ブログを見たという学生からメールが来た。
畜産科、四年、女子。
平飼い養鶏家になりたいんだそうだ。
ふ〜〜〜む〜〜〜〜〜〜 困った。
休みもない、たいした収入もない・・・・・世間のものさしから大きく外れざるを得ないから、現時点ではおすすめ出来ないのである。
パン屋さんになりたい。花屋さんになりたい。
例えばちっちゃい子供が言ってたとしたら「そうだね〜。」なんてあいづちも打てるけど、養鶏家になりたい、なんて子がいたらその場で「ダメ!」って言いそうだもん、俺。
ちょっと前、郵便局で俺より少し年上の近所のおじさんに会った。
何を思ったか、6年ほど前から鶏を飼い始めたものの・・・
「サトーさん。休みはぁ・・・?」
「ないです。」
「・・ですよね。何年やってるんですか?」
「25年。」
これでもう完全に会話が、切れた。
一人で出来ないか?
って、メールにはあるのだけど。
始めちゃったらどっこも行けねーぞ。
風邪ひいたらどうすんだい?
恋とかしなくていいのかよ。
というのが俺の感想。
生き物相手の、毎日数時間ごとの、作業があって休めないという緊張感。
しかも、そのことを実感として理解してくれる人は少ない。
君が話す十人のうち九人は感覚としてわかってもらえない、そんな感じだヨ。
毎月エサは買わなきゃなんないし、ヒナ代は?
販売はどうすんだい?
在庫として置いとけない生産物だから、いっつもいっつも販売してなきゃなんない。
現場やりながら営業。出来る?
ふ〜〜〜〜む〜〜〜〜〜〜
書いてるこっちがへこみそうだな、まったく。
まあね。でもね。
こんな若い人の思い込みが、東京の空を覆っている閉塞感を打ち破るのかもしれないし。
自立心や独立心、しなやかな感性がゴムゴムの弾丸になるかもね。
ただ、「人生の時間」は間違いなく「量的なもの」としてある。
それを、どこに、何に、使うか?
慎重に自分を分析して、戦略的にいくのがお薦め。
(こういうことも、書いててへこむナ。やりなおしきかね〜んだよね〜。)
まだまだ。
遠い国から、ニワトリのエサはやって来る。
ほとんどのニワトリは、狭いカゴの中で一生を過ごす。
養鶏もやることはいっぱいある。
もうちょっと未来が見えてきたら、話すこともあるんだけどね。