「510円 20分」
少し前の新聞に「サラリーマンのランチ事情」なんて記事が載っていた。
20代から50代のサラリーマンの昼食の様子をアンケートしたところ、1回の昼食代の平均が510円なんだそうだ。
バブル末期の1992年の調査だと726円、2001年で710円、以降下がり続けているそうな。
所要時間も1983年で平均33分、92年で28分のところ、現在は20分。
だろうなとは思っていたけれど。
数値化されるとため息が出る。
状況悪くなってるじゃん・・・
銀座で働く知り合いの同世代の方が、糖尿病で入院していたことを後で知った。
入院しなきゃならないほど、我慢しちまったんだなぁ。
真面目な人柄を知るだけに、想像するとこっちも辛い。どうぞお大事になさってください。
こういう事象を前にすると、オーガニックだとか、平飼い養鶏だのの考え方がかすむ。
生産側が重要視している、食材の安全性や生産段階の環境負荷にまで、とうてい考えが及ぶ状況じゃない。
だってさ。
働かなきゃいけないのに、「まともに」食べれてねぇんだもんなぁ。
安全・安心よりも、もうちょっとちゃんと食事ぐらいしたい。
これが、この今の現実が、バブル期の未来?
「未来」が悪くなってちゃしょうがない。
バブルの時に未来が作れなかったって事だぜ。
そう言う自分も糖尿病体質で90年代前半に地元のお百姓さんたちと農事組合法人を作りその代表をやっていた頃、今より20キロ以上体重があって、血糖値が危ないゾーンに入っていた。
事務仕事とストレスとで、つぶされそうだった。
ビジネス街のオフィスで競争にさらされるストレスは、きっとその数倍数十倍なのだろう。もう想像するしかない。
どうぞお大事に。
相変わらず労働環境は悪く、働いている人が「消費」されていく。
自分自身が消費されちゃう。
せめて。
自分が何を食べているか?それはどこで作られているのか?その原料・資材はどんなものなのか?
消費しようとするものにあらがい、自分の存在をつかみ取るためにも、そこにこだわるという方法はどうだろう?
せめて。
食事・食材・食糧についての知識を身につけ、それで理論武装は出来ないだろうか?
もちろん、しかるべき方法で、おいしいものを生産しているのだけれど。
伝えたい事はそういう事だと思う。
食糧生産の現場の話を書くということは、そういう形で未来を作っていく作業なのだと思う。
(あんまりおもしろくなかったですね。つまらない話のお口直しに先日の三軒茶屋のデザートのシュークリームの画像をどうぞ。)
