新聞に「289グラムで生まれた女性が20歳になった。」って記事が載っていた。
「1000グラム未満で生まれた赤ちゃんは超低出生体重児と呼ばれ、体の機能が未熟で合併症が起きやすく、命に危険が及ぶ場面もある。」
無事成長したとしても何らかの後遺症や発達障害が出る場合が多い。
当時世界で3番目に小さく生まれた彼女が育ち、高校ではバスケットボール部に所属し、現在は企業で働いている、という新聞記事。
289g。
想像出来る?
多分、出生後に生理現象で15%程体重が減ったろうから250gってところか。
多分、サイズ的には200mlのペットボトルぐらい。
出生したって事は自力で栄養を取らなければならないから、
多分、鼻から胃まで極細のチューブを通し、
多分、どこにあるかわからないぐらいの細い血管に細い注射針を付け置きし、何とか命をつないだんだろう。
多分、皮膚もまだ粘膜状態で、肌から感染症になる可能性もあったはず。
処置した慶応病院の医師は相当な腕前だな。
多分、かなり長い間新生児集中治療室にいたはずだし
多分、その時同じ集中治療室にいた子供の何人かが亡くなって何人かは障害を持つ事になったはず。
命はいつでもたくましく続こうとするけれど、また、いつでもゆらいでバラけている。
何故なら、生命はいつだってそうしてゆらいでいないと、劇的な環境の変化に耐えられず絶滅してしまうからね。(引っ張って来られるような論文はすぐにでも見つかると思う。)
人間は文明を築いた特殊な生物だけど。
生物が持つその揺らぎの原則を持ち合わせている。
高い低い長い短い太い細い、人間のいろいろなタイプがあってその強くて数が多いタイプを中心に社会を作るけど、全体の中で弱くて稀なタイプが種の安全を担保している事は、他の生物と同じだ。
だから。
その人が弱くても稀でも、社会的な弱者にしてはいけない。
それは、博愛の精神からではなく、生物の原理だから。
それを理解できない大人やコスト面を考える大人がいるけれど、そんなのは教育の敗北だと思う。
用語を憶えるのが生物の授業じゃない。命について考えを深めるのが生物の授業だと思う。
生物はいつだって、ゆらいでバラけている。
多様性を保ちながら、全体の安全を保障している。