相棒の治療が昨日から始まった。
再びの抗癌剤投与。もうすぐ、例の波が訪れ、そして去って行く。
この治療の結果が出るまでは、その先のことは分からないところが多いのだが、今年もまた病院で年を越すことは確かだろう。
とにかく、もう一度、やるのだ。
大丈夫。大丈夫。
さて、こちらは出張がまだ続いている。
他のメンバーは休ませるため一度大阪に帰したが、僕はとにかく終わらせようと一人現場に残った。
2日間の休日を挟み、他のメンバーが戻って来たが、今日で12日間ぶっ通しである。
仕事は量も質も問われるもので、決して楽なものではない。長引けば、みんなの疲れや不満もたまって来る。
ブーブーと騒ぎ立てる訳ではないが、その顔、背中、足取りが隠せぬ思いを雄弁に物語る。
人間関係のギスギスも起こりがちになって来る。
そういう同僚達(そのほとんどが20代)をなだめたり、すかしたり、あやしたり、励ましたりしながら現場は進む。
彼らにとって最もつらいのは、仕事そのものよりも終わってからの夜の時間であるようだ。
海の近くの田舎町。当然娯楽は限られる。パチンコをやる者はそれで毎晩をしのげるが、やらない者はすぐにネタが尽きてしまう。
友達も彼女もいない。マンガもテレビゲームもいずれ飽きが来る。
遊ぼうとすれば必ず金がかかるし、そもそも遊びの数が少ない。
創り出し、味わい、探求するということのない生活は、消費することでしか時間を過ごせないのだと改めて思う。
一方、僕の生活、人生には、およそ退屈ということはないのである。
特に一人で過ごす自由な時間には滅法強い。
いつも持ち歩くリュックには「空き時間有効活用グッズ」が入っている。とはいえ、本、メモ帳、ボールペン、何枚かのプリント、携帯電話くらいのものなのだが、これさえあれば怖いものはないのである。
3分でも30分でも3時間でも、それぞれに合わせた「過ごし方メニュー」を即座に用意出来る。
動ける場所、動けない場所、光のある場所、無い場所、それぞれに対応出来る。
実際、宿に帰ってからの僕には退屈などの忍び寄る隙間は全く無い。
その日の作業日報をまとめ、天気予報を睨みながら明日の作戦を立てる。
その時々の気分に合わせて読めるよう、いろいろな種類の本を持って来ている。
楽器は弾けないが、演奏者のための身体トレーニングは、みっちりやれば1時間では足りない。
メールを打つ、日記を書く。
疲れたらテレビを見る。
普段あまり見ないので、何を見ても新鮮である。番組それ自体は面白くなくても、貴重な社会勉強になってしまう。
これでちょいと一杯傾ければ、そろそろ寝ますかという時間にあっという間になってしまう。
しかし、こうやって過ごしてみなよと言っても、そりゃあ無理な話しに決まっている。言う気にもならない。
改めて、自分の方が変わり者なのだと痛感する。
しかしまあ、もう少しだよ。
もうちょっと辛抱しておくれ。
な、みんな!

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