「追悼 三上ゆうへい 1、 それぞれの彼を持ち寄って」
追悼 三上ゆうへい
先月26日、相棒のご家族と山ねこ団のお二人と、四十九日の集まりがあった。
お経をあげて、ゆっくりと食事をした。
その後、お母さんのご自宅で相棒のアルバムを見る。
それほど枚数は多くないが、幼年期から最近までのほぼ全ての時期が網羅されているものだった。
幼い彼の無邪気な笑顔、ふざけた顔やふてくされた顔を見ながら、不思議な思いにとらわれていた。
「なつかしい。」
相棒と知り合ったのは彼の二十代の終わり。本当に親しく付き合ったのは最後の六年間。つまり、僕が知っているのは三十代の彼だけなのだ。にもかかわらず、知らないはずの時代の彼を見て、無性になつかしく感じるのだった。
不思議ではあったが、おそらくそれは、彼について知らないまでも、彼との関わりにおいて「感じていた」何かをそこに見たからなのだろう。
一方で、ご家族の方々は、家を出てからの彼をあまり知らないという。
考えてみれば、一人の人の一生を、始めから終わりまでつぶさに知っているという関係は滅多にあるものではない。
親子、兄弟、夫婦、恋人、親友・・・どんなに親しくとも、必ず抜けている期間があるものだ。(さらに、親しく付き合っていた間においても、全てを知ることなどもちろんあり得ない。)
付き合っているその時には、こうした空白の時間などないかのような錯覚につつまれている。他の人から、知らなかったことを教えられて初めて、空白をありありと感じる。
そしてその空白は、無数の偶然をくぐり抜けて、自分とその人の人生が交わっていたという事実、ともに過ごした時間の貴重さを教えてくれる。
彼を偲んで、それぞれの知っていることや感じていることを持ち寄る。
もとより記憶や知識を完全にすることが目的ではない。
部分的ではあっても、自分がもっていたつながりを確かめる。そうすることで、「思い出」に何らかのまとまりをつける。
それは「いままで」という関係に一区切りをつけ、「これから」という新しい関係に移るためのステップだ。
追悼ライブが近づいて来た。
多彩なゲストをお迎えする。
僕が知らなかった曲も演奏されることになった。
僕は、おそらく僕しか知らないはずの曲も演奏することにした。
彼が練習の場で発表してくれたが、ついにライブという場では演奏出来なかった曲。つまり、彼の遺作である。
当日は、やはり、快晴との予報だ。

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