などということを思いついたのは、室井滋の「キトキトの魚」を読んだ頃。(マガジンハウス1993年)
「キトキトの子やわ。」とか「キトキトの目しとる。」とか「キトキトの魚ちょうだいよ。」などという使い方をするらしい。
出身地富山の言葉で、元気がいい、生きがいい、とかにちょっとした特有のニュアンスが入っているのだそうだ。
名古屋弁にも音を重ねる独特の言葉がある。
「部屋がドカドカ」「ズボンがリンリン」「○○がシロシロ」「××カンカン」・・・
多いんだよね。
二重に言う言葉のルーツが南洋民族・ポリネシアにある、と唱えたのは、ちゃんとした慶応大学の教授で、ありあり(はっきり)、(心配で)はらはら、(疲れて)ふらふら、などを例としてあげている。
そのころ、名古屋で全国ニュースになるような大きな事故があった。
その目撃者のおじいさんがインタビューに答える声がニュースで流れていた。
そのニュースを遠くで聞いていたら、言葉は聞き取れないけど音だけ旋律だけ聞こえた。
その名古屋弁の特異な旋律が、どこか異国ものに思えた。
名古屋弁てホント変わってるよなぁ・・イントネーションも節回しも独特だよなぁ・・
名古屋弁だけどっか違うとこからやって来たんじゃないのかなぁ・・
昔々、旅に出ることを思い立った一族が、船を操り、潮に乗り、北へ向かった。
苦難の航海の後、陸へたどり着く。
それが三重県志摩のあたり。
(明治初期に撮られたという英虞湾の海女や漁師の写真を見たことがあるけれど、今の日本人とはかけ離れていてちょっとびっくりした。)
それから内海に入り、湾の奥に向かいそこで旅を終える。
豊かな湾の魚と広く平らな土地で、新しい暮らしを始めるポリネシア人、やがてそれが味噌かつ、味噌煮込みうどん、味噌おでんという食文化を持つ名古屋人の原型となる。
(名古屋人については 「雁道」三遊亭円丈 海越出版社 が断然おすすめ。)
繁栄し人口も増えたポリネシア人は、やがて一部が陸路北へ向かい、北陸に居をかまえる。
(北陸は中部経済圏とつながりも強く、中日新聞が読まれていたりする。)
年を経て、長い旅を乗り越えた先祖の勇気と冒険心をたたえるために、今も中部北陸の人々は故郷のの言葉を使い続ける。
さて、そんな話はいいとして。
オンドリの鳴き声について。
何年か前、うちのオンドリのコケコッコーが変なことになってしまった。
どうしてそうなっちゃたのか?気がついたらそうなってた。
オンドリの鳴き声がコッケケーになってしまっていた。
最初は一羽だけだたんだろうなぁ。そいつの鳴き声をそん時のオンドリみんなまねしちゃったってことなのかなぁ?みんなコッケケーになっちゃった。
そしたらヒヨコの時から聞いてるオスがまたコッケケーになっちゃって、その次もその次も。
何年もコッケケーってやってて。
お客様もそれが気になるみたいで皆さん「あれ?鳴き声が変?」とおっしゃる。
何だったんだろう?なまりみたいなもんだったんだろか?
小学校のとき、大阪から転校生がやって来たら、しばらくみんな変な大阪弁になっちゃった(実話)、みたいな?
それもまた何年かして、いつのまにかコケコッコーになったんだよね。
たまごの生産には関係ないんだけどさ。何だったんだろ?
(まあ、これもどうでもいい話なんだけど。)