委員会から出される謝礼もスズメの涙ほどでしたから受け手も見つからなかったのです。

 実際の活動もまた中途半端でした。
 部員にとって活動の時間は変わりません。ただし朝部活は社会体育扱いなので教員は来なくてもいいということになり、午後も退勤時刻の17時までは教員がいるものの、あとは社会体育の講師が指導するという形を取ります。生徒からすれば「お手伝いのお兄ちゃんが来て、遅くまで熱心に指導してくれる」という感じだったのかもしれません。しかしそれも1〜2年が限度でした。
 なにしろ教採浪人ですから翌年には合格してしまったり、講師として採用されたり、あるいは2回も3回も落ち続けて結局、別の進路に進んだりと、かなり早い段階でいなくなってしまったのです。

 代わりはそう簡単に見つかりません。しかし社会体育は存在する。
 運営組織として社会体育は部員の保護者たちが主体でしたが、困り切ったこの人たちはあろうことか学校の部活顧問に指導者を頼みに行ったのです。ほかに人がいない以上、やむを得ない措置でした。
 社会体育に指導者がなく、地域に候補者もなく、保護者に哀願されると教員は応じざるを得ません。受けなければ子どもたちを放り出すことになります。また(正直に言いますが)、むしろ積極的に呼応していった教員がいたのも事実です。

 チームを本当に強くしたい部活顧問たちはこの機を逃しませんでした。制度の趣旨の先取りをして学校から部活をなくし、あっという間に社会体育への移行を果たしてしてしまいます。
 どういうことかというと、放課後すぐに部員たちを下校させ、早い夕飯を摂らせたあとで改めて集合させるのです。社会体育は学校の活動ではありませんから校長の指導を受けることもありません。18時に始まった練習は、理屈上3時間でも4時間でも続けることができます。土日も制限なくできます。


【負けてもいいが子どもたちをなぶり者にされたくない】
 もちろんそこまで勝つことにこだわらない教師は真似をする必要はありません。しかし次第に過剰練習の波に飲み込まれて行きます。勝たなくてもいいのですが、なぶり者のされるような負け方はしたくないのです。

 野球の0−20(コールド)、バスケットボールの2−50、剣道・柔道の10秒一本負け。

 指導者の力量に差があり、練習量にも、個人の能力にも差があるとはいえ、同じ2年半を競技に捧げてきた部員たちが、コートで手も足も出ずに好き放題にされているのです。試合中であるにもかかわらず顧問に向けて繰り返し投げかけられる助けを求めるような視線――他のチームについて傍で目撃しただけですが、私は二度と忘れることはできません。
 他校が無制限の練習をしていると聞けば、応じざるを得ないのはそのためです。

 かくして部活の社会体育への移行は、無制限の教員の負担増となって戻って来ました。もちろん問題となって今は禁止されていますが、昨日お話しした「公立学校における働き方改革の推進(全体イメージ)」のB外部人材の配置支援とC部活動の見直しは、単に金を出して、どこかの学校が死ぬほど苦労して成し遂げた稀な成功例を示そうというだけのものです。安易に真似できるものではありませんから要注意です。

 断言しますが、学校から部活動をなくすことなどでできません。できても1〜2の部活だけです。
 1日につき3時間、週6日の指導で生計の成り立つだけの指導料(例えば年収400万円の複数年保証)を払えばやる人も出てくるでしょうが、そんなことは不可能です。
 文科省の「善処します」を信じて部活の外部委託に期待するのは時間の無駄です。そんなことはやめて、今できることを要求していくしかありません。

(この稿、続く)

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2021/4/13

「教員の負担を減らすために必要な労働コストの話」〜教師の働き方改革の行方A  教育・学校・教師


 あまりに過酷なために志望者の少なくなってしまった教職をどう立て直すか――。
 文科省はすでに平成31年、
「公立学校における働き方改革の推進」を出して方針を示したが、
 下手をすると、実施されて今よりも大変になるかもしれない。

という話。
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(写真:フォトAC)

【勤務時間の制限が教師を苦しめる】
 教員の苛酷な勤務状況に対して文科省は何もして来なかったわけではありません。
 平成31(2019)年1月25日の「学校の働き方改革」に関する中央教育審議会答申を受けて始められた改革は、「公立学校における働き方改革の推進(全体イメージ)」にうまくまとめられています。しかしざっと眺めただけでも限界は自ずと見えてきますし、扱いをあやまるとかえって労働強化につながりかねない部分さえあります。
 例えば「外形的に把握することのできる時間を『在校等時間』」と定義し、
@ 1か月の時間外在校等時間ついて、45時間以内
A 1年間の時間外在校等時間について、360時間以内

を上限とするという指針、現実性という点ではとても首を傾げるものです。

 30年近く以前のことですが、私が中学校の部活持ち学級担任であった時期は、同時に子育ての真っ最中でした。夫婦で教員でしたから家事分担は厳密で、夜7時には自宅に戻り、夕食を取った後は子どもを風呂に入れ、着替えと歯磨きを済ませると本を読んで一緒に寝付くのが日課でした。朝は3時に起きて6時までが持ち帰り仕事の時間です。独身の先生たちは9時・10時と学校で仕事をしているわけですから、同じように働くとなると家で3時間の仕事をしなくてはなりません。
 朝は7時に出勤しました。朝部活がありましたし、印刷など家でできない仕事はこの時間にやるほかありません。
 
 確認しますが、午後6時半まで部活をして7時までに帰宅するのは、教員としては例外的に早い退勤に当たります。その「最も勤務時間の短い私」の時間外在校等時間は1日3時間、1か月20日の勤務で60時間にもなってしまいます。それをどうやって45時間以内にしようというのでしょう。
 これはもう部活をやらないことを前提とし、教材研究など家に持ち帰ることのできるものは持ち帰り、成績処理等個人情報に関する業務のみを学校で行え、と言っているのと同じです。 
 しかしそんなことは不可能ですから、日曜日などに隠れて出勤して行うしかありません。

 また「休日まとめ取り」の変形労働時間制は、東京都などで月一回以上行われている土曜授業の常態化に寄与することになるかもしれません。
 現在、年間の授業日数は200日ほど。これは40週間にあたりますから土曜授業が常態化すれば授業日は40日ほど増えます。3時間授業ですから実質的には20日分にしかなりませんが、20日といえば1か月分の授業と同じです。
 半日とは言え土曜日に家に子どもがいないとなれば半分程度の保護者は大喜び、学力が向上するかもしれないということで議員や地域の人々からも好評を博すでしょう。しかしそれが「教員の働き方改革」だと言われると、何かピンときません。

 さらに議会や教委からは「長期休業にたっぷり休めるのだからいいだろう」と極めつけられ、世間からは「先生たち、夏にはたっぷり休めてお気楽ね」などと蔑まされる――。学校完全5日制になる直前がそうでした(*)から間違いありません。
*公務員全体が完全週休二日制になる中で、学校だけは月1回の土曜休、月2回の土曜休と順次増やしていったため、その分を夏休みにまとめ取りした時期があった。


【教員の負担を減らすために必要な労働コストの話】
 文科省もただ勤務時間を減らせと言っているわけではありません。仕事の中身を減らす提案も具体的に8項目にまとめて示しています。
@ 教員定数の改善(小学校の学級編成の標準を40人から35人へ)
A 教科担任制の推進
B 外部人材の配置支援
C 部活動の見直し
D 教員免許更新制の検証
E ICT環境整備の支援
F 学校向け調査の削減
G 全国学力学習状況調査のCBT化


 しかし騙されてはいけません。例えば教員を増やすことなく実施する小学校の教科担任制は、学級担任同士が教科を交換し合う非常に複雑な授業形態です。1学年1クラスしかない学校では5年生と6年生の担任が授業を交換するしかありません。
 ひとりが5・6年の算数を見る代わりに、もうひとりがそれほど得意でもない国語を教えるといったふうにやるのです。もちろん5年と6年では指導内容が異なりますから、教材研究が半分になるわけではありません。
 また、5年・6年の算数と国語は指導時数が同じですから交換しやすいのですが、理科と社会科は時数が異なるので他の教科とセットにした複雑な交換にならざるを得ません。そのやりくりだけでも大変で、果たして教員が楽になるかどうかは不明です。

 6番と8番についてもコンピュータを整備すれば仕事が楽になるというのは思い込みです。ICTが進めば教師は専用のコンテンツを作成しなくてはなりませんし、スキルも高めなくてはなりません。研修も増えます。
 また、全国学力学習状況調査の大変さは当日の事務処理の問題ではありません。都道府県ごと、市町村ごと、学校ごとに比較され指導されるため、成績を上げるよう準備しなくてはならない、そこが大変なのです。試験対策をしてはいけないと言われても、あれほど試験対策の馴染むテストで、対策を怠ったばかりに議会や教委に叱られるのは割に合いません。文科省はきれいごとを言っていますが、最初から競わせ成績を上げるのが目的でした。

 7番目の「学校向け調査の削減」はさらに眉唾です。同じ「公立学校における働き方改革の推進(全体イメージ)」の中にこんな文章があるからです。
「教育委員会における学校の働き方改革のための取組状況調査」を実施し
好事例の全国展開((中略)、事例集作成(R2.3、R3.3展開予定)等)
学校における働き方改革の中教審答申を受けて、令和4年を目途に勤務実態調査を実施

 ――国会や都道府県会で議員たちが教育に関する質問をやめない限り(もちろんやめてもらっては困るのですが)、学校向け調査が削減されるなんていうことはないのです。

 さらに「外部人材の配置支援」「部活動の見直し」は、教員をいっそう窮地に立たせることになりかねない危険な項目です。
 部活動の削減ないし廃止・外部委託は先生たちからの要望が最も多い項目ですが、もう10年以上前からあれこれ試されてきたことです。10年かかってもできないことは、よほど特殊な状況変化のない限り、できることではありません。

(この稿、続く)

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2021/4/12

「教師の働き方改革の行方」@  教育・学校・教師


 国語・社会・数学などの基本的な具材がきちんと入っていた学校教育という寄せ鍋に、
 総合的な学習やらキャリア教育やら、教員評価・学校評価・教員免許更新などを入れ、
 さらに小学校英語だのプログラミング教育だのをなんとか乗せきったら、
 「教員の働き方改革」という蓋をしなくてはならなくなった。できるのか?

という話。
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(写真:フォトAC)

【#教師のバトン】
 文科省が先月の末に「#教師のバトン・プロジェクト」を始めてボロクソに叩かれています。その顛末は2021.04.08 NHK NEWSWEB「“教師のバトン” 想定超える悲痛な声」に詳しいのですが、要するに、
「本プロジェクトは、学校での働き方改革による職場環境の改善やICTの効果的な活用、新しい教育実践など、学校現場で進行中の様々な改革事例やエピソードについて、現場の教師や保護者等がTwitter等のSNSで投稿いただくことにより、全国の学校現場の取組や、日々の教育活動における教師の思いを社会に広く知っていただくとともに、教職を目指す学生・社会人の方々の準備に役立てていただく取組です」文科省「『#教師のバトン』プロジェクトについて」)
と目的を掲げ、ツイッターやノートといったSNSに「#教師のバトン」をつけの投稿するよう呼びかけたところ、当初の想定を超えて過酷な勤務環境を訴える声が相次ぐといった事態に陥ったのです。

 文科省の担当局長は8日、改めて趣旨を説明するとともに、次のように話しました。
「国としても現場から直接声を受け止める初めての試みで、厳しい勤務実態を訴える投稿が多く寄せられた。社会から注目を集めたことを前向きに捉えつつ、教師の声を集積する役割を果たしていると思うので、この声を推進力に、迅速に具体的に勤務環境の改善を進めたい」

 マスメディアは今回の事態を「想定外」のこととして記していますが、日本の官僚は案外頭がいいのです。局長の言う「この声を推進力に、迅速に具体的に勤務環境の改善を進めたい」「教師たちの声と実態、マスコミの後押しを背景として財務省に圧力をかける」という当初からの予定だったのかもしれません。


【金よりも時短だ】
 冗談はともかく、このままでは学校教育は潰れてしまうという話は、ずいぶん前から現場の一部でささやかれていたものでした。管理職になってからの私もその旗振り役のひとりでしたが、そんな私にとっては腹立たしく、文科省にとっては幸いなことに、最前線の先生たちは忙しすぎて新聞も読みませんし、おかしいと思っても抗議をするだけの時間もエネルギーも残っていません。そんなこんなで唯々諾々と従って今日まで来てしまったのです。平成不況が教員(公務員)人気を支えてしまったのも悪しき要因だったといえます。

 ツイッターの「#教師のバトン」には私たちが放置してきた学校のさまざまな問題が延々と書かれています。とにかく緊張感の高い業務が休み時間なしに12時間以上続くこと、長時間労働の象徴として部活動の負担が特に大きいこと、どんなに働いても残業手当がつかないことなどが、多くの先生たちによって語られているのです。
 
 いくら残業をしても手当が出ないことについては、もちろん金銭は評価としての面を持ちますから“一円の価値もない仕事”をさせられているみたいで面白くないのですが、実際にもらったところで使う時間もありません。それに部活動の特殊勤務手当みたいに「休日に4時間以上部活指導をしたら3400円」と「休日の部活動は3時間まで」がセットになるといったまやかしのまかり通る世界です、手当が出ても同時に何が起こるか分かりません。

 本給のたった4%(金額に直すと初任者で8000円、平均給与で1万4000円程度)の調整手当でも、「働かなくてももらえる手当」ということでメチャクチャ叩かれ続けてきたのです。残業手当が出るようになったらかえって「高給の上に高い残業手当をもらっているのだからもっと働け」ということになりかねません。
*ちなみに現在は時間外労働を45時間以内するよう文科省から方針が出ていますが、調整手当を45時間で割ると、教員の残業手当は平均で時給311円にしかなりません。小学生のお駄賃みたいなものです。

 もちろん手当が出ればそれに越したことはありませんが、私としてはそれよりも時間外労働を極端に減らすことの方が先決だと思っています。ツイッターに、
 出勤 7時
 退勤 21時
 基本的に休憩なしです。
 小学校勤務、初任者で1年目、まだ4日目でこの状況です。もう限界です。
助けてください。
(ツイッター「#教師のバトン」より)
と書かれるようではおしまいです。あとについてくる者など出て来ようがありません。


【学校教育という寄せ鍋をどう扱うか】
 国語・社会・数学(算数)・理科・・・といった基本的な具のきちんと入った学校教育という寄せ鍋に、性教育やら人権教育やら総合的な学習やら、キャリア教育・薬物乱用防止教育・メディアリテラシー教育といった新しい具をてんこ盛りに乗せ、教員評価・学校評価・学校評議員制度・地域交流・教員免許更新制度を加え、さらに小学校英語だのプログラミング教育だのを、なんとかようやく乗せきったら、「教員の働き方改革」という蓋をしなくてはならなくなった。今のままでは蓋がかぶさらない――それが今の状況です。無理に「時間外労働は月45時間まで」の蓋を押さえれば具も鍋も傷みます。

 このままでは絶対に破綻することは分かっているので、そこで抜き始めたのが鍋の底の方にある、基本的で定評のある具材たちです。部活動、清掃活動、児童生徒会活動、動物飼育、植物栽培、いずれも価値があるものなのに無残に捨てられようとしています。
 30年前、それらは大して苦痛ではなかったのです。それなのになぜ消されなくてはならないのでしょう? 
 大根もはんぺんもがんもどきもないのに、ウインナーやら唐揚げが入った鍋なんて!

(この稿、続く)

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2021/4/9

「それでも理解できないブラック校則」〜「わけの分からない校則」にもわけがあるD(最終)  教育・学校・教師


 「すべてのきまりには理由(ワケ)がある」と考える私でも、
 容易に説明できない校則が報道される。
 それは取材不足・説明不足・悪意によってゆがめられた校則だ。
 だからせめて市町村教委の段階に、
 学校教育を説明し、時には外に対して抗議する組織が必要だと思う。

という話。
クリックすると元のサイズで表示します
(写真:フォトAC)

【学校と世間の立場の違い】

 学校は子どもを学ばせ能力の最大限を引き出す場所で、そのために多くの仕掛けがあります。
 教科書や副教材、実験器具や運動施設、校舎、ソフトウエアとしての授業法やカリキュラム、私が「学校のアカデミズム」と呼ぶ学習の雰囲気、地域と年齢が同じというだけの理由で集まってきた烏合の衆を「学び、成長する」目的集団に変え、団体戦を戦える組織作り。そういったものはすべて学校の本来の目標を達成させるためのものです。

 学校は、その子が将来「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法第25条)を保持したうえで、さらに少しでも豊かな生活が送れるよう技能を高めることを考えて設計されています。
 また、将来、進路選択や職業選択の場で可能な限り自由な選択ができるよう、知的・体力的・人間関係的能力を高めようと心血を注ぎます。というのは、例えば高校選択で最も多くの選択肢を持っているのは最も成績の良い子だからです。学区のどの高校へ進んでもいいのですから。職業選択も同じ。社会が求める能力が高ければ高いほど、自由な選択ができます。
 そんな将来の自由のためなら、中高生である今の、目先の自由など多少犠牲にしたってかまわないと本気では思っているのです。そこがマスメディアや人権派教育評論家と決定的な違いです。
 彼らにとって大切なのは目先の子どもの自由です。あとのことは学校が何とかしてくれるし、ダメならそれも自己責任です。


【それにしてもわけの分からない校則は多すぎはしないか】
 校則が過剰に児童生徒を制限したがる理由については昨年、記事にしたばかりなのでそちらを参考にしてください。
2020/7/20「教員が、ものさしを持ち出して髪の長さを調べる日が来る」〜東京都議会ツーブロック問題@ 
2020/7/21「校則は、くだらなければくだらないほどいい」〜東京都議会ツーブロック問題A

 しかしそれらすべてを受け入れていただいても、なお残る「本当にわけの分からないブラック校則」の数々――。ネットをちょっと検索するだけで続々出て来ます。
『体育でのブラジャーの着用禁止』(女子スパ!)、
『タイツの着用禁止』(女子スパ!)
『肌着の着用禁止』(ハウスポスト)
『中学生なのに体育前の着替えは男女同じ教室で行います』(ハウスポスト)
『セーラー服をまくったり、ブラウスのボタンの間からのぞいたりする肌着検査』(沖縄タイムス)
『生理で水泳を休む時は女性の教員が一人ずつ保健室に呼び、ナプキンをしているか下着を触って確認した』(沖縄タイムス)
『廊下に1列に並ばされて、シャツの胸を開けて下着をチェックされる』(FNNプライムオンライン)
『男女一緒の体育館で下着の色をチェックされる』(FNNプライムオンライン)

 こうしてみると学校はほとんど狂気の場です。とてもではありませんが子どもを安心して預けられる場所ではありません。これはいったいどうなっているのでしょう?
 問い詰められると私にも答えられませんが、どうやらメディアは情報集めるだけで、直接、当該の学校に行って調べたりしないようなのです。取材するにしても知り合いの校長や教育委員会に電話をかけて聞く程度のことで、だからブラック校則はいつまでたっても『わけが分からないまま』なのではないかと、そんなふうに私は思うのです。


【取材不足・説明不足・悪意が増加させるブラック校則】
@ 取材不足
『体育でのブラジャーの着用禁止』だの『タイツの着用禁止』だの、これだけの情報では私にだってわかりません。前後に落とされた情報があるとしか思えません。極端な話、前に「水泳の授業では」とつけただけで『体育でのブラジャーの着用禁止』は理解可能になります。
「そんなヤツがいるのか?」「そんなヤツがたくさんいたからきまりになったんだろうな」「それにしても明文化するほどのことでもないだろう」などと議論になるにしても、「わけの分からない」と言った状況からは解放されます。
 ありえないとことのほとんどは実際に「有り得ない」のいです。きちんと調べれば理由が浮かんできます。

『中学生なのに体育前の着替えは男女同じ教室で行います』
『生理で水泳を休む時は女性の教員が一人ずつ保健室に呼び、ナプキンをしているか下着を触って確認した』

 これにはきちんとした理由があるはずです。私には心当たりがあります。しかしハウスポストや沖縄タイムスはきちんと調べて報道する気はなかったのでしょう(*具体的説明は欄外に置きます)。

A 説明不足
 ブラック校則の多くは、学校がきちんと説明すれば納得の得られるものばかりです。しかし学校も教育委員会もきちんとした説明ができていません。
 それには理由があって、校則の多くが経験から生み出されて長く続いてきたもので、制定当時は分かっていたもののいつの間にか不明となり、そのまま今日まで続いている例が少なくないからです。
 小学校の低学年の体育の時間の肌着禁止などはその典型で、きちんと調べれば説明できるはずなのに、学校にも教委に余裕がありません。ですからすぐには説明できないのですが、説明が難しいからといって安易に変えられるものではありません。そこに何が隠されているか分からないからです。

 私は初めて小学校の担任になったとき、5年生にもなって理科室に行くのに教室から並んでいくのがバカらしくて(私自身も理科室で準備する必要があった)、中学校と同じように直接行くように指導して大変な目にあったことがあります。迷子にこそなりませんが、休み時間の遊びに夢中になって遅れたり、教室に忘れ物をしたりといった児童が続出して、授業にならなかったのです。
 結局、1カ月ほどして方針を変えたのですが、4年生までできたことが再びできるようになるまでにまた1か月ほどもかかってしまいました。校則や学校ルールは、動かすときには相当な研究と覚悟がいるのです。

 こうした経験から、私も校則の見直しは必要だと思うようになっています。廃止するという意味での見直しではなく、説明できるようにするという意味での見直しです。
 自信があります。「すべての決まりには理由(わけ)がある」からです。


B 悪意によって増えるブラック校則
 悪意に満ちた偽情報も多くあります。
『セーラー服をまくったり、ブラウスのボタンの間からのぞいたりする肌着検査』(沖縄タイムス)
『廊下に1列に並ばされて、シャツの胸を開けて下着をチェックされる』(FNNプライムオンライン)
『男女一緒の体育館で下着の色をチェックされる』(FNNプライムオンライン)
 話半分としても重大な人権侵害、もしくは犯罪でしょう。特に下の二つはFNNの独自取材ではなく、福岡弁護士会が調査したもので、弁護士会は記者会見を開いただけで刑事告発もしなかったという悪質なものです。

 なぜ偽情報だと思うのかというと――、状況を思い浮かべてみてください。
廊下に1列に並ばされて、シャツの胸を開けて下着をチェック
ですよ。
男女一緒の体育館で下着の色をチェック
ですよ。
 わざわざ人目につくところで行う以上、そこには他の教師もいるわけです。その全員が変態だという可能性を飲んだとしても、女性教員は何をしていたのでしょう。ただ指をくわえて見ていたのですか? まさか一緒に楽しんでいたというわけでもないでしょう。
 中でも児童生徒の心と体に責任を持ち、日ごろから相談を受けることの多い養護教諭の罪は軽くありません。もし黙って見ていたとしたら、その罪は実際に検査した教員よりも重いと言ってもいいくらいでしょう。
 しかしそんなことはあり得ません。この情報は真っ赤な偽物か、もしくはごく少数の生徒の心象風景です。
 このニュースは、本来なら教育界が総力を挙げて批難すべき偽情報です。


【学校を説明し誤解を解き、場合によっては抗議する組織が必要だ】
 教員は忙しすぎてニュースも見ません。見て怒っても、抗議をする時間さえもありません。だからただ「なぶり者」にされているだけです。しかしこんなことが続けばブラック校則は教職をさらにブラック化し、深刻な教員不足を招きかねません。
 きちんとした企業には必ず「広報」があるように、せめて市町村教委レベルに広報係を置いて、学校の正しい情報を伝えていかなくてはならない、もはやその時期だと私は思います。

(この稿、修了)

《文中で説明しきれなかったこと》
『中学生なのに体育前の着替えは男女同じ教室で行います』
『生理で水泳を休む時は女性の教員が一人ずつ保健室に呼び、ナプキンをしているか下着を触って確認した』

 更衣室が一つか二つしかない普通の学校では、全校体育だの清掃だので着替えるときに、すべての生徒を更衣室に向かわせることができないのです。そこで男女一緒にということになり、それが体育の授業でも行われるようになるのですが、男女一緒というのは正しい情報ではないでしょう。
 運動着への着替えでは、女子のほとんどはスカートの中でズボンに履き替え、上半身は頭からかぶってブラウスの袖を抜くという実に見事なやり方で着替えますが、男子はまるでダメだめです。ズボンからズボンですから必ずパンツ姿になってしまう。そこで男子は教室内、女子は廊下としたり、男女時間を区切って交互に教室で着替えたりといったことになります。いずれにしろ男子を女子の目から守るような工夫がなされるのが普通です。女子だって見たくはないでしょうから。
 本質的な解決方法がないわけではありません。各教室に男女別の更衣室をつくればいいだけのことです。現在の教室を二つに分けるわけにも行きませんから、やはりすべての学校の改築が前提となりますが(他に解決策があるなら教えてください)。

 生理の確認については厄介です。
 女子の中には水着姿になるのが嫌で、連続3週間、9授業時間にわたって「生理のため」や「風邪」によって授業を休む子がいます(必ずいます、それもかなりいます)。特に男性が教科担任だとそうした申し出に抵抗できません。そこで養護教諭にお願いするわけです。養護教諭にしても言葉だけで許可を出すわけにはいきませんから確認ということになります。
 「地毛証明」もそうですが、少数の逸脱者のためにみんなが我慢するのは世の常です。みんながマスクなしで大声でしゃべるようなことをしなければ、緊急事態宣言も「マンボウ」もなかったのです。


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