コスモスの季節になった。道ばたでピンクの花をつけ風にゆれている。
コスモスの原産地はメキシコ。
ずっと以前、そのメキシコの農場で働いていた。
首都メキシコシティーから車で何時間も行ったところにある農場で花と野菜を作っていた。
月曜日から土曜日まで農場で仕事をし、週末会社のあるメキシコシティーに戻って来ていた。
季節になると、その行き来の道ばたは、ずっと、本当にずっと、ピンクのコスモスが咲いていた。
ある週末、メキシコシティーにある会社にいると、多く出来すぎた花を市場で売って来いという仕事がまわってきた。
車に花を載せ、下町にある市場・メルカードの外に停め、そこで売りさばくことになった。
メルカードはごちゃごちゃした縁日のようなところで、場所がら庶民の生活必需品を売る店ばかり。
こんなところで売れるのかなぁ?と思っていると、これがけっこう売れていく。へぇ〜。
そういえば、会社の運転手ベットさんの家に立ち寄ったときも、小さな家の小さな台所の小さなテーブルには、小綺麗なテーブルクロスに花が飾ってあったナ。
そういう国民性と言ってしまえばそれだけのことなのかもしれないけれど、メキシコの人は花を飾る。決して裕福ではないけれど、暮らしの中に、花がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少し前、うちのたまごを取り扱っていただいている自然食品店の若い女性スタッフと話になった。
「・・・だけど、わたしは実家の小学生の弟が作ってくれた目玉焼き、スーパーのたまごだったけど、それが今までで一番おいしかった。」
申し訳なさそうに彼女は言った。
いえいえ。その感性は、大事だと思いますよ。
たまごが、安全であること、おいしいこと、は、もちろん大事なことなのですが、誰かが愛情をこめて料理してくれたものが一番おいしいって感じることは、もっと大事なことって、俺も思います。
まったくそうなんだ。
うちのような農場じゃ安く大量にたまごを生産することは出来ません。
だけど、誰かが誰かに気持ちをを届ける花のようなたまごをつくり、それをパックに詰め花束にすることは出来そうだ。
メキシコの人が花束を買うように、普段のテーブルの上に飾ってもらえるようなたまごをつくろう。
そんな風に選んでもらえるようなたまごをつくろう。
(この例えが、俺に似合っているかどうかは、まあ別にして。)
こうして家畜を飼ってしまうと、もうどこにもいけないから、メキシコはいよいよ遠い、思い出の国になってしまったけれど。
この季節、コスモスの花でピンクに染まる谷があるという話を聞いていました。
あのメキシコ中央高原のどこかの谷が、一面のコスモスの花でピンク色に染まるんだそうです。
行きたかったな。
コスモスのピンクの花が風にゆれている。
季節の変わり目、ご自愛ください。