夏を過ぎた頃
農場にときどきお越しになる老教授が、また立ち寄ってくださった。
卵を渡しながら四方山話になって、それから
「またちょっと行ってきます。」
と旅行の予定があることを教えてくれる。
「今回はちょっと言葉に不自由するかも?」
とおっしゃるので聞いてみると、ポーランドにお出かけになるそうだ。
「死ぬまでに一度アウシュビッツを見ておこうと思って。」
なるほど。
教育学がご専門で、倫理社会の教科書を執筆されて、という経歴の方だから、アウシュビッツはどうしても見ておきたい場所なのだろう。
後日、旅行の話を楽しそうにまたしてくださった。
ポーランドは一面の畑が広がっている話。
どうにも言葉が通じないのがストレスで、夜辞書(ポーランド=独語辞典)を買いに街に出て迷子になった話。
人々が今はそんなにドイツも嫌っているわけでもなく、むしろロシアの方が気になるらしい話。
そして、アウシュビッツの話、ポーランド映画「残像」の話。
http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%80%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%80%8E%E6%AE%8B%E5%83%8F%E3%80%8F%E3%81%A83%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%AD%BB
俺なんかはただただその話を聞いているだけなんだけど。
この情熱の元にあるのが、教育者として、社会への危機感だと、こんな鶏飼いオヤジにもわかる。
そこで、お返しにもならない話をしてみる。
「実はこの軽トラ、千畝(ちうね)って人から買ったんですよ。」
使っていた軽トラが動かなくなり、買い換えることになって。
中古をネットで探して、ちょうどいい塩梅(あんばい)のものがあったから電話をしてみると無愛想で言葉遣いも良くなくて、ちょっと気になったけどまあいいやで、見に行くと納得。
電話の相手の千畝と名乗る社長は、数年前に帰化したマレーシアの人で、留学でやって来た日本で奥さんと知り合い結婚して、自動車販売の会社をやっている人だった。
読み書きは全く問題ないんだけどさすがに対面ではない電話の会話は苦手なようだ。
で、千畝という苗字が珍しく、奥さんの苗字かと思って聞いてみるとそうじゃなくて。
「私、子供の教科書に載っていた杉原千畝さんの話に感動しました。それで帰化する時、千畝を苗字にしました。」
「マレーシアやアジアの人たちにも杉原千畝さんのような日本人がいることをもっと知ってもらえればいいと思います。」
https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p14.html
ナチスの手口でやりゃいいじゃんかと公言して、その件で罷免されるわけでもなく、副総理にとどまるという政治が続いているこの国だけれど。
いやむしろ今権力を握っている政治家や経済人の方がおかしい思う。
この国を脈々とつなげてきたのは彼らのやり方ではないと思う。
ちょっと乱暴な、下手くそな作文だけど、今年こんな事があったんですよ。
一流の研究者が、こんな田舎の鶏飼いのオヤジにそんな話をされるのは、一人でもいいから誰かに伝えろ、ということなのだと解釈して、こんな話を書いてみました。
12月30日ともなれば、農場はとても静か。
普段は遠くから聞こえてきている騒音がなくなり、北側を流れる尾白川の音が聞こえます。
とても静か。
今年もたくさんの人にお世話になりました。本当にありがとうございました。
相変わらずバタバタしてばかりいて、至らぬところばかりです。感謝しながら鶏を飼ってまいります。みなさんどうぞよい年をお迎えください。
ぜひよい年をお迎えください。
