その人は今から100年近く前に海を渡った。
「桑港(サンフランシスコ)」の港から南に向い、「羅府(ロサンゼルス)」に着いた。
戦争があって、強制収容があって。
商売でためたお金でまた南に向かった。
あるところの、誰も使わない河原の土地で野菜を作り始めた。
その土地は太い水が出る井戸が掘れた。そのことを解っていたのかそれとも偶然だったのか。
乾燥した気候の土地で野菜を作るのに、水の心配から開放された。
その人はよく本を読み、すばらしい野菜を作った。
作る野菜はセリ市場に出るとセリにかかる前に買い手がついた。
評判になり、地元の大学から栽培試験の依頼が来た。
野菜栽培は利益を生み、少しずつ畑を買っていった。
息子たちが後を継ぎ、農場はずっと栄えた。
その人は寡黙な人で、野菜作りの事以外はほとんど何も話さなかった。
だから、そんな人生の過去は話の中の断片をつなぎ合わせて知ったことだった。
彼は東洋人というマイノリティー(少数派)だった。
だから、その人の前には、いつもいつも人種の壁があった。
寡黙なその人が、そのことについてはさらに寡黙になった。
何があったのかは、歴史の本か何かの資料でしか知る方法がなかった。
その人は、野菜作りの腕を磨き、そのことを家族を守る武器にした。すばらしい野菜を作る男という鎧をまとった。
そのことで社会で大事にされ、誰も彼に手を出せなくなった。
たった1年ではどれほどのことを知ることが出来たのかはわからない。
その人は産まれた場所を離れ、他所で生きるのには、強い自立心と意志と夢が必要なことを教えてくれた。
そのやせた、背も高くない、89才の、怒ると恐い、笑うとかわいい、ただの農場主のことを日本人実習生は「ボス」と呼んだ。
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たまごの話でもない、ニワトリの話でもない、ただの私事で恐縮ですが、かの国の大統領選挙の映像を見ていたら、かつて住み込みで実習をしたカリフォルニアの農場主のことを思い出していました。
思い通りに行かないことが多いのですが、もう一度夢を前方に放り投げて、それを追いかける、ことをしてみたいと思います。