2021/10/22

「中学校は学級担任を独立させ、小学校では副担任を充実する」〜私の“教員の働き方改革”案D  教育・学校・教師


 仕事が減らせない以上、教員を増やす以外に抜け道はない。
 中学校は担任業務を専任化し、小学校は副担任を充実させる。
 そのための予算は膨大だが、
 学校が滅びるよりはマシだろう。

という話。 
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(写真:フォトAC)

【中学校、学級担任専任制度】

 昨日は最後の方で、
 中学校も同様で、(1クラスの人数を減らしても)ひとりの学級担任が専門教科以外に「特別の教科道徳」も「総合的な学習の時間」も「特別活動」も「追加教育」も「部活動」も、全部指導しなくてはならないという大変さは変わらない。
と書きました。
 ついでに一言添えておくと、「総合的な学習の時間」()も「追加学習(キャリア教育やITC教育など)」の大部分も平成以降に増やされたものです。失われた20年でどんなに仕事を増やしても教員志望がなくならなかった時代の遺物です。
*以下、「特別の教科道徳」は「道徳」、「総合的な学習の時間」は「総合」と略します。
 
 そうした学級担任の大変さをどう解消させるかといえば、答えは簡単です。昨日までにお話しした通り仕事が減らせないなら、ひとを増やして分担するしかありません。繰り返しますが少人数学級は教師の負担をさほど軽減させません。書類を作成して40人に配る仕事で、対象を5人減らしても削減できるのは5人分の印刷・配布時間だけです。書類作成の時間が減るわけではありません。

 ではどのように分担するのか。予算に限りがありますから、できるだけ増員を少なくして分担するとなると、学級担任にしかできない(学級担任がやるにふさわしい)内容とそうでないもので二分するのが適切でしょう。前者に当たるものは学級運営・「道徳」「総合」「特別活動」「(各種)追加教育」、残りが教科指導と部活動ということになります。もちろん「道徳」と「総合」も専科の教員があたればより質の高い授業になるでしょうが、教員はそんなに増やせません。

 教科指導と部活動がなくなれば暇すぎると考える人もいるかもしれませんが、そんなことはまったくないでしょう。これまで多忙のためにおろそかにしていた部分もたくさんあるのです。例えばいじめ問題も、担任に時間的余裕がありますからその日のうちに対応できます。これまでは他のクラスの授業に行かなくてはならなかったので、生徒と話す時間がなかったのです。
 もっとも眠っていた仕事の掘り起こしはすぐに担任を圧迫しますから、さらに「追加教育」が増えるようなら、「道徳」や「総合」の専科化も考えなくてはならないでしょう。


【教科・部活担当教員】
 教科担任と部活顧問の兼任は必ずしも最良の選択というわけではありません。何といっても部活動は時間外労働が前提です。それが好ましいはずはないのです。しかし部活顧問を学校から切り離し、別の職業として生活できるだけの年収を保証するとなると、とんでもない予算が必要になります。実働1日3時間、月25日の部活顧問に月収20万円のもの予算をつぎ込むくらいなら、その分を学校に投げ入れてもらった方がよほど得です。
 教科担任と部活動の兼任教師の時間外労働は、すでに決まっている変形労働時間制で保障し、長期休業中に心おきなく取ってもらうようにします。

 教科担任と部活顧問の兼任制には別のメリットもあります。新規採用者は優先的にここから始め、数年かけて学級担任ができるように研修してもらうのです。そのために副担任として給食指導や清掃指導の現場にも入ってもらうようにします。
 異常な仕事量を考えなければ、学級担任はかなり魅力的な仕事です。学級だけに携わっていればいい担任専任制が始まれば、教科担任を経て学級担任になろうという希望者は必ず増えます。


【小学校は副担任を入れてチーム・ティーチング】
 小学校も同様に担任専科制にできればいいのですが、現在の態勢の上に各校最低でも9人の専科教員を配属するといった大胆な改革ができるはずもありません。学級担任が1教科受け持つにしても8人も必要です。
 昨年あたりから政府が「小学校でも教科担任制を」と言い出していますがあれは別で、マヤカシにすぎませんからあてにしてはいけません()。
*

 私は小学校の場合、副担任を充実させるべきだと思っています。それも当面は3学級にひとりといった配当が予算的に限度でしょう。単級(1学年1学級)のちいさな学校の場合は、学年を通して1〜3年生にひとり、4〜6年生にひとりといった形で配当します。これも新規採用者の受け皿として活用します。

 副担任は3クラスを均等に渡り、主にチーム・ティーチング(TT)で子どもを見ます。TTは非常に優れた方式で、授業について行けない子、躓いている子などをさりげなく支援することができます。普通、授業の中で助けてやらなければいけない子は数名しかいません(それ以上の人数がついて行けないような授業は間違っています)。その子たちに辛い思いをさせずに支援できるのは、この方法をおいて他にありません。
 また教室の中で一人の子がパニックに陥ったり跳び出したりした場合、現状では担任がクラスを放り出して対応しなくてはいけませんが、3クラスにひとりとは言え副担任がいれば、その人に教室または当該の児童のどちらかを託して、授業を続ければいいだけなのです。

 3クラスに一人程度の副担任というやりかたは、市町村によってはすでに低学年で実施されています。しかし中高学年だって必要なのです。場合によっては1〜2教科を副担任に任せることもできますし、「追加教育」の専属にしてもかまいません。
 さまざまな利用法が考えられますが、それによって担任の業務は大幅に減ることは間違いないはずです。


【予算はかかる。しかしそれでもやらなくてはならない】
 さて、予算に関する何の説明もしない調子のいい話だったら、いま始まったばかりの衆議院議員選挙の立候補者でもできることです。誠実な話をしようとしたらそれにも触れなくてはなりません。

 私の計算によるとこうした「中学校の学級担任専科制」「小学校の副担任制」にかかる費用は、これが案外安いのです・・・とは言えません。
 現在、日本にある公立中学校の学級数はおよそ11万2500、小学校は26万8800ほどです。したがって私の案にそって新たに必要となる教員は中学校で11万2500人、小学校は3学級にひとりですから9万人ほどということになります。
 両方合わせて20万人超。文科省は小学校の35人学級達成のための教員、1万3000人を配置するのに5年もかかると言っていますから、それを考えると20万人超は夢のまた夢です。
 しかしやってもらわなくてはなりません。

 よく知られるように、日本の教育に対する公的支出は先進国の中でも最低レベルなのです()。今のまま教職ブラック状態を続けるとしたら、やがて教員志望者は枯渇し、教師不足によってこの国の教育は成り立たなくなります。
 すでに手遅れなのかもしれませんが、学校はそこまでブラックではないと証明し、ツイッターの「#教師のバトン」で次々と喜びの声が上がるようにしなくてはならないのです。
*(2020.09.14 教育とICT「OECD、2020年版『図表でみる教育』を発行」)によれば、初等教育から高等教育に対する公的支出総額の比率(2017年)、日本は7.8%で、OECD平均の10.8%に比べて低く、最も比率の高いチリ(17.4%)の半分以下だそうです

(この稿、終了)

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2021/10/21

「学校の仕事は、増えこそすれ減ることは絶対にない」〜私の“教員の働き方改革”案C  教育・学校・教師


 学校の仕事は、増えこそすれ減ることは絶対にない。
 なぜなら、学校にもたらされるものはすべて「善きもの」だからだ。
 したがって問題は人員増でしか解決しない。
 しかし少人数学級編成は最悪の選択で、教師は楽にならない。
という話。 
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(写真:フォトAC)

【「総合的な学習の時間」をなくしてください】
 本年度新規採用の先生方のツイッターを見ていたら、「総合をなくしてほしい」というツイートがあって笑ってしまいました。このさき2年も3年も教員を続けたら、なくなってしまう瑞々しい感性です。
 そうなのです。あんなものなくなってしまえばいいのです。昭和の教育に「総合的な学習の時間」などありませんでしたが、それで困った様子もないのです。「総合〜」で子どもが飛躍的に育ったという話も聞きません。

 「総合〜」は悪名高い「ゆとり教育」とともに学校にもたらされたもので、「ゆとり〜」が非難の十字砲火を浴びて撤退したときに置き忘れた鬼子なのです。「総合的な学習の時間」を十分に活用させるために他教科の内容を大幅に削減したにもかかわらず、減らした内容が学力問題で戻ってきても、増やした「総合〜」はそのままでした。だから忙しくなるのも当然です。

 昔の話をすれば教師は制度変更のたびに慌てふためきましたが、合わせるのがあまりにも大変で慣れるに忙しく、制度そのものに反対したり非難したり、撤回を求めたりする余裕がまったくありませんでした。そこで唯々諾々と従わざるを得なかったのですが、その点で採用されたばかりの初々しい感性は、カリキュラムの不条理を的確につかんだとも言えます。「総合〜」は素晴らしい試みですが、学校が担うには高邁すぎて過重なのです。

 また、キャリア教育など「総合〜」以外の追加教育も教員の生活を激しく圧迫していますから、すべて撤回していただき、せめて昭和後期のレベルまで引き下げていただきたい。
 そうしないと“教師のなり手がいない”という新たな教育崩壊が始まってしまうのかもしれないのです。

 では今後それらの追加教育は、一部でも撤廃される可能性はあるのでしょうか?


【政府が学校に持ち込んだものは絶対になくせない】
 私は、その可能性はまったくないと考えています。なぜなら追加教育のすべては「良いこと」「必要なこと」だからです。良いことはなくせない、それが世の習いです。
 新たな追加教育は今後も増える一方でしょう。それを社会が希望し、ポピュリストの政治家がいちいち拾い上げる限り。

 例えば、少子化問題について政治家も行政も、
「これからはすべて子どもを親に任せるのではなく、社会全体として育てていかなければいけない」
などといいます。まったくもってその通りです。しかし現在の日本社会で、子育てを組織的・計画的・継続的にやっているのは保健所を始めとして保育園・幼稚園、学校だけなのです。公民館活動も民間の施設もありますが、その規模はとても小さい。したがって「社会が育てる」は、具体的に言って「保健所・保育園・幼稚園・学校がこれからもがんばります」という意味でしかありません。

 しかも教職は俗にいう「定額働かせ放題」で本給の4%(全国平均で月1万4700円程度)を支払えば、何十時間でも時間外労働をさせることができます。教育内容を追加しても予算を追加する心配は少しもないのです。

 ここにきて教員採用試験の倍率が極端に落ちている、浪人をしてまでも教職に就こうという若者が減って講師の手配がつかない、そういった問題が顕著になり、初めて政府も動き出しました。しかし「ほとんど予算づけせずに実施できる教育政策」というウマミを、政治家が手放すとも思えません。
 では、どうしたらよいのか。


【学校問題は人手不足だと社会に知らしめよ】
 私たちは「(部活も含め)学校の仕事は増えこそすれ、減ることは絶対にない」ということを前提にものを考えなくてはいけません。「部活を何とかしろ」「『総合的な学習の時間』をなくせ」等を言い続けることは時間のムダですからやめましょう。何を訴えても教育内容を減らすことあできません。

 その上で何を要求するのかというと、
「定数法(正しくは「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」)を改正し、教員を増やせ」
ということです。
 すると政府はこんな返答をするはずです。
「そんなことは今やっているじゃないか。今年(令和3)3月31日の改正法によって、小学校では段階的に35人学級を実施し、令和7年までにすべての学年が35人学級になる。そのために新たに雇う教員の数は1万3千人あまりだ。それを中学校まで広げろというのか?」

 しかし私は、1学級の人数の上限を下げることで教員を増やすことにはあまり意味がないと考えています。
 なぜなら新たに雇われる1万3千人のほとんど全員が、担任として算数や国語に加え、「総合的な学習の時間」も「特別の教科道徳」も、「小学校英語」も「プログラミング学習」もその他の追加教育も、全部ひとりで指導しなくてはならないという今の教師が背負っている苦しみを、同じく背負わなくてはならないからです。
 幾種類もの教科・追加教育の、教材研究をして指導案を作成し、その上で授業を実施する大変さは、教室の児童が40人から35人に減れば楽になるというものではありません。

 中学校も同様で、どれほど学級の生徒が減っても、ひとりの学級担任が専門教科以外に「特別の教科道徳」も「総合的な学習の時間」も「特別活動」も「追加教育」も「部活動」も、全部指導しなくてはならないという大変さは変わらないのです。

 学校の背負っているものを減らすことなく教員の過剰労働を解消するためには、教員数を増やした上に少人数学級編成以外の、別な方策を考えなくてはなりません。
 私には案があります。

(この稿、続く)

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2021/10/20

「過剰労働の元凶は本来業務にある」〜私の“教員の働き方改革”案B  教育・学校・教師


 教員に過剰労働を強いる元凶は部活動と雑用(事務業務)にある、
 そのことは国際的な調査や教員からの聞き取りからも明らかだ。
 ――私たちは長いことそう信じ込まされてきた。
 しかし違う。私たちを圧迫している元凶は、本来業務の中にあるのだ。

という話。 
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(写真:フォトAC)

【教師を追いつめてきたものは何か】
 もう20年も前のことですが、ある会合で保護者から、
「日本の先生たちは、授業は少なくても雑用が多いみたいで、ほんとうに大変ですねぇ」
とねぎらわれたことがあります。当時それに関するOECD(経済協力開発機構:通称金持ち国クラブ)の調査結果が出て、メディアで話題になっていたのです。ただ、そのころでさえ「授業はすくないのに」には大きな違和感がありました。

 ここでは最新のデータ(「OECD国際教員指導県境調査《TALIS》2018」)を使って、その当時の認識を確認したいと思います。

 TALISの報告書から中学校教員(フルタイム勤務者)の勤務時間を見ると、全教員の平均勤務時間は週56・0時間で調査対象48カ国の中で最長、2位のカザフスタンが48・8時間ですからその1・15倍も働いていることになります。これを先進国G7の国々と比較すると、アメリカの1・21倍、カナダの1・19倍、イギリスの1・19倍、フランスの1・50倍、そしてイタリアの実に1・87倍にもなるのです(ドイツは不参加のようで数値がありません。しかし半日学校の国ですからさらに少ないのかもしれません)。
 しかしそれにもかかわらず授業時間の週平均は18時間で、対象国の中では39位、下から数えて10番目にしかならないのです。いったい日本の教師はsの差の38時間を何に時間を使っているのでしょう?

 その答えも「TALIS2018」の中にあります。
 ページを開いて(p.11)教師たちが時間を費やす項目を見ると、すぐに目を引くのが「一般的な事務業務(教師として行う連絡事務、書類作成その他の事務業務を含む)」の5・6時間(1位)、「課外活動の指導」7・5時間(1位、ちなみに2位の南アフリカは3・3時間)、「その他の業務」2・8時間(2位)の三つです。
 そこから日本の教師は事務作業と部活動のために長時間労働を強いられていると認識が生れ、この部分にのみ焦点が当てられるようになります。しかしそこには大きなまやかしが潜んでいたのです。


【過剰労働の元凶は本来業務にある】
 通常、国際的に教育環境を比較する場合は、計算に含める教科を揃えます。それぞれの国にある特異な教科については、最初から除外するわけです。

 日本の場合は「宗教と道徳」という枠で「特別の教科道徳」は含めますが、「総合的な学習の時間」と「特別活動」は除外対象です。
 学級当番や班活動といった「学級活動」、委員会活動や対外活動を含む「生徒会活動」、入学式や卒業式といった「儀式的行事」およびその練習、演劇鑑賞・音楽会などの「文化的行事」、体育祭や健康診断といった「健康安全・体育的行事」、遠足や修学旅行などの「遠足・集団宿泊的行事」、ボランティア活動や農業体験・職業体験といった「勤労生産・奉仕的行事」、そういったものが丸ごとごっそり外されるのです。
 これらが全部なくなった学校について考えてみてください。かなりすっきりとして教師の負担も少なくなります。諸外国はそうなのです。

 世界一長い勤務時間と下から数えた方が早いほど少ない授業時間の間を埋めるのは、実は総合的な学習の時間と特別活動なのです。これだと部活のない小学校の教師も苦しい訳がわかります。

 事務業務も、その大変さは特別活動や総合的な学習の時間に負うところが少なくありません。
 生徒総会実施計画だの卒業式計画だの、あるいは体育祭計画、遠足計画、修学旅行計画、下見計画、性教育月間実施計画、人権教育実施計画、平和教育実施計画、読書週間実施計画、避難訓練実施計画、等々、等々、特別活動に関する計画及び書類作成は山ほどです。

 キャリア教育、ITC教育、食育、命の安全教育、環境教育、ボランティア教育、薬物乱用防止教育――、それらにも計画と関係機関への連絡・調整、実施、反省が必要になり、そのための書類作成や対応に時間がとられます。
 思いつくままに書き連ねましたが、いま記述したキャリア教育以降はすべて平成になってから導入されたものです。昭和の教員より現代の教員の方が大変なのは明らかです。

 つまり――このことは強く言い記憶に残さなくてはいけないのですが――平成以降の教員の過剰労働は、部活動のせいでも、モンスターペアレンツのせいでも、生徒指導のせいでも、保護者の学歴が教員を凌駕したせいでもなく、
日本の、日本らしい、日本の子どものための、日本人を育てる教育が、重く、苦しくなってきた
のです。

 もし業務削減によって教員の過剰労働を削減しようとしたら、どうにも動かしようのない部活動ではなく、巷間言われるようなアンケートや調査への対応といったこまごまとした事務仕事でもなく、まさに本業の本丸、総合的な学習の時間と特別活動での大幅削減が必要なのです。

 しかしできるのか?

(この稿、続く)

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2021/10/19

「学校から部活をなくす万策は尽きた」〜私の“教員の働き方改革”案A  教育・学校・教師


 部活動を制限する試みは、これまで30年以上に渡って行われてきた。
 しかしいずれも失敗するどころか、制限が無制限を引き起こすことさえあった。
 結局、学校から部活動はなくせない。
 できるのは現在の姿のまま、教員の負担を減らす必殺の方法を編み出すことだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【部活は必ず加熱する】

 教え子がコート上でなぶり者になることは耐えられない――そこでバレーボール部の顧問をしていた時、勝てなくてもいいからせめて相手の半分以上の点数は取りたい、そう決心してドツボにははまりました。いかに市内大会とはいえ、のちの優勝校から確実に半分以上を取るとなると、上位5位以内くらいの強いチームをつくっておかないとダメなのです。
 やがて私は練習の鬼になりました。

 もちろん私が優秀な顧問だったら“鬼”になる必要もなかったでしょう。しかしバレーボールは学校体育でやった程度のずぶの素人で、一生懸命勉強しましたがうまくいかないことも多かったのです。

 部活動の過剰が問題となってからマスコミは一流のコーチの談話を通して、「練習は時間じゃない。いかに効率よく行うかだ」などと記事にしますが、私のような人間には「一流のコーチング技術を学べば」とか「8時間〜10時間といった長時間の練習は必要ない。毎日5時間もやればいい」といったカッコつきの、あるいは別格の話にしか聞こえません。隣の学校が練習時間を30分伸ばしたと聞けば追いかけるしかないのです。
 部活動をいかに抑制するかという30年来の課題がいまだに解決しない背景には、こうした事情があります。


【部活問題が生徒の健康問題から教員の労働問題に移る】
 部活動の抑制は最初、時数制限・日数制限として始まりました。休日の練習は土日のいずれか一日のみ、しかも2時間以内とか、週日には一日休業日を設けるといった具合です。これは教育委員会が横並びで強制するため比較的うまく行きました。当時、部活問題は生徒の健康問題・生活問題でしたから制御し易かったのです。
 ところがここ十数年は教員の労働問題・健康問題として部活の見直しですから、ことは簡単ではありません。部活動の大部分は勤務時間外に行われているので、その部分を丸ごと削ってしまうと、昨日お話しした生徒・保護者・関係団体・一部民間企業が容赦しないのです。
 したがって課題は次のように記述されます。
「いまの部活の水準を維持したまま、教師の負担をだけを減らすにはどうしたらよいのか」
 さて、何ができるか?

 まず提案されたのが「社会体育への移行」です。部活動を学校から地域活動に移そうという計画です。しかしそうは言っても地域に既存のバレーボール組織やバスケットボール団体、吹奏楽グループがあるわけではありません。そこで新たに立ち上げることになるのですが、いったい誰がやるのか――。

 当面は部活ごと保護者が運営委員となり、学校長を顧問としてスタートすることになります。校長が入ったのは学校代表としての橋渡しということもありましたが、むしろ行政の意を反映するといった面が強いものだったのです。ところがこれがとんでもない事態を引き起こします。


【無制限の練習、果てしない時間外労働】
 組織はできた役員も決まった、これで少なくとも休日は学校職員の手を離れてチームとしての活動が始まる――予定でした。ところが実際にはそうならなかったのです。理由は簡単です。社会体育のチームは専属のコーチ・顧問を見つけ出すことができなかったのです。
 子どものために活動するボランティアを見つけるのは難しいことではありませんでした。いざとなれば親がやればいいことです。しかしそのボランティアにバレーボールやバスケットボールの指導ができるかというと話は違ってきます。ましてや吹奏楽の指導ができる人材など、そう簡単に見つかるはずがありません。そこで困った保護者たちは部活顧問に泣きついたのです。

 かくして顧問教師は、勤務時間内は部活顧問として、時間外は社会体育のボランティアコーチとして、同じ生徒の対応に当たることになります。しかも以前と違って、社会体育は学校の制約を受けませんから、土日はいずれか1日とか、午後の部活は2時間以内という枠もなくなってしまいます。
 部活をやりたくて仕方のない顧問にとっては最高の贈り物で、中には放課とともに部員をいったん帰宅させ、軽い夕食を摂らせてから再登校させて、そこから社会体育としての練習を3時間〜4時間とさせる顧問も出てきたりします。もちろんそこまで意欲のない顧問も追従せざるを得ません。生徒をなぶり者にしたくありませんから。
 かくして練習は無制限、練習試合も果てしなく行う時代がやってきたのです。


【金を出しても外部コーチは集まらない】
 もちろんそんな異常が長く続くわけがなく、ここに至ってようやく行政は金を出すことを決め、外部講師を雇い入れる道を開きます。ただし講師料と言っても時給1000円〜2000円程度で、地区大会直前といった最も練習量の多い時期でも月収10万円を越えるのがやっとといった状況――なかなかなり手がいません。

 2年ほどにNHKニュースが扱っていましたが、取材に応じてくれた外部講師はいわゆる教職浪人。コンビニのバイトと部活コーチと採用試験勉強の三足の草鞋を履く若者でした。熱心なよい顧問と見えましたが、この人に継続的な顧問もやってもらうためには、採用試験に落ち続けるとともに、いつまでも夢を追ってもらう必要があります。そんなことを願うのは、やはり人間とは言えないでしょう。
 また、ニュースでは紹介していませんでしたが、取材を受けた学校ですべての部活に外部コーチがついているわけでもなさそうです。一地域にそんな前向きな教職浪人がウジャウジャいるといった現状はなさそうですし、吹奏楽だの美術だのといった特殊な部活を引き受けてやろうという人材がいない状況は、どう転んでも変えようがないのです。


【何をやっても学校から部活はなくせない】
 行政は“いくらでもカネは出す、だから外部講師を探してこい”という、しかし学校は必要なだけの外部講師を見つけられない、だから相変わらず教員が顧問を続けている――これが現在地点です。

 部活の今の水準は維持しなければならない。しかし金を積んだところでおいそれと人材は集まらない――一方で少子化のために部員不足の部活もあるから、複数校でチームを持つようにしたらどうかというアイデアもあります。しかしそうなると放課後の生徒を、誰かが練習場所に運ばなくてはならなくなります。
 アメリカのクラブチームはおおむねそういう形です運営されていますが、そのために保護者は時間休をとって一時帰宅したり、ベビーシッターを雇ったり、ママ友グループをつくって交代で移送するとか、たいへんな苦労をさせられています。

 そんなことを日本の保護者にさせるわけにはいきません。社会は「放課後の子どもの世話を学校がみる」ということで動いていますし、それは保護者の既得権なのです。
 少子化対策のために親の負担をできるだけ減らそうという時代に、そんな無謀が通るはずがありません。
 そうなると、あとは部活動を今の状況で学校に残したまま、教員の負担を減らすというすご技を編み出すしかなくなります。

(この稿、続く)


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