農場から北へ車で30分ぐらい行った所に「井戸尻遺跡」という遺跡がある。
国道20号線から一段あがった台地の上にある小さな縄文遺跡だ。
竪穴式住居が復元してあり、あたりは陽当たりのいい広場になっている。
田んぼがあり、湧き水があって、南アルプスと富士山が望む事が出来る。
その遺跡に行ったのは、もう随分前のことです。
多分、前の晩にしこたま飲んでしまい、ちょっと眺めのいい、あまり人が来ないような静かなところで、散歩でもしたかっただけだったのでしょう。
のんびり散歩をしたのだから、もっといい季節のことだったんだな。
昨年の暮れ。12月の22日、冬至の日にご近所の仲間とうちのにわとり(たまごを産んでいないようなやつ)を何羽かつぶして、クリスマスチキンにしました。(このお話しの詳細はまたいずれ)
チキンにしたのはいいのだけれど。
さすがにお肉にするための品種ではないし、太らせるためのエサではないし、飼い方も粗放にして飛んだり跳ねたりいつもしているにわとりですから、皮は分厚くて固いし、肉は少なくて骨からなかなかはがれないし(レバーはとてもきれいだったけど)、やはり扱いやすいものではありませんでした。
でもね。スープをとったら、とても「うま!」かった。
油も全然気にならなかったし、濃厚なスープがとれた。
しかも、とってもとってもまだとれた。このままずっととれるんじゃないかと思えるほど、長くとれた。
1羽あれば、「しばらくはもういいや」というぐらい満足した。
「肉食(にくじき)」とはこういう事なのかしらん?と思った。
簡単ではないけれどとてもおいしいこと、こころやら体やらが満足する、ってことなのかなぁ?と思った。
農場のまわりでキジがうろうろしています。
きっと遺跡のあたりにもいるでしょうし、いたんでしょう。縄文の人たちもみんなでどうにかして捕まえてみんなでさばいて「うま!」とか言い合っていたにちがいありません。
きっとキジ1羽あれば、しばらくの間それを楽しんだことでしょう。
「きっと何千年前もこうやって、あ〜飲み過ぎたなんて言ってたやつがいたんだろうナー。」
飲んだ相手は要は女房の父親、舅というやつだ。婿と舅が何かを祝い深酒をする。
そんな他愛のないことを人は何千年もしてきたのでしょうし、これから何千年も続けていくのでしょう。
遺伝子組み換えでないエサを選び、不要な薬は使わず、適正な規模で環境に負荷をかけないように飼っています。
小さな事ですが、それでそんな他愛ない宴が少しでも長く続けばうれしいな。
寒い季節です。皆さまどうぞご自愛下さい。