「追悼 三上ゆうへい 3、 まい・ふぇいばりっと」
追悼 三上ゆうへい
サラバ楽団の楽曲のほとんどは相棒が書いたものだった。その中で、人気のある曲というものが、やはりあった。
僕自身が個人的に「惚れた」作品というものは、不思議とこうした人気曲とはかさならなかった。人によって受け取り方は違うのだと、実に面白く感じたものだ。
好きな唄はいろいろあるが、あえて一番好きなものはどれかと問われたならば、僕は「春の便り」をあげるだろう。
新曲ができると、たいていは自信満々で、というよりも嬉しくて仕方がないという感じで、「とにかく早く聴いてくれ」と披露することが多かった彼だが、この曲の時は「こんなのが出来たんだけど」と、何となく不安げな面持ちであった。
しかし、聴いてみて驚いた。メロディーも素晴らしかったが、なによりその詞は、新境地開拓というにふさわしいものだった。
春の便り
バス停の脇には白い花が咲いてる
この花の名前を僕は知ってる
もうすぐ母になる人が
ひとりバスを待ってる
柔らかなスカートに包まれた
その膨らみを撫でながら
わずかな少女の面影を
残したままの横顔で
まだ見ぬ声に答えている姿に
君のことを想った
バス停の脇には
白い花が咲いてる
この花の名前を知ってるのは
昔 君が教えてくれたから
君からの便りが届いたのは
春の初めのまだ寒い日で
まだ見ぬ確かな膨らみを包んだ
君の姿を知った
もうすぐ母になる人がゆっくりバスに乗る
置き忘れたようにハコベの花が咲いてる
(詞・曲 三上裕平)
彼は「幸福感」というものを、さりげないスケッチのようなかたちで描き出すことに秀でていると、前から思っていた。
あるとき彼は、照れくさそうに、恥ずかしそうに言ったことがある。
「かつての僕は、自分のことにしか興味がなかったんだよね。」
「春の便り」という作品は、そうした彼の成長史を物語るものに思えてならなかった。
誰かを“祝福”できた人間の、その心を満たす幸福感というものを、見事に描いた秀作だと思う。
明日はもちろんこの曲も演奏する。
皆さんそれぞれのかたちで楽しんでいただければと思う。

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