出荷が小休止となるお正月の四日。
動物病院へ行って来た。
動物愛護指導センターで譲渡を受けたイヌの避妊手術。
動物愛護指導センターでイヌ・ネコ譲渡を受けるにあたっての約束事だ。
犬歯がが生え替わった11月には行きたかったのだけれど、忙しくて忙しくて二ヶ月も遅れてしまった。やっと行けたよ、ふぅ〜。
ずっとうちのイヌを診てもらっている獣医さんエイプリル(ホントの名前はユミコ先生)は遠くの港町に病院ごと引っ越してしまったので、今回は彼女に紹介してもらった動物病院。
いや、動物病院って久しぶりだなぁ・・7年ぶりか・・てことは年上のイヌは7年も病気知らずだったってことかぁ、えらい子だなぁ。
エイプリルが港の大きな街に引っ越したのはわかる気がする。
あんまり切ったり貼ったりする先生じゃなかったし、先代の番犬たちの晩年に診てもらった時も、いくつもいくつも治療方法を提案してくれて、それがこういうのもある、ああいうのもある、こういう考え方もある、ってどんどん儲かりそうにない提案が出てくるんだもんな。
あれじゃ大きな街で沢山の飼い主さんがいるとこじゃないとやってけないよなぁ・・って(勝手に)思う。
で、その提案がね。
ホントにイヌ・ネコ寄りなんだ。
(上手く書けるかな?)飼い主さんのお気に召すように、ってんじゃないんだ。
うちの時も「イヌってのはこれこれこういう動物で、この病気がこうなってて、あとこのぐらい寿命がありそうで、そうするとこの子は・・だから飼い主さんを・・」って話を丁寧にしてくれた。
やたら延命なんとこともしなかったし、はっきりは言わないけど、寿命であることを飼い主に受け入れるように諭すような説明だった。
僕はニワトリを飼っている。
平飼いで飼っている。最低でもこれぐらいのことはニワトリとしてしたいだろうに、と思うことが平飼いだと出来るからだ。
市販のタマゴの養鶏よりはかなりニワトリ寄りだな。
たしかに家畜は生産動物だ。こちらの都合で増やしたり食べたり。
でもね。慣行の飼育方法の現場を知っていると、違う方法を探したくなるんですよ。
何かを食べなければ生きていけないから、何かを食べるのだけれど、穀物や野菜や果物や肉や魚、自分じゃない生物を口に入れる。
生物だった食物の事を知っていたり考えたりすることは、悪い事じゃないよね。
食品になる生物に敬意を持つ。
エコとかサティスナビリティーとか、このごろ広く認識されはじめてきた感性と同じ物だと、鶏飼いの僕は思う。
「家畜寄りの畜産」があってもいいと思う。
指定された時間になって迎えに行くと、待合室でシッポを振っていた。
麻酔もとけたみたいだね。さあ帰ろ。