たまごを採るにわとりは、卵からかえってヒヨコになり、5〜6ヶ月でたまごを産み始めるようになる。
それから1年2ヶ月から1年半たまごを産み続ける。
にわとりの寿命は10年以上といわれるが、採算性を考えて、その時期に肉にする。(業者さんに出します。主に加工用)
たまごを産むその1年ちょっとの間、産み始めのころはたまごのサイズは小さく殻は厚い。
たまごを割ると濃厚卵白の比率が多くこんもりしている。赤いたまごを産む品種だと殻の色も濃い。
それが産卵を続けるうちに、大きいサイズのたまごを産むようになる。黄味の大きさはさほど変わらないけれど、大きくなった分 水様卵白(字のとおり水のように薄い卵白)が多くなる。
殻は退色し厚さも薄くなる。奇形卵も多くなる。
そういうにわとりの生理現象の対策として「強制換羽(きょうせいかんう)」という方法がある。
たまごを産み始めて10ヶ月以上経過した鶏群の電照を止め、給餌を止め断食させる。
1週間程水だけを与える。
すると産卵を止め、羽根が生え替わる。内臓の脂肪が取れ、1ヶ月半程経つとまた産み始めの頃のようなたまごを産み始める。その後10〜12ヶ月採卵する。
毎年日が短くなる秋になるとたまごを産むのを止め、羽根が生え替わるという、これもにわとりの自然な生理現象を人工的に利用した技術、それが強制換羽。
いまから18年ほど前、村おこしを目的に地元のお百姓さんたちと農事組合法人という農産物の販売を目的にした農業法人を作っていた。
平飼いたまごを中心に無農薬野菜を各自作って、それを集めて出荷していた。
その代表をやっていて、もっぱら販売・営業担当だった。
ある日取引先の担当さんから電話がかかってくる。
「佐藤さん。たまごのサイズが大きすぎる。これじゃ売れない。パックに入らないもん。」
あわてて手元にあるものを確認する。たしかにデカい、カッコも悪い。こりゃ奇形卵だよ。
すぐそのたまごの生産者 O さんと話をする。
「昔はこれでも持っていったけんど・・・」
昭和40年代、このあたりでもケージ飼いの農家養鶏をやっていた。諏訪のたまご問屋がとりまとめて集めていった。
でも、それはたまごが貴重品だった時代の話だよぉ・・
「これを捨てるじゃ、もったいない。」
もったいないは、わかるけど、これじゃ向こうに着く頃には割れちゃってるんですよぉ・・
「O さん。強制換羽すればどう?前もやったからやり方わかるでしょ。」
「んー?あー、あれな。・・アレにわとりがかわいそうでなぁ・・オラにゃ出来ん。オラ、シベリアで抑留されて・・そんときのこと思い出してなぁ・・エサをやらんなんて、にわとりがかわいそうで・・」
それから、小一時間。ちょっとは聞いたことはあったけど、シベリアで抑留された話、その前の満蒙開拓の話、引き揚げ船の話、この村に入ってきたときの話。
普段は寡黙な O さんにこんな物語があるとはね。
(でもそんなのあたりまえだな。いくら若いからって遠慮がなさすぎ。馬鹿な俺。)
聞いてるうちにたまごの話なんてどっかいっちゃった。
村おこしだなんて、何て生意気な思いこみだったんだろう、と今は思う。
でもね。あのとき思い上がっていろいろしたから、今は少しは物事が解るんだとも思う。
村おこしなんてみんながせーので「どーしても村の農業なんとかするだ!」って思えば、何とかなる。
(食糧)支給率なんてみんなが「何とかするだ!」って思えば何とかなる。多分ね。
もう83?4?そのぐらい。 O さんにわとりももう引退。今は田んぼの水見(水の管理)と畑仕事。
子供達はとっくに街に勤めに出てる。ばあちゃんと二人。
建設中の下水道にも、家の下水接続しないんだってね。もう誰も家には帰ってこないんだね。
O さん、今日も軽トラでゆるゆると・・。