農場からしばらく行ったところに窯八という陶房がある。
いろいろと手作りの窯場で、自分で組み上げた煉瓦の窯で、赤松の薪で焼き上げる小さな工房だ。
あるとき、そこに頼み込んで近所の子供たちといっしょにお皿やら器やらをねって焼かせてもらったことがある。
「ねりねり会」などと勝手に名付け、出かけていく。
好きな土で好きなように練っていいよ、とご主人に言われ作ったものは・・。
すぐに割れちゃいそうなお椀に、分厚いでこぼこ皿、お星様お月様のペンダント、キリンにウサギ、そして恐竜トリケラトプス。
大人でも楽しいのだから、すべすべの土を練るのは楽しいよねぇ。
それをしばらく寝かし、後日、ご主人の作品といっしょに焼き上げてもらう。
電気で焼く窯ではない、薪を割り、くべ、焼き上げる。一週間も焚き続けるのだから大変な作業だ。
窯の大きさは決まっている。
一度に焼ける器の量は決まっている。
少しでも空間が有ればそこに自分の作品を置ける。
それだけ売上になるはずだ。
「お代(制作費)はいただいてますから。」と主人は笑っているけれど、ありゃ材料費でしょ。
随分前に何かに書いてあった話。
托鉢の行をするお坊さまの一行。(僧が経文と唱えながら人家を回り、米やお金を乞うて歩く修行)
幼稚園ぐらいの年の女の子がいたずら半分に 道ばたの小石を差し出すと差し出された老僧は、変わることなく合掌してそれを受け取った。
そのことを尋ねる若い僧に老僧は答える。「確かに石だけれど私が合掌してそれを受け取ると、あのお子さんが両手を合わして私にくださったのをあなたも見たでしょう。だからこの石は寺へ持って帰ります。」
私は無信心ものだから、仏様の教えなどわからないのですが、子供のいたずらに気持ちを重ねる大切さということなのではないのかと思います。
いつかはガラクタになってしまうかもしれないトリケラトプスだけれど、ねりねりした手の感覚や臭い、工房でみんなでワイワイやったライブ感は、永遠になるかもしれないな。
笑いながら、ムキになって、無駄をするのも、きっと大人の勤めだ。
今年は出荷形態の変更などで本当に忙しく、まったく不本意ながら秋に農場開放日「ヒヨコにさわろう」が出来ませんでした。
仕事のスタイルを見なおして、何とか時間を作り、みんなでこの小さな農場をもっと有効に使っていきたいと思います。
焼き上がったトリケラトプスが窯から出てくる。
灰が釉薬になりピカピカと光り輝いているぞ。
ん〜・・何だか火を吹きそうだ。